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愛を知らない人


『誘惑の毒林檎』

ちまたで流行っている恋愛小説らしい。書店でもベストセラーだと唄う、その本を売るための大きい色とりどりの見出しが店を彩る。特にそんなに気になる訳では無かったのだが、久しぶりに暇だった事もあり、店の一番外側に山積みになっているその本を手に取る。あえて言わせていただけるのであれば、ボクは本を読むのは嫌いじゃない。ただ、普段からそれほど恋愛に興味も期待も持てないので、嫌に現実的な論文だとか、冒険記、推理小説ばかりに偏ってしまっているだけで、恋愛小説だって別段嫌いな訳じゃない。

『ボクに触れてはいけないよ。』
『何故?』
『ボクは、キミを傷つけてしまうから。』

ぺらぺらと指で紙を捲る乾いた音が耳を擽る。その一文と自分が重なって見えて、自嘲的な笑いで口元が上がる。つい、推理小説をみるときの癖で、結末まで飛ばして結果を見る。

(ありきたり、だな・・・)
ハッピーエンドかバッドエンドか、と言えば最近流行のポケット小説にありがちな展開。要するに、バッドエンド。 泣けといわんばかりに強調された文章に、笑いすら覚える。簡単な文章しか読まない近代人向けのそれは、酷く終わり方も安っぽい気がして、ページを閉じる。ハッピーエンドになったらなったで「夢物語だ」とボクはきっと笑っただろう。 結論的に言えば、恋愛をしたことのないボクに、恋愛小説に感情移入しろと言われても、難しい事だらけなのだ。

「うわ、これは酷い・・・」
馬鹿にしていたつもりで、酷く集中していたボクの隣には、いつの間にか、女性がその本をボクと同じように立ち読みしていて、驚愕の声を上げる。本をそっと、元の位置に戻そうとすると、ふと女性と目があった。

「・・・眉間に皺を寄せて、小説は読む物じゃないですよ?」
「キミには関係無いだろう。」
「まぁ、これはハズレだったんで、仕方ないかもですけど。」
女性は手に取っていた本を元の位置に戻し、くすりと笑う。

「書店の人に、営業妨害で訴えられても知らないよ。」
「良いですよ、別に。 それとどっちかっていうと、"ナイフの持ち方"の方がオススメかな。」
女性が指さしたのは同じくその作家の書いている作品の中の1つ。その作家のデビュー作で、かなり過激な愛情と殺意を綴ったものらしい。ボクはよく解らないが、黒字に赤色で"愛する狂気"と文字がポップアップされている。

「恋愛小説は、苦手なんだ。」
「大丈夫ですよ、どっちかっていうとこっちは小難しく"愛"について語る独白みたいな感じですから。」
にっこりと笑う彼女のオーラは酷く穏やかで、つい、その本を手に取ってしまった自分は、どうやってその本を、積まれた本の上に戻そうか考えあぐねた。

「騙されたと思って、読んでみれば世界変わるかもですよ?」
「生憎、ボクは騙されるのは嫌いでね。」
ぽんと、本をようやく元の積み重ねの中に戻せたと思ったら、彼女が手に持っていた紙袋を胸に押しつけてきた。

「貸してあげます。」
「いや、いいよ。 キミの本だろう? それに、」
「貸すだけですから。」

有無を言わせないその瞳と、引くことをしないだろうというオーラに、少しげんなりして押し黙る。返そうとすれば、それを拒むかのように颯爽と走って逃げていく背中。走れば追いつけるだろうが、そこまでボクにしなければいけない義理はない。理由をつけて、面倒事を回避する事に慣れてしまった自分は、また仕方ない、と理由をつけて嫌に軽い紙袋を手にして家路につくことにした。


愛を知らぬ人に、恋愛小説の価値など解らない


未だその本は返すことも出来ず、捨てることも出来ず机の上に置いてある。

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