あたまわるい



「瀬戸!紫原!お前らは懲りずにまた俺の授業で寝やがって……廊下に立ってろ!」
ああ、とうとう怒らせてしまったと考えつつも、しまったと思うことも罪悪感を感じることもなく瀬戸は立ち上がった。
あろうことか未だ机に突っ伏している紫原#みょうじ#の肩を揺すって、廊下を顎でしゃくる。
瀬戸が廊下に出てしばらくすると、ようやく理解したらしい紫原#みょうじ#が後を追ってきた。
「瀬戸ちん今どんな気持ち?いい年して廊下に立ってろって、なんかわくわくするねー」
「しないよ」
「えー、出るとこ出たらセンセーどうなるんだろとか思わない?これ体罰じゃん。瀬戸ちんそういうタイプでしょ?」
悪びれる素振りの全くない様子の#みょうじ#を見て、瀬戸は自分も反省していないのにも関わらず抗議したいような気がしていた。
キセキの世代と呼ばれる天才・紫原敦の姉である紫原#みょうじ#は、弟同様、関心のあることに打ち込んでいる時以外はネジの一本抜けたような性格だった。
背は高い方ではないし、外見はあまり似ていないが、強いて言えば気の抜けた目元はよく似ていると瀬戸は思っていた。
別段親しいわけではないが、素行の悪さのためにしばしば一括で処罰される。
苦々しい思い出ばかりを共有するため、あまり良縁とは言えなかった。
「あれ、怒った?場を和ませようとして言っただけだってばー。ごめんー、ふざけすぎた」
教師に対しても自分に対しても反省の色が全く見られない。
別に怒りを覚えたわけではないが、瀬戸は面倒を避けるため口をつぐんだ。
「でも瀬戸ちん運いいよ。東京あったかいし」
「それもしかしてフォローしてる?」
意図のよく知れない#みょうじ#の言葉に、思わず瀬戸は返事をしてしまった。
「うん。あ、ほら、うちの弟の敦が廊下立たされると超寒いって言ってたんだー」
「秋田だからな」
「そうそう。加藤鷹の出身県」
「なんでわざわざそれ言った?」
ああ、解せない、と瀬戸は溜息をつく。
#みょうじ#のペースに呑まれて何が悲しいかというと、このどうしようもない、頭にわたあめでも詰まっているような頭の悪い女に、自分が惚れていることだった。

とはいえ、瀬戸は断固として自分のこの思いを理性で捩じ伏せるつもりだった。
紫原#みょうじ#は、言葉を選ばずに言えば瀬戸にとって不快な人間だ。
これと今後の貴重な時間を共にするなど、耐えられない。
矛盾しているようだが、瀬戸の中では確かに相反する感情が共存していた。
紫原#みょうじ#に自分は惚れている。
なぜかはわからないが、性格は不愉快としか思えないため、おそらく見てくれが気に入ったためだろう。
理性的に考えれば紫原#みょうじ#という人間が自分に悪運をもたらすことは明らかだった。
仮に交際したとして、後味の悪い最後を迎えるに違いない。
それならば、初めから近づかず、避けるに限る。
#みょうじ#も瀬戸の素っ気ない態度に気づいている様子で、頭の後ろで腕を組んで、大儀そうに宙を見上げていた。
その横顔にどきりとしながらも、瀬戸は今か今かと終業のベルを待った。
運悪く腕時計を机に置きっぱなしにしてきてしまった瀬戸に、時間を知る術はない。
「瀬戸ちんさあ」
その時、徐に#みょうじ#が口を開いた。
何を言い出すのかと身構えて、瀬戸は背筋を正す。
「私のことあんまり好きくない?」
「……は?まあ、好きじゃないっつったら好きじゃない部類かな」
「あ、やっぱ?瀬戸ちんって仙水系男子だもんね。私みたいなゆるふわ系合わないっしょ」
「確かに似てるけど。……てか、お前自分のことゆるふわ系だと思ってんの?」
「え、意識してゆるふわしてんだけど」
馬鹿じゃねぇのと言わんばかりの目で見下した瀬戸を気にかけることもなく、そういう話じゃなかったと#みょうじ#は無理矢理本筋に流れを戻した。
「嫌われついでに言うけど、瀬戸ちん態度に出過ぎ。博愛精神が足んないっつか、好き嫌いはっきりし過ぎっつか、人を馬鹿にし過ぎっつか。建前もちっと上手に使わないと、周りに誰もいなくなっちゃうよ」
「へえ……」
瀬戸は冷たい声音で言った。
「お前にわかんの?」
「うん。前はそうじゃなかった。瀬戸ちん入学した時とキャラ違うもん。あの悪い眉毛のお友達の影響でしょ」
#みょうじ#が自分の入学当初の印象を持っていることに驚きつつも、瀬戸は彼女が花宮に対して反感を抱いていることを奇妙に感じた。
#みょうじ#はそこまでこの学校のバスケットボール部に通じているはずがないのだが、なぜ花宮を悪いと言い切ることができるのだろうか。
そもそも彼女の弟も、知らないながら言動から察するに、花宮と同類であると瀬戸は思っていた。
「花宮いいやつじゃん」
「外面はね」
「何知ってんの?」
「え、逆になにも知らないとか思ってんのが驚きなんですけど。バスケ部怖いは有名だよ。君らのファンはそれでもいいっていうメス豚ちゃんだけだから。女子舐めんな」
女子舐めんな、の一言に、嫌悪する頭の悪い女の全てが凝縮されているようで、瀬戸は思わず#みょうじ#から顔を背けた。
「恨み買ってばっかだと、いつかどっかで痛い目見るよ。私は瀬戸がこれ以上馬鹿やんの見たくないんだよね。いくら悪ぶっても、悪人になんてなりきれないくせに」
「お前に関係ない」
「そう言うと思った」
苦笑した#みょうじ#を盗み見て、瀬戸は#みょうじ#に対して苛立ち切れない自分に腹を立てた。
「でも関係あるんだよね。私瀬戸のこと好きだから」
持ち前の理解力をもってしても、瀬戸は一瞬固まらずにいられなかった。
いや、意味はわかるのだが、どうにもすとんと腑に落ちない。
この女はなぜ今それを言ったのか、何を意図して言ったのか、胸の内に瞬時に解釈のスキームが作られていく。
いずれにせよ、唐突にこの頭の悪い女が哀れに思えて、瀬戸は眉をひそめた。
「ほら、ちゃんと情あんじゃん。バスケ部の瀬戸みたいなクズに惚れてる私に、同情したでしょ。犯罪係数20くらい?」
全て見透かしたような顔で、自分が重大な告白をしたことなどなかったかのような顔で、#みょうじ#は言った。
「……お前、何言っちゃって……」
「はい、」
#みょうじ#が瀬戸の言葉を遮るように、少し声を張った。
次の瞬間、キーンコーンカーンコーンと、まるで#みょうじ#の合図を待っていたかのように終業の合図が鳴った。
驚いて目をぱちくりさせた瀬戸に、腕時計から顔を上げてふっと笑いかけた#みょうじ#は、こうなることが全て分かっていたかのように目を細めてみせた。
「言ったじゃん、女子舐めんなって。返事聞く気ないから。じゃ」
くるりと背を向けて立ち去る#みょうじ#を見つめて、どうしてこの女は、頭が悪いくせにいつも一枚上手なんだと、瀬戸は地団駄を踏みたいような気がした。
どうしたら一度くらいぎゃふんと言わせてやれるのか、皆目見当もつかない、頭が回らない。
どうしてこんな女が。
一体どうしてこんな自分に。
あれほど避けようと決めたのに。
浮き足立つ自分は彼女以上の馬鹿なのか。
変わり身があまりにも早すぎやしないだろうか。
こんな偽善者と懇意になれば花宮は嫌がるだろう。
そもそも懇意になることを自分は望んでいるのだろうか。
渦巻く思考に翻弄される中、瀬戸にできる唯一の反撃は、頭の悪い男のように、考えなしに彼女を呼び止めることだけだった。

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