獄卒たちの手を借り、書庫の整理をしていた時のことだ。薄らと埃の積もった棚を整理していた唐瓜はある古びた巻物の中身を何の気なしに見やり、浮かんだ疑問を声にする。 「二代目?…鬼灯様の前に誰か補佐官やってたんだ?」 「はい、先代は伊邪那美命様ですよ」 書物を整頓していた手を止め、風化して所々裂けてしまっている半紙を破いてしまわないよう気をやりながらそれをのぞきこむ。 流れるような達筆で記された鬼灯の名前の右隣には二代目第一補佐官、とあった。 なまえや唐瓜たちと比べて古株、風格も持ち合わせている鬼灯の先代がいたとは考えもつかなかったらしい。斯く言うなまえも鬼灯から明かされるまで彼の前任者が居るとは思いもしなかったものだ。 「そもそも鬼灯様って生まれは?子供の頃とかあったのかな?」 「なんか…ダークマターから作り出された鬼と言われても不思議ではないよな…」 「ダークマター、ですか?」 奈落のような闇からぽんと鬼灯が生まれ出たところを想像し、慌ててかぶりを振る。 悪の大王のようなイメージを持たれているのだろうかと首を傾げていると、くるりとこちらを振り返った茄子に問いかけられる。 「なまえさん知ってる?」 「ええ、以前聞きましたけど……私から言うのも何なので、鬼灯さんに直接聞きに行きましょう」 そうと決まれば、と手早く書庫の片付けを終え、唐瓜たちと連れ立って鬼灯が詰めている裁判所へと向かう。 ぞろぞろと顔を揃えてやって来たなまえたちに気を取られたのもつかの間、早速出生のことを訊ねられた鬼灯は文字の上を滑っていた瞳をこちらに投げ、訝しげに眉をひそめた。 「そんな訳ないでしょう、私も人の子ですよ。なまえには話しましたよね?」 「はい、でも私の口から言うのもどうかと思ったので…」 「そう気にせずとも良いのに」 かすかに顔をうつむかせ、うかがうように鬼灯を見上げるなまえの頭をぽん、とやわく撫でると唐瓜たちに向き直った鬼灯から語られたのはむごいとも言える昔話。 の筈なのに、あまりにも他愛ないことのようにするすると述べられるものだから、なまえも初めて打ち明けられた時はどんな反応をしたらいいのか戸惑ったものだ。 村人にみなしごであったことを利用され雨乞いの生贄となった幼い鬼灯がいのちを落とした後、その遺体に鬼火が入り込んだことによって彼は鬼と化した。 そんな残酷な悲話を耳にして、結局こらえきれずになまえが涙をこぼしてしまった当時を思い起こしたのか、ちらりと時折寄せられる眼差しに淡い微笑みを返す。 唇に乗せられたほのかな笑みに鬼灯はどこか安堵したようにふっと息をついた。 「そういえばなまえ様も雨童子とのmixなんですよね?」 「はい、ご存知だったんですね」 「なまえちゃんは記事になったからねぇ、知ってる人多いんじゃないかな」 「ああ、あの時のですか…」 「…今度何か仕掛けて来た時は潰してやります」 幼い頃に起こった苦々しい思い出に困ったように笑ったなまえは鬼灯と顔を見合わせる。 奥歯で苦虫を噛み潰したような表情をして眉を寄せ、不穏な言葉を落とした彼にこの所近しい間柄となった猫又を想い肩を震わせた。 互いを見交わす2人を余所に唐瓜は彼女に関する情報をかき集め、以前聞きかじった話を脳裏に浮かべる。 「確か鬼灯様がなまえ様の後見人になったって聞きましたけど…」 「え!?そうなの!?じゃあ鬼灯様がなまえさんを育てたんですか?」 どうやら茄子は知らない事実だったらしく、興味津々といった具合に瞳を輝かせてなまえたち2人を見上げる。らんらんと煌くその瞳は期待と好奇心が入り混じっており、なまえは苦笑をもらした。 「そう言うと語弊がある気がしますが…」 「なまえの場合突然成長しましたからねぇ」 「じゃ、じゃあいろいろと大変だったんじゃないですかっ?」 「ええ、まぁいろいろと」 ほんのりと頬を赤らめた茄子へ感慨深そうに頷いた鬼灯を不思議に思いながら見上げると、誤魔化すようにふわりと髪を梳かれてますます首をひねる。 何かを想像してしまったのか唐瓜まで顔を上気させたので、仲間はずれにされているようで少し寂しい。 「もう、何ですか皆して!」 「い、いえ別に!それより初代補佐官ってどんな方だったんですか?」 わかりやすく話題を逸らした彼らになまえはむっと唇を尖らせた。 へそを曲げたような視線を送る彼女の肩を鬼灯はなだめるように撫でれば、途端にゆるくやわらいだ頬を確認する。 存外単純ななまえを内心でいとしく思いつつ、今度は先代である伊邪那美命との逸話の口火を切った。 効率的に仕事をこなし、補佐官としての職務も全うする彼女だったが、夫である伊邪那岐命への強い恨みから理不尽な地獄を多く作り出すという所業に鬼灯が痺れを切らし、彼女から補佐官の座を半ば無理やり引き継いだ、という話だ。 前例のなかった仕分けを行ったという事実に感心するやら鬼灯の容赦のないやり方に萎縮するやらで、唐瓜は口元を引きつらせる。 「その後しばらくちょっかい出したりしてきましたけど…元々聡明な方ですから次第に納得して頂けました」 「最近はみえませんが、偶に遊びに来て下さいましたよね」 「ええ、今は大焼処という地獄の一角に御殿を構えて隠居されてます」 久しく大焼処の辺りを視察していないということで、茄子たちの見学も兼ねて彼女の御殿へ出向くことになった。 時たま閻魔殿に訪れる彼女だが最近はあまり目にしていない。 鬼灯と結ばれることも補佐官に任命された時も、心良く祝福してくれた彼女と久方ぶりに顔を合わせられることに喜びを感じながら鬼灯の隣を歩く。 鬼灯が設計したという御殿へとたどり着くと、その異様な光景に唐瓜たちは血の気を引かせる。 門口へと続く柱が何本か地面から伸びており、一本一本に縛り付けられ業火に炙られているのは亡者たちだ。しかもただの亡者ではない、鬼灯を雨乞いの生贄に捧げることを決めた村人その人だった。 いつ見ても並大抵ではない私怨をひしひしと感じるけれど、彼らが鬼灯に施した仕打ちを考えれば当然の処遇だろう。 雑談を交えながら御殿の説明を受けていると騒がしさに誘われたのか、ぎい、と重たい音を立てて重厚な扉が開いた。皆が注目する中、ふたつに束ねられた長い髪を揺らしてそこから姿を見せたのは伊邪那美命だった。 「騒がしいから出てみれば…なんじゃ来ていたのか」 「イザナミ様、ご無沙汰しております」 「おおなまえ、暫くぶりじゃな。また遊びに来ると言ったきり顔を見せんから心配しておったのじゃぞ」 「すみません、私もお話ししたかったのですが…」 大きな屋敷に1人で過ごすのは寂しいのだろう、なまえと談笑するひとときを楽しみにしてくれていたようだ。 仕事が立て込んでいてイザナミの元に赴く時間がなかったとはいえ、心配させてしまったと反省していると彼女に手を引かれて御殿の中へと招かれる。 それを引き留めるようになまえの肩に手を置いたのは鬼灯だ。 「すみませんが視察ついでに寄っただけなので、まだ仕事が残っているんです」 「何じゃ、おぬしは相変わらず可愛くないのう」 「なまえは返してもらいます」 「あ」 力強く身体を抱き寄せた鬼灯に他意はないのだろうが、近づく距離に心臓はあまやかに跳ねる。 確かに彼の言うとおり、こなさなければならない職務は山積みだ。ほのかに色づく頬と騒がしい胸を携えて不満そうに眉を寄せるイザナミへと向き直った。 「すみません、今度の休日にでもまた寄らせてもらいます」 「…仕方ないのう、約束じゃぞ」 「はい」 「イザナギのように違えたりするなよ」 「は、はい」 その瞳に一瞬燃えるような光が宿り、身をすくませながらこくこくと何度も頷く。手をあげて御殿へと消えていくイザナミの後ろ姿を見送り、ふうと安堵の息をついた。 彼女と歓談するのはとても楽しいけれど、ひと度伊邪那岐命が話題にのぼると態度が豹変してしまうのだ。 それほど根強い恨みが彼女の中に巣くっているということなのだろう。 物思いにふけるなまえを現実に引き戻すようにぽんぽん、とやわく頭を撫でられて鬼灯を見上げる。 「視察に行きますよ」 「あ、はい」 「じゃあ俺たちは持ち場に戻りますね」 「はい、がんばってくださいね」 両手を大きく振って去っていく茄子と折り目正しく頭を下げる唐瓜にふわりと手を振って別れる。 なまえの歩調に合わせて普段よりゆったりと足を運ぶ鬼灯を見つめ、次いで小さくなっていく御殿を振り返った。 もしも鬼灯に裏切られたとしても、それがどんな形であれ恨みを持つことなど出来ないのだろうとなまえは思う。 今こうして何気なく歩いている彼の隣は鬼灯に出会わなければ与えられなかったもので、手にすることも叶わなかった場所だ。それを想うだけで甘露を溶かしたようなあたたかな想いにあふれる心を知れば、彼に憎悪を向けることなど出来る筈もない。 確かな幸せで胸が満たされるこの感覚を知れただけで、彼への怨恨など流れゆく水のようにどこかへ消え失せてしまうのだろう。 そう考えて、なまえは淡く口角を沈ませたのだった。 |