手袋と背徳的な彼女

俺がななしに惹かれたきっかけは、本当に些細なものだったと思う。
授業で使った辞書を、昼休みに図書室へ返しに行ったとき、初めてななしを見た。陽の差し込む窓を背にして、一定の間隔で本を捲っていた。
ページを捲る、白い手袋に包まれた両手がやけに印象に残ったんだ。手袋をしているのが当たり前だというふうなななしが、どうしようもなく気になって気になって仕方が無かった。
恋は何でもないことから始まる。本当に、その通りだと思った。ななしの気を引きたいがために、人のまばらな図書室へ何度も通ってさりげなくななしの前に座って、滅多に読みやしない本を読んでみたりして。
ななしが読んでいるのは、ハードカバーの分厚い小説だった。図書室を訪れるたびに読んでいる本は違ったけど、共通しているのはどれも恋愛小説らしいってこと。
こいつも、恋愛に憧れたりするのか。なんとなく、意外だった。活字を追っている俯き加減な顔。時折髪を耳にかける仕草をするくらいで、ななしの表情に変化なんてなかったから。どこかでよくできた人形なんじゃないかって思っている俺がいた。
……そんな風に、どこか生きてる世界が違うんだろうなんて思ってたななしが、いつの間にやら俺の目の前で不思議そうな表情をして俺の顔を覗き込んでて。

「山崎くん、何ぼんやりしてるの」
「いや。お前と付き合う前のこと思い出してた」
「変な子だって思った? 四六時中手袋はめてるし」
「逆だ、逆。手袋はめてるのが、なんとなく背徳的な感じした」
「山崎くん、背徳的なんて言葉知ってたんだ、ちょっと意外」
「……馬鹿にすんなよ。一応霧崎に通ってるんだからそれぐらいは知ってるっつの」

俺たち以外に利用者のいない図書室。いつもは手袋に包まれて見ることのできないななしの手が、開いた本の上に乗せられていた。
進学校の生徒には似つかわない、深緑のマニキュアが塗られた爪。窓から入る光を受けて、キラキラとパールが鈍い光を反射している。
背徳的。ななしにはこの言葉が本当に似合う。優等生にしか見えない外見とは裏腹に、ななしの爪にはいつだってマニキュアが塗られている。
……塗られている、じゃおかしいか。俺が定期的に塗り替えて、それをななしが手袋で隠す。肌が弱いからという理由で手袋をしているらしいが、それが本当なのかどうかは怪しいところではある。
少し禿げてきたマニキュア。そろそろ塗り直さないとダメかもな。
次は何色にしてやろうか。秋になるし、ワインレッドなんかいいんじゃね? 優等生そうな外見にもよく似合うし、何よりななしの爪に赤系の色のマニキュアを塗るのが、俺は個人的にとても気に入っていた。
帰りにななしとマニキュア買いに行くか。ななしの爪を眺めながらそんなことを思っていると、私ね、とななしが口を開いた。

「山崎くんの髪みたいなオレンジのマニキュアを塗りたい」
「オレンジ?」
「うん、そう。オレンジ」

――私ね、山崎くんの彼女だもの。見えないところだけど、彼女だってこと主張したいの。
見えないからこそ、なんとなく決まりごとに背いてるような気分にならない? 目を細めて笑うななしに、俺はなにも返せなかった。
ななしの表情があまりにも楽しそうで、色っぽかったから。……こんな顔見れるの、俺だけなんだろうな。そんなことを思うと、ちょっとゾクゾクした。
誰にも知られないようにお付き合いしたいの、山崎くんに迷惑かけたくないから。付き合う時にななしが言った言葉を思い出した。知らない間に付き合ってたけど、きっとこの言葉が付き合うきななしの手袋の中身も知って。まるで共犯者だ。俺たちだけの秘密を共有する、校則に背いた誰にも知られていない共犯者。
共有してる秘密は本当につまらない、些細なことだろうし、校則なんて大した拘束力もないもんに背いてるだけだけど。俺たちはそれだけでなんとなく、いけないことをしているような気がして。
他から見れば、きっとつまんねえことしてるんだなとしか言われねえ。でも俺たちにとっては幸せ、というか、禁断の恋みたいな感じでスリリングなんだ。

「帰りにマニキュア買いに行くか」
「明日除光液持ってくるから、また塗ってくれる?」
「おう。つか、もう決まりごとみたいなもんだろ」
「そうだね。私山崎くんにマニキュア塗ってもらうの好きだよ。山崎くんの真剣な目、かっこいいもん」
「……そうかよ」

カバンを持って立ち上がった俺に続いて、ななしも立ち上がる。背徳の恋人って感じだね、ロミオとジュリエットみたい。
楽しそうに笑ったななしの手には、いつの間につけていたのかいつもどおり白い手袋がはめられていた。
ロミオとジュリエットはちょっと違うんじゃねえの? そう答えながら、俺はこの隠している関係も悪くはないな、と小さく笑みを漏らした。




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