迷子月 苦笑いを浮かべる茶屋の店主に代金を支払い、ぶらついていたところ、きょろきょろと落ち着かない様子の青年にあった。城下のものにしては挙動不審だし、旅のものにしては身なりが綺麗すぎる。 「おにいさんは、まいご?」 急に背後から話しかけられてビックリしたのだろう。話しかけた一瞬、体が面白いくらい跳ねていた。 「・・・違う。」 振り返ったお兄さんは恐い顔をしてこちらを睨んだが、耳まで赤くしていては効果はいまひとつだ。 「そっか」 なら、まぁいいか。と踵を帰し城へ向かおうとすると、腰布に少しの違和感。 「なに?」 「お前は何処に行くつもりだ?」 「ちょっと城まで。」 軽いイントネーションで言ったら、少しだけ驚かれた。御忍びの城下散策では紺に服を見繕って貰ったから城主の子供とは解りにくくはなっているはず。それに武士の子供の格好だから、城に向かってもおかしくはないだろうし。 「おにいさん、なまえは?」 「小十郎、だ」 今度は私が驚く番だった。うっかり名乗るのを忘れて固まる私を不思議に思ったのか、小十郎は私の肩を軽く気付けに叩く。 「お前は?」 「ゆき、まる」 幸丸と名乗ったのは、紺から偽名を使うように口を酸っぱくして言われたからだ。だが、ひきつるようになってしまった言葉に沈黙が痛くなった。小十郎なら本名を名乗っても良かっただろうに、あろう事か変にたどたどしく嘘ですといわんばかりに応えた名前に、己の事ながら苦笑しか出ない。 「・・・・・・まぁいい、城まで行くならついでだ。」 小脇に抱えられ背後の忍びがざわめく気配がしたが、自分を抱える男はそれに気付いた様子も無い。城への近道を指で小十郎に教えながら行けば、過ぎた木立に見慣れた笑顔。 「せっきょう2じかんですむかな・・・」 「何がだ。」 「こっちのはなし。 ところでなんでおしろに?」 「ん、あぁ、姉に包みを届けにな。」 「おねえさん?」 「梵天丸様付きの侍女でな。」 「・・・・・・、そっか」 梵天丸は母親に恵まれなかったが、その変わりに色々な人から心から愛されているのだ。それは私がどう頑張っても手に入れる事ができないもので、とてもこの目には羨ましく思えた。前に父と話した事があるのだと、綺羅綺羅しい目で語る小十郎を、ただ欲しいままに手に入れる兄が。 「・・・こじゅうろうは、いいやつだな。」 そう言えば、小十郎は額に手ををつけて笑った。 「幸丸、おまえも相当良い奴だと思うぞ。」 「・・・・・・そんなことない。ゆきは、わるいこだもの。」 兄のものを欲しがる悪い子だもの、良い奴な訳が無い。頭で横取りの算段を考えるのを抑えながら笑う。 「ここで、おろして。ひとりであるける。」 城の門の前で小十郎に合図をし、腕の中からすり抜けて地面に降りる。手放してしまった温い体温が既にもう懐かしい。本当なら、子供の我が儘で許されるなら、このまま全てを奪ってしまいたい。でも、兄の支えを勝手に奪う訳にはいかないのだ、兄は己より辛い境遇に身を置く事になるのだから。彼が政宗として立つための龍の右目を、蛇が飲み込む事は許されない。 「・・・おい、まだ城にはちとあるぞ。」 通常なら紺に声をかけて部屋まで飛んでもらうのだが。小十郎が一緒のため普通に門から入る事になる。門の近くまで着いて来ていた紺がくすりと笑い、内門の兵に合図をした。 「ここでいい。このさきをまっすぐいけばつく。」 「お前は行かないのか?」 「・・・むかえがきている。」 夕刻の闇に混ざるように、紺色の装束を纏った男が門の裏から出て来てこちらを微笑む。 「約束の刻限を過ぎております、雪之丞様。」 「たのしすぎて、ときをわすれてしまった。せっきょうはきくゆえ。」 「それは、良うございました。」 紺は成る丈優しい声色で小十郎に向き直る。装束から覗くのは紺色の目だけだが、それもいつものそれより幾分か優しく見せている。 「私から礼を、小十郎殿。道中、若をお守りくださり有り難うございました。」 ぺこり、と頭を下げた紺に苦笑する私を、小十郎が睨む。まさかいくらも解らなかったわけはあるまいが、もし本当に気付いていなかったのなら、狐につままれたような心地だったのだろう。 「・・・すまぬ、しろのそとではいえぬゆえ。」 「いや、俺も・・・私も気付かなくて申し訳ありませんでした。若君。」 「たのしかったのだ、こじゅうろう。だから、あやまらないでくれ。」 そのかわり。兄に、よろしく頼む。小さく紡いだ言葉は小十郎の耳に届いたのだろうか。どちらにせよ、構わぬ。私が言おうが言うまいが、時はそのように進むのだろうから。 迷子月 back |