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愛された記憶


誰かに抱かれた記憶だけがある。誰にだったのか、覚えては居ないのだが。酷く甘く、優しいその体温だけが目覚めた身体に染み込んでいた。肺いっぱいに吸い込んだ海水を吐かせてくれた唇、震える躯を抱きしめてくれた腕、体温を分け与えてくれた身体。思い出したいのだが、酷く鮮明な感覚と反比例して酷く曖昧な記憶に苛立ちが隠せない。

1人で生きてきた己が何度も生まれてきたことを後悔した中で、一度だけ自ら命を絶とうと思ったとき。俺なんか必要ないのだ、と世界の全てに絶望しか見いだせなかったときに差しのばされたあの手の持ち主は一体誰だったか。

『エース!!』

確かにそいつは俺の名前を呼んだ。呼んだには違いないのだが、その顔が思い出せない。それもそのはず、記憶を辿ってみても俺が男を見たのは、ただ一度。その時だけだったのだから。



「エース、なにしてんだ置いてくぞー!」
「ああ、サボ悪りぃ。」

どうしたんだ、と心配するサボに首を振って、俺達の秘密基地に向かって走る。あの腕が、誰のものでも関係ない。今、俺はサボとルフィ、という兄弟がいると言う事実だけあればいい。下手に夢を見たら痛い目に遭うと、今まで何度も経験して来たから。

「そういえば、エース。ナマエって知り合いか?」

走りながらサボが首を傾げて聞いてくるが、俺の頭に浮かんでくる顔はなかった。

「誰だ、そりゃ」
「だよな。なんかさっきエースを知ってるか、って聞かれたんだが、知らないって言っておいたぞ。」
「おぅ、サンキュー。・・・どんな奴だった?」
「あー、なんというか普通。特徴も特に無くて言いづらい。」
「そっか、なら良い。」

危ない事に足を突っ込んでいるのは今に始まった事じゃないし。どうせろくな事で探しているわけでもないだろう。

「そう言えば、ルフィは?」「あいつならフーシャ村帰省中。あ、でも今日帰るって言ってたな。」
「エース、昨日の雨で途中の橋かなり危ない事になってるの、知ってるか?」
「・・・大丈夫、だろ」

そのくらいは前から言ってきた事だ、それにあいつは能力者なのだから人一倍水には気を付けるはず。

「それに、いつもより遅い気もするし。」
「ああ、行けば良いんだろ!」
「俺は余り山は詳しくないし、ルフィが来るかもしれないから今日はここで待ってるよ。」
「俺はルフィのいつものルートを探す事にする。」

お互いに取り決めて俺はとりあえずダダンのところまで戻る事にした。もしかしたらダダンのところにもう着いているかもしれないし、もしまだ着いていなくても、後でルフィを見つけたら捕まえておいてもらう事ができる。

「ルフィかい、今日はまだ見てないね。どうせ寝坊でもしたんだろ。」

急ぎ足で向かった山小屋でダダンにルフィの事を聞いたが、やはりまだ着いて居ないようだ。礼だけ言って村側に向けて走りだそうかと言うときにダダンから一声呼び止められる。

「今、街に海賊が来てるらしいよ。気をつけな。」
「シャンクスか?」
「いや、違うと思うけどねぇ・・・」

不明瞭にダダンは言葉を濁した。それに違和感は感じていたが、ダダンは「気をつけろ」と言っただけだ。「近づくな」では無かった。

やはり山か、もしくは最悪を見越して川を探したほうがいいのか。悩みながら足を進め、とりあえず山の中、ルフィの行きそうな所を探していたら不意に叫び声が耳を掠めた。

「ルフィ!」

川岸にルフィを見つけて、助けようと足を走らせて川辺に着いた時には川の真ん中当たりまでルフィは流されていた。真ん中にあった石のでっぱりに腕を巻き付けているのが現状だ。流れの早い川で、あそこまで行って助けて帰ってこれるだろうか。

「やるしかねぇな。」

上着をばさりと投げ捨て、川へ飛び込んだが、流れが早くて体力もかなり取られる。挙げ句のはてには片足が攣って動かないとなれば流石に頭がうまく回らない。ばしゃ、と水をなんとか腕だけで回避してルフィのいる所まで来た時には、かなり自分も疲れていて、現状としてはただ溺れかけた子供が二人になっただけだった。

山の中、ダダンは来るとしてもかなり後になるだろうし、サボが来るとは考えにくい。

「えーす、おれ、もう・・・」
「しっかりしろ、馬鹿!」

ルフィも限界だろうし。どうする?最悪ルフィだけでも、と考えた所で人の声に思考が遮られた。

「エースって子供を知らないか。」

橋の上から呑気に話す声。それより早く助けるとかしろよ、と思ってから誰もが善人ではないと唇を噛んだ。自分がエースだ、と名乗って助けてもらえそうなメリットはかなり低い。

「助けてくれたら教えてやる。」
「解った。」

応える声と同時に水に潜った男は、かるがると俺達の所まで辿り着き、肩に俺達を乗せて岸に戻った。鮮やかな救出劇だった、本当に。

「エースなら、」

ルフィの口を塞ぎ止め、ダダンの家と反対側を指さす。それに男は笑って頭を撫でた。

「近くでみたら、解った。久しぶりだな、エース。」
「誰だ、おまえ。」
「ナマエ、だけど名乗ったのは今回が初めてだ。」

にこり、と笑う男からは敵意を感じなかった。

「溺れてばっかりだな、お前は。そんなに水が好きか?」
「嫌いだ。」
「そうか、なら気をつけることだな。」

ひょいっと立ち上がって服を絞り立ち去ろうとした男の服を引っ張って引き止めた。

「おい、なんか用があったんじゃないのか。」

さっきの口ぶりからして、俺を探していたのはこの男で間違いないだろう。ならばなにか用があったんじゃないのか。

「ああ、元気そうならいい。それに仲間がいるみたいだしな。」

まだ寂しそうな一匹狼やってるようなら、俺の船に乗せるつもりだった・・・なんて笑う男に俺は口をあけて呆けて、ルフィは大笑いしながら「良い奴じゃんか!」と男の腹当たりを叩いた。

「もしかしてお前、港に来てるっていう海賊か?」
「ん、よく知ってるな。」
「俺を殺しに来たのか?」
「俺の話聞いていたか、エース?」


頭を撫で、視線を合わせてしゃがんだ男が子供を宥めるように俺を抱きしめてくる。互いに濡れているのでべた付いて不快なはずなのに嫌じゃないと何処かで感じている。

「よーし、よし。」
「子供扱いすんな!」
「ん、エースは子供だろう?」

違っては居ないが!でもルフィの前では最低でも矜持というものがある。

「意地っ張り、だなぁ」
「うるせェ!だからお前なんで俺の事知ってるんだよ!」
「んー、エースの父親の元仲間だからかな。だってエース、あいつ嫌いでしょ。」
「あ、たりまえだっ!」
「俺は大好きだったんだ。船長の子供がいるって聞いて、どんな子供かと思ったら、すげぇ荒んだ顔してるし!」

まぁ苦労してるんだろうな、とは思ったけど。あんな顔を子供がしてたらエースじゃなくても手を貸してたよ・・・とナマエは俺に向けて下手くそなウインクをした。

「それに、ずっと縛られてくらい顔してるよりかは、俺が連れ出してやろうと思って。」

だから仲間を集めて、海賊団作ったのに。エース、今、凄く良い顔してるもん。連れていけないじゃん。なんて好き勝手に喋り倒す男は、話が長くて寝てしまったルフィを頭の上におき、伸びた腕を首に結んでかけた。

「だから、まぁ良い顔みれたから良いや。」

ほら、と差し出された手を叩き落とせば苦笑が降って来る。ナマエには感謝しているが、親父の船の船員なんてろくな奴じゃない。

「おもしろい奴。」

叩いた手をひらひら振りながら笑う男が俺に向かって腕を伸ばす。殺気が無かったから対処がおくれてしまい、気付いた時には男の腕によって抱き抱えられていた。

「おーろーせー!」
「やーだよっ!」

しっかり踏み締められるナマエの足の先は確かにダダンの家を目指していて、川に溺れて、ナマエに抵抗していた俺は疲れのためか、家に着くころには眠ってしまっていて、当然ナマエはその間に船を出してしまったらしい。

少しだけ体に残る懐かしい体温に、あの時、手を払わなければよかったと後悔した。

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