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以心伝心シンパシー


いつもそこに居るのが当たり前だと思っていた。

「ナマエ、」

いつもならその小さな囁き声でも気付いて駆け寄ってくる男の姿はない。ああ、そういえば革命軍の人が足りないので一週間ほど貸し出したのだった、と気付くまで賢いくまの頭にしては珍しく、数秒かかってその答を導き出した。居ない男の姿を探そうとぐるりと見渡してしまった部屋は、彼が居ないのだというだけで途端にいつもより広く見えた。(もともとかなりくま自身が大きいので部屋も大きいのだが) それに更に溜息を深く重ねて、綺麗に片づけられていた机の上を荒らすように書類に手を伸ばす。書類の山が崩れたのを横目に、片づけなければと立ち上がったが己の手は動くことなくまた机の上に戻った。 拾おうと思って屈んだ瞬間、他の書類が頭上から降り注いだため、やる気もなにもかも書類と同じように床に落ちた為である。苛々とする気分の原因が、ナマエが居ない事によるという自覚はある。

「・・・子供か、俺は。」

自覚してしまっているが故に、平常を保とうと紅茶を頼んで見るもののナマエが入れた紅茶の味でない、と口にした瞬間に理解して飲む気が半減した。これは紅茶ではない、なにか茶色の水である。あまり美味しいと思えない紅茶を啜りながら、早くもくまはナマエを手元から話したことを後悔しはじめていた。早く帰ってこないものかとカレンダーを覗いてみても時間が早く過ぎることはなく、日めくりカレンダーは彼が帰ってくる予定の日付の3日前の所から変化はない。それを苦々しく見つめていても事態が好転するわけでもないのは聞き分けているので、彼が帰ってきて書類の山に驚かないように仕方なく、崩れてしまった山から手元に何枚か引き寄せる。どうせ全て処理しなければ行けないのだから、もう順番なんて関係ないだろう。

『積み直して置きますから、お茶にしましょう?』

黙々と書類に向かっていれば耳元で幻聴がした。机から目を離して部屋を見回しても、目的の物が見つかるわけでもなく。 窓の外の太陽は気付けば赤い海に沈み始めている。
味気ない夕食を取る気にもなれず、書類をキリの良いところまで片づけてそのままベッドにダイブした。 今日はそれに目くじらを立てて叱る、可愛い小言すら聞こえはしないのだから。ベッドで目を閉じて、眠りに沈み込んでいく途中、彼の名前を枕相手に呟いた。

「・・・ナマエ、」
「・・・はい、なんでしょう?」

帰ってくるはずのない返事が小さく聞こえた気がした。 あまり期待したくない気持ちとうっすら瞼を重くしている眠気に負けて確かめることはできなかったのだが、うつらうつら、と船を漕ぎ始めた意識の隅でくまは確かに待ちわびた声を聞いた気がしたのだった。


彼が帰ってきたのだとくまが気付いたのは次の日の昼頃を回ったくらいの事だった。よっぽど疲れているのだと考慮した彼の有能な恋人が、流石に心配になって起こしに来たので、昨日のことが夢でも幻聴でもなく、現実だったのだと寝ぼけた頭で整理するのにくまは相当の時間を要した。いきなり揺さぶられたくまの目の前にあったのは、夢なのかと思うような光景だった。部屋を見渡せば、昨日散乱していた書類は机の上にぴしりと並び、美味しそうな匂いのする昼食はベッド近くのサイドテーブルに載せられていた。そんなことより何より衝撃的だったのは起き抜け一番に目に入った、眩しすぎる彼の笑顔。あまりにも久しぶりに見る気がした彼の顔に、年甲斐もなく赤面しそうになってしまった。照れを隠すように言葉に拗ねたような音を滲ませてしまったのだが、彼はそれに気付いているのか笑って享受していた。

「・・・ただいま戻りました。」
「・・・遅い。」

それにしてもまだ約束の日の2日前だ。帰還が早いことは願ったり叶ったりなのだが、いったいどうした事だと問いただしてみれば、苦笑しながら照れた様にまた彼が可愛らしい事を口にするのだから、全く手に負えない。確実に顔まで真っ赤になっているであろう熱い頬を感じながら、どうしてやろうかと頬を緩ませたのだった。


会いたかったのはどちらも同じって事

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