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とある女の一生


あの人との出会いを思い出していた。昼間、こっそり館の主人の目をかいくぐって街へ遊びに行っていた時のことだ。子供のように笑うあの人が私が落とした宝物を綺麗だと拾い上げてくれたのだ。ただの小瓶の中に小さな子供のように見つけた綺麗なモノだけを詰め込んだ、私の宝物。普通の人はあまりいい顔をしないが、彼はその小瓶を見ても不機嫌な顔はひとつもしなかったのだ。ありがとう、とお礼を口にすればにっこりと眩しいほどの笑顔。

「あの・・・もしよかったら・・・」

こんな時に案内する家があれば良かったのだけれど。私の居場所はあそこしかないので居たたまれなくなりながら、彼にマッチ箱を手渡す。お店の名前が書かれている安いマッチ箱を手渡せば、もう一度私の顔をのぞき見る瞳。軽蔑されたのだろうか、それでも私は仕方ないのだ、と若干あきらめたように彼を見つめ返した。どんな言葉をかけようが、本当に感謝のつもりでやっても、何時だって私は娼婦だからという目で見られてしまう。だからどうせ彼も驚いた目からいつもの男達のような目をして私を見るんだわ、と覚悟をして。

「ありがとう、気が向いたら寄らせて貰うわ。」

にっこり、と人の良さそうな顔。向けられていた目は先程とは変わらず、酷く優しそうな目をしていた。長年、人を見る仕事をしているのだ。あの男達とこの人が違うのはすぐに解った。男が一緒にお茶でもどうだなんて誘ってくれたが、もうそろそろ仕事の準備を始めないと開店に間に合いそうもない。日暮れには館の主人も私を捜すだろうから。

「ごめんなさい、もう帰らなきゃ。」

引き留めるように手の甲に気障ったらしくキスをする男に頬を染めつつ、後ろ髪を引かれる思いをしながら、館に走った。どうにか主人にバレる前には戻ることが出来たのだが、普段走るなんてコトをしない足が引きつって棒のようである。



貴方が春を連れてきた



「よっ、遊びに来た。」

本当に遊びに来ただけなのかといわん顔で豪快に笑う彼、同じように釣られて笑う私。夜は男女として身体を重ね、昼は人目を忍んで子供みたいに笑い合うそんな日々を繰り返したのだが、楽しい時というのは一瞬で過ぎていくものなのだ。2ヶ月なんて・・・簡単に過ぎるログなんて、溜まらなければいいのに。願いながらも何度か遊びに来てくれる彼に、少しだけ私もただの少女に戻れた気がしていた。そんな勘違いをしてしまっていた。私は娼婦で、彼はお客である海賊であるというのに、それが続くものだと漠然と願ってしまっていた私は、彼以外の客を取る事に苦痛を感じるようになってしまっていた。

「・・・あのね、」
「ん・・・?」
「私を海に一緒に連れって行って欲しいの、」

そう言えば隣で穏やかに私の前髪を整えていた彼が、眉をしかめて私に怒ったような顔を向けてきた。今まで見たことの無かったような彼の顔に、それ以上言い出せなくて。臆病な私はその質問を無かった事にして口を噤んだ。嘘でも、冗談なんて言い出したくなかったから。

「・・・無理だ、」
「・・・・・・。」

答えはそうで合っているでしょう。だって貴方は海賊で、私はただの一夜の相手に過ぎないのだから。それに情を求めてしまった私が悪いのだ、私が吐く言葉は彼を楽しませるツールに過ぎないのに、己に通常の女と同じ価値を求めてしまった私が悪い。

「解ってるわ、そんなこと。言ってみたかっただけよ。」

夢は醒めたが、彼への愛は醒めることは無く。彼が旅立ってもまだ私の中で燻り続けた。やはり2ヶ月なんて、一生のうちでは瞬く間に過ぎていってしまう時の中の1つだったのだ。彼が去ってからも仕事で何度か他の男と身体を重ねる事はあったのだが、誰も彼以上に私がときめくことは無かった。


貴方の居ない夏に生きる


そんな私にも、人並みの幸せを手に入れる機会というのはやって来る訳で。相手は娼館にやってくる海賊ではなくて、たまに抜け出していた街で出会った海軍の人。優しい純朴な人だった。誰の子かわからない子供を身ごもっていると気づかれ、娼館の主人に卸せと迫られて身ひとつで飛び出した先で出会った優しい人。私の親が館の主人から受け取ったのだというお金は大体自分で返せていたのだが、残り少しだけ残っていた部分を見請けするように払い、私を受け入れてくれた人。あの時のように焦がれるような恋ではなく、穏やかにゆるやかに私も彼を愛していた。子供も産まれ、それなりに幸せだった。名前は私が勝手に「×××」とつけた。あの人譲りの黒髪と私譲りの瞳の色。それがなんだか可笑しくって何度か赤子の頬をつついて私と、主人とで間に息子を挟んで3人で戯れるように笑って過ごした。


貴方を忘れて秋は過ぎる


世間からは多少風当たりが強かったものの、息子も無事に育ち、もう私は彼の事を良き思い出のように息子の顔を見るたびにおぼろげに思い出す位になっていた。今の夫との間に第2子も生まれ、それなりに夫婦仲も悪くはない。それなのに、私は見つけてしまったのだ。新聞の真ん中にでかでかと乗っている彼の姿を見つけてしまった。あの人が不敵に笑いながら台の上に座っている写真。上のテロップには捕まったのだという彼の詳細が事細かに綴られていた。それによれば彼は最果ての島まで到達したのだという。彼が夜に語ってくれた彼の夢は叶ったのだ。良かったじゃないかと微笑んで新聞を閉じた。

いつもの通り、街の商店街をすぎるたびに囁かれる小言を無視し、通り過ぎる男の卑下た視線をくぐり抜けて家に帰れば、夫の靴が玄関先に散らばっていた。几帳面なあの人にしては珍しい、と思って部屋に進めばそこに広がっていたのは、信じられない光景。泣き叫ぶ×××、それを止める事をしないの夫の手には鋭利なナイフが握られていた。ああ、やはり。彼もまた気付いてしまったのだろうか。気付かないままでは居られなかったのだろうか。夫にとってはきっと×××は息子ではあったが、自身の子供はきっとすやすやと専用の寝台で眠る、あの子だけなのだ。そう気付いてしまった私は彼に、私に、愛するべき息子達に涙した。


隠れるように冬に逝く


そこからはなんだか良く分からなかった。×××を守るようにナイフの前に立てば、腹部に走る鋭い痛み。それに我に返ったのだろう夫は泣きながら抱きしめて来た。彼の涙も私から流れる血も留まることなく私を濡らした。

「悪いのは、私だけにしておいて。子供は親を選べないのだから。」


ナイフの柄を引き抜こうとする夫の手を制止し、部屋から出るように促す。海兵さんが妻を殺したとなれば外聞がわるい。それならいっそ、周囲に耐えられなくなった女が自害した、のほうが都合が良いはずだ。

「お母さん、」

駆け寄る無垢な双眸を抱き寄せて最後にキスをした。

「いずれ全てを知ったとしても、お父さんを恨まないで。悪いのは私だから・・・」

意味が解らないと首を振る息子に精一杯の笑顔で、愛してるわと呟いて、背を押した。夫が泣きながら×××の肩を抱くのを見て、行って、と合図した。大丈夫、私が選んだ人だもの。もうきっと間違えたりしないだろう。


去った季節が恋しくて


走る足音がしなくなって、視界が落ちる間際に過ぎた過去を振り返ってみれば、色のない世界だと思っていた世界は自分の思う以上に色鮮やかだったことに私は気づいた。

私は確かに幸せだった。

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