食むのは君の名 初めて会ったときには、変な女だと思った。シャボンディ諸島には他にも海賊の女はいくらか居たが、その中でも異質。海軍であったときの癖でまだ手配書は最新のものを手に入れている。 その中にも彼女の姿は無かったというのに、彼女の放つ気配は億越えのそれらと同じだ。関わるつもりなんて毛頭なかったのだが、相手から話しかけられては無視も出来ない。 「隣の席、いいか?」 他にも所々席は空いていたのだが、テーブルはひとつも空いて居なかった。要するに相席の相手として俺は選ばれたと言うことだ。 短く、「ああ」 とだけ返すと、彼女はすこし満足そうな顔をして席に着いた。 彼女の通った横のテーブルに座る男達が下卑た野次を飛ばしたが、どれひとつとして彼女の耳には届いていないのだろう。 「私にも、隣の人と同じのを。」 こちらにすこし視線をうつしながら店員に注文をした彼女は少し笑っていた。 「・・・何がおかしい。」 「いや、さっきからずっと私の事見てるから、少し気になっただけ。」 「そんなに見ていたつもりは無かったんだが、気に障ったのなら謝ろう。」 「ああ、別に、色男に見つめられて悪い気はしないから気にしないでよ。」 早速運ばれてきたカクテルに手を伸ばしながら、彼女は酷く無邪気に笑う。あまりにその微笑みが印象的過ぎた。 「名前は、なんと言うんだ。」 「・・・口説いてるの?」 「いや、決してそう言う意味では・・・」 だが、スマートに名前を聞く方法を俺は知らない。ずっと昔、同僚に朴念仁だと言われたが、確かにそうなのだろう。だが、彼女はさして気にした風もなく、口を開く。 「・・・ナマエ、よ。」 「ナマエ、か。良い名だ。」 「貴方も随分と素敵な名前じゃない? 赤旗のドレーク。」 「・・・。」 「いい男の手配書の名前は記憶してるの。驚いた?」 カクテルを一気に飲み干して、動揺を誤魔化しつつ話を続ける。別にさっきまでは関わろうとも、思っていなかった相手だというのに。頭ではこの目の前の女の事を知りたくて堪らない衝動に駆られている。 「・・・君は、海賊・・・なのか?」 「そう、同業者。でも無名だからねぇ。」 あはは、と軽く笑い流す彼女の目は、弱い相手のそれではない。今まで相手にしてきた相手の中でも上位の部類の奴らのそれだ。 「君ほどの海賊が、無名だとはね。」 「買いかぶりすぎだと思うけれどもねぇ。」 だが心なしか彼女は嬉しそうに目を細めた。 「今の船では、君を持て余してるという事、で良いのか?」 「まぁ、他の船員が強いから私の出る幕は無いんだけどね。」 少し目を伏せてグラスの氷を眺める彼女。言う、つもりなんて、無かった。自分の口から流れ出る言葉に、自分でただ驚いていた。 「俺と、一緒に来ないか。」 戦わせてあげられるわけでも、守ってやれるわけでも無い癖に。何を考えて、出た言葉なのかも解らない。だが、確かに己の耳に届く声はまぎれもなく己の声で。 「船に誘われたのは貴方で3人目。」 彼女は2杯目のグラスを口元へ運ぶ。 「すまない、どうかしている。」 「そう、どうかしてる。」 酒のせいにするわけでも、振られた言い訳にするわけでも無かった。 繰り返したのは、相手にではなく、自分に向けての言葉。 「でも、今までの人より素敵な言葉だったわ。」 少し残念そうに言う言葉から、やはり無駄なのだと思った。きっと、どんな言葉を与える人がいても、彼女を動かすことは出来ないのだと。 「何が、君を船につなぎ止めて居るんだろうね。」 純粋に、彼女を捉えて離さない原因を心から知りたかった。 「何が・・・って言われても困っちゃうけどね。 船員、かな?」 ちらり、と戸口ほうを見やると息を切らして入ってくる黒髪の男。 男の顔には見覚えがあった。数年前に名をはせていた奴で、懸賞金額は俺とほぼ同額だった男だ。その男が彼女にむかって呼びかけて言う。 「ナマエ、そろそろコーティングが終わるそうだ。」 「じゃぁ、そろそろ発ちますかね。」 席をたつ一瞬、彼女の腕を無意識にとっていた事に気づいて、すぐ手を離した。 彼女は一瞬おどろいた顔をしていたが、すぐに俺に向き直って口を開く。 「私は船長だから、仲間を放りだして貴方と一緒に海には出れないわ。」 小さく囁かれた一言に耳を疑ったが、確かに彼女なら考えられる話だ。 「そうか、残念だ。」 彼女が去った後、少し度の強い酒を傾けながら彼女を思い出した。だが思えば、彼女の名前しか彼女を知らないのだと気づいて、彼女の名前を頭の中でかみ砕いた。 食むのは君の名 title by 約30の嘘 back ・ top |