恋しぐれ | ナノ




「なまえさんー!」
「シロさん、ルリオさんに柿助さんも」


執務室で書類の整理をしていた時だった。くるんと弧を描いた真白い尻尾を元気良く揺らしたシロを先頭に、ルリオや柿助たちが執務室に入ってくる。
とことこと駆け寄る彼らにどうしたんですか、と首を傾げると鬼灯の私室に入りたいのだと言う。


「閻魔大王が、なまえさんなら鬼灯様も怒らないだろうって!」
「そう、ですね…起こしに行って特に叱られたことはありませんけど…」


ここのところ徹夜続きで碌に休んでいないようだったから、自然に目を覚ますまで寝かせてあげたいけれど。
もう時計の針は昼を指しており、あまり寝てばかりでも身体によくないか、と思い直す。昼休憩ついでに様子を見ていくことにしよう。
机の引き出しから合鍵を取り出して席を立つと、喜びを表すようになまえの足元をくるくると回るシロに顔がほころんだ。


「じゃあ一緒に行きましょう」
「うん!わーいなまえさんと一緒ー!」
「おいあんまりはしゃぐなよシロ」


柔らかい真白の毛並みを撫でてやってから執務室を出、関係者以外立入禁止、と書かれた看板を越える。
逆さ鬼灯のしるしのある扉まで来ると、妙な威圧感を感じたらしいシロたちが立ち止まった。いつも訪れている部屋だからなまえには感じ取れないのだが、彼らを萎縮させる何かがあるのだろう。


「インディ・ジョーンズってこんな気分なのかな……」
「ふふ、シロさんたちにとっては大冒険かも知れませんね」
「なまえ様がいるから、だ大丈夫だろ…」


怯える彼らを安心させるようになまえがやわく微笑むと、シロたちは強張った身体をいくらかほぐした。
普段無表情で淡々としている分、プライベートな部分は読みにくいのかも知れない。
そう考えると鬼灯にとってなまえの存在が特別なように感じられて、少し胸の奥がくすぐったくなった。ゆるみそうになる頬を引き締めつつ鍵を差し込む。


「どうぞ」
「…ホントだちょっとの音じゃ起きないんだな」
「うん」
「なんとなくああいうタイプって敏感にすぐ起きそうだけどな」
「休みの日は意外とお寝坊さんですよ」


こちらには背を向けて寝入る鬼灯は余程疲れていたらしく、深い眠りに意識をさらわれたままだ。そんな彼を目の当たりにして自然と眉尻が下がる。
なまえには気遣って非番を入れてくれるのに、こちらから休んでくださいと頼んでも滅多に有給を取らない鬼灯には困ったものである。
む、と唇を尖らせながら鬼灯を眺めた。

そんななまえを他所にさっそく好奇心を見出した彼らは物珍しそうに室内を見回す。先ほどの緊張感が嘘のようだ。


「なんだろコレ……変なのー」
「そりゃ蘭鋳って金魚だよ」
「ルリオさん物知りですね。これは鬼灯さんが金魚草コンテストで優勝した時のトロフィーですよ」
「へぇー」


煌びやかなトロフィーを見上げて、シロは感心したように尾をひと振りする。
実はなまえもそのコンテストに出場したことがある。それも鬼灯に無理に押し切られて、だ。結果優勝してしまったのだけれど、やはり矢面に立つのは柄ではないからそれ1度きりとなったのだ。
なまえとしては趣味の範囲内で鬼灯とふたり、ゆったり金魚草の世話をできればそれでいいかな、なんて思っている。


「食玩がちょこちょこあるな」
「結構収集癖があるタイプなんだな」


鬼灯が集めている食玩や貰い物などを眺め、思い思いに探索を始めるシロたちを横目に寝台へと近づく。

傍に膝を突いた時、狙ったかのようにもぞりとこちらへ寝返りを打った鬼灯に少し驚きながら、赤く寝跡のついてしまっている頬から髪を払う。なまえのやわらかな指先の感触を感じたのか、鬼灯のひそめられていた眉がふっとゆるんだ。
すう、とかすかに呼吸を繰り返す薄く開いた唇や、いつもなまえを見つめる切れ長の瞳を隠すまぶたがあどけない寝顔を形づくっていた。


「お疲れ…なんだね…」
「やっぱり起こすのよそうよ」
「そうだな……」


未だ目を覚まさない鬼灯をいとしそうに見守るなまえを見て、シロたちはひそやかに言葉を交わした。

そんな彼らを微笑ましく思いながら鬼灯へ布団を掛け直すと、だったら子守唄でも歌ってあげよう、と提案したシロが口火を切る。
途端に始まる子守唄合戦に苦笑し、ゆらゆらと陽気に横に揺れながら某日本昔ばなしの主題歌を合唱し出した辺りでそろそろ止めないと起きてしまう、と口を開いたその時。


「…でんでんでんぐりがえって」
「バイバイバイッ!!」
「待ちなさい」


地を這うような低い声色に叫びながら逃げようとしたシロの尾をがしっと掴んだ鬼灯はとろりと眠気の残る瞳をなまえに向ける。


「なまえまで…」
「ご、ごめんなさい」
「なまえさんは悪くないよ、俺たちが無理に頼んだんだ!」
「別に怒ってはいませんが…ああ目が冴えてきた…」
「すっ…すみません」


がしがし、と頭をかきながら立ち上がった鬼灯の腕にごく自然に着物を通し、着付けを手伝うなまえ。
その慣れたような仕草と鬼灯の平然さを見ると、毎朝こうして支度をしているのだろう。2人をきらきらとした眼差しで見上げたシロがふるりと尻尾を揺らす。


「鬼灯様となまえさん、まさに夫婦って感じだね!お似合いだよ!」
「えっ、あ…ありがとう、ございます……」
「シロさん、あまり褒めるとなまえがパンクするのでほどほどに」


ぼわりとみるみる内に顔を真っ赤にするなまえは鬼灯の背に隠れるようにして俯いてしまう。
そんななまえを見下ろしながら、初心でその素直すぎる反応も好いているがもうそろそろ慣れてもいいだろうに、と思う。
いや、シロの言葉はまっすぐすぎるので余計心を揺さぶられてしまうのかも知れないが。

洗面台に移動する際もなまえはまだ頬にほんのりと熱をためながら鬼灯の後を追う。わずかに早い心音が耳の奥に響いていた。


「あのね」
「はい?」
「人の身支度ってなんか見ちゃうよね、ちなみに桃太郎は寝起きの顔凄かった」
「別にその情報はいいです」


歯を磨く鬼灯の髪を引っかけないよう気を配りながら櫛で梳いていると、シロがそんなことを言うので寝ぼけた桃太郎の顔を想像してしまう。苦く笑いつつ、最後に1度絹糸のような黒髪をさらりと撫でつければ鬼灯は心地良さそうに目を細めた。
そうして日常となっている支度の手順を終えた鬼灯は、先が見えないほど長く続く廊下を歩き始める。


「そういえば貴方がたどうして私の部屋を知っているんですか?なまえが教えた訳でもないのでしょう」
「閻魔様に教えてもらった、入る許可ももらったよ」
「そうですか、ではシロさん」


3匹を引き連れ、隣に並ぶなまえを見回しながらそう訊ねた鬼灯にシロが答える。
ぴくりと眉を上げてどこからか球を取り出した鬼灯に、ああ閻魔大王が危ない、と目をつむった。
大きく振りかぶり、鬼灯によって放り投げられたそれがぎゅるる、と何かにめり込む音を聞きながら息をつく。


「もうそろそろ家、借りますか…」
「へ?」
「もし2人でいるところを邪魔でもされたら今度は許せる気がしませんからね」


2人にとってとても重要であろうことを他愛なくさらりと言ってのけてしまう鬼灯を呆然と見上げる。
つまりそれは、一緒に住む、ということで。

今までも半同棲のような形だったが今度は文字通りひとつ屋根の下で、ふたりきり。

夫婦という肩書きがある以上、いろいろと想像してしまうのは仕方のないことだ。再び頬を桜色に染めたなまえはふらふらと焦ったように瞳を巡らせたあと、こらえきれなかったのか着物の袖で顔を隠してしまった。


「嫌ですか?」
「……いえ、嬉しい…です…」
「では今度の休み、見に行きましょう」


袖に隠れてもごもごと返事をするなまえをいとしさをふくんだ眼差しで見つめ、近いうちに2人で休めるようにしますので、と淡々と計画を進めていく鬼灯になまえは唯ひとつこくんと頷くだけで精一杯だった。


prev next