「―閻魔大王は甘いです」 賽の河原の視察から帰ってきた鬼灯は、開口一番閻魔に苦言を呈した。聞けば地蔵菩薩の派遣が頻繁すぎる、とのこと。近頃事あるごとに地蔵様にすがりつく子供が多くなっているようで困っているのだそうだ。 「イヤ〜まあねェ…でもあんな小さくして亡くなったことを思うとね…」 「気の毒ですよね…甘くなってしまうのもわかります」 ううん、と揃って難しい顔をするなまえと閻魔に、鬼灯は切れるような視線をやる。 ひとつの難題を前に頭を悩ませる彼らの様子を見ていたのか、しゃらんと錫杖を鳴らしながら近づくのは渦中のひと、地蔵菩薩だ。 相も変わらないその優しげな笑みはこちらまでほっこりとしてしまう不思議な力を持っている。どんな怒りや悲しみを胸に抱えている人でも、この微笑みを目にしたらたちまち負の感情をすすぎ流されてしまうのではないかと思うくらいだ。 「お疲れ様です」 「鬼灯様は相変わらずお厳しく、一方で閻魔大王となまえ様はお優しい。どちらも大切です」 地蔵菩薩である彼は閻魔大王の化身で子供を守る役目を担っている。道祖神と習合したため、現世の各地の路傍で石像も祀られているのだ。 菩薩も加わり議論を交わしていると、偶々通りがかったのかとことこ、と愛らしい足音を立ててシロがやって来た。真白の獣が不思議そうにまばたきをひとつして地蔵菩薩の服の裾を噛むのを見たなまえは鬼灯と一緒になって嗜める。 「コラ、シロさん」 「石じゃない?」 「あれは私を象った石像ですよ」 「閻魔様の化身ってどういうこと?」 「地蔵菩薩と閻魔大王はセットなんです」 十王にはそれぞれ救う顔と裁く顔、所謂飴と鞭の側面が備わっている。鞭が十王、飴が菩薩や如来のことだ。 つらつらと並べられた鬼灯の説明を理解したのかしていないのか、暫くこてんと首を傾げていたシロはぱっと頭上に光を灯す。 尻尾を振りながら得意そうに鬼灯となまえを見上げる彼にふたりは顔を見合わせた。 「じゃあ鬼灯様がムチ、なまえさんがアメだね!」 「えっ?」 「だって2人とも補佐官で夫婦なんだからセットでしょ?」 ね!と元気良く同意を求めるシロに鬼灯とお互いを見交わしたまま、くすりと笑みをもらす。 傍から見てそう思われるくらいには、なまえが鬼灯の隣に添うことを認められているのならこんなに嬉しいことはない。 へにゃりとだらしなく緩んでしまう頬を節くれだった指先でついと軽く挟まれて隣を見上げる。 「緩んでますよ」 「だって嬉しいんですもん」 「…仕方のない人ですね」 そうこぼしながらもどこかやわらかい眼差しをなまえから離すことのない鬼灯も、シロの科白を否定しようとはしない。 視線をからませあった2人の間にたゆたう気配はあまやかなもので、そんななまえたちを見た菩薩が包み込むような笑顔をかたどる。 「お2人とも仲が良くて微笑ましいですね」 「あ…す、すみません!」 「謝ることはないですよ」 目元にほんのりと朱を散らすなまえに一層あたたかな微笑を送る菩薩。似たような気質を持つ2人の周囲には目には見えずとも癒されるような、ほんわかとした雰囲気が漂っていた。 「……うーん、和みの空間が出来てる…やっぱりこの中で1番"ムチ"なのは鬼灯様だよね」 「そうですか?」 「じゃあ子供が万引きしたら4人はどうする?」 諭します、と答えたのが菩薩、叱ったあと親に報告すると言ったのが閻魔。なまえは少し考え、悪いことだと自覚させるためにも諭すのが良いのでは、と告げた。 鬼灯はというと。 「鼻血が出るまでひっぱたきます」 「…やっぱり閻魔様が中間なんじゃないの?」 鬼灯らしい懲らしめ方だけど、賽の河原の子供たちにも平手を食らわせたりしていないだろうかと心配になってくる。 苦く笑っていると、弱り果てた様子の獄卒が走り寄ってきた。 「鬼灯様ー!賽の河原で困った事態が…」 「……少し出て来ます」 「わ、私も行きます!」 賽の河原は菩薩の管轄下のため、彼も連れて駆け出す。 金棒を肩に携えた鬼灯が度を過ぎた制裁を加えないかと懸念を覚えながらも、なまえはひとり眉尻を下げた。 賽の河原の子供たちが無茶な行動に出てしまうほど辛い思いをしていることを察してあげられなかったなまえにも責任はあるのだ。 うつむきがちな彼女の頭に、不意に降って来た優しいぬくもり。そろりと隣を見やっても前を見据える鬼灯と目は合わなかったけれど、分かり難い彼の思い遣りが心にじんわりと沁み渡った。 それにしても折角現世への転生を許された子供たちも居るというのに、何があったのだろう。 気を取り直して様々な思考を巡らせながらたどり着いた賽の河原では子供たちが獄卒を吊るし上げていた。殴りつけられたのか、いくつも瘤をこさえた彼に息を飲む。 「今時珍しいガキ大将が反乱を起こしましてね…」 「子供の集団って恐ろしいですねえ」 「あの方怪我を……、早く手当てしなきゃ…!」 「今近づけば却って刺激してしまいます」 今にも飛び出さんとするなまえの手を掴み、自身の背後に引き寄せた鬼灯を見つめると心配するなとでも言いたげな眼差しが返ってくる。 信頼するに足るそれにこくんと頷き、彼らに目を戻すと、要求は自分たちの転生だと言う。 触れれば爆発してしまいそうな幼子たちをはらはらと見守っていると動かない鬼灯たちに痺れを切らしたのか、彼らの中で大将を気取る1人が大きく叫んだ。 「オイこっちには人質がいるんだっての!どうなってもいいのか!?10秒待ってやる、答えろ!!」 「別にいいです好きにしてください」 「ほ、鬼灯さん?」 ほとんど間を置かずにさらりと快諾した鬼灯の袖を掴むと、1度きゅっと手を握られてやわらかな手つきで外された。肌に残るそのあたたかな感触に彼を仰ぐが、何か奥の手でも隠し持っているのか動じた様子はない。 鬼灯の冷然とした対応に動揺が走ったのはあちらの方で、輪を作りひそひそと話し込んでいる。その合間から耳に届いた碼紫愛という名前に敏く反応した鬼灯が名簿を取り出した。如何やら碼紫愛という名の彼が首謀者のようだ。 「ホントだ木村碼紫愛…」 「めしあ…」 「そこつっこまんといて!あと何か平仮名だと可愛い感じになる!」 因みに彼の隣に立つ彼女は佐々木桃羅流というらしい。 モラル、なんてなまえの産まれた時代には無かった言葉だ。所謂キラキラネームというものだろうか。しかしその名の通り人一倍モラルのあるらしい彼女は他の子供たちと一緒になって反抗を示した。 ぎゃあぎゃあと一際激しくなった彼らの主張にどうしたものかと思案していると、なまえと同じく傍観していた菩薩地蔵もさすがに見兼ねたのか優しげな声をかける。 「落ち着いて!みんな、こんなことしても出られないよ」 「じゃあやめるから助けて!」 「みんなも本当はこうしてもダメだって気付いてるでしょう?いい子だもの」 まばゆいほどの後光が差す菩薩に、それまで懸命に異を唱えていた子供たちは萎んだように大人しくなっていく。彼からあふれ出る穏やかな空気はささくれた棘を落としていくように子供たちを包み込んだ。 彼らを束ねていた餓鬼大将も暫しぼうっと惚けていたが、我に返ると再び反発をし始める。 「…彼には敬意を表して私が一つ諭してあげましょう」 「鬼灯さん?何を…」 なかなかに気概を見せる彼の手を捕まえた鬼灯が懐から取り出したのは、ぎらりと光を弾く針を持つ注射器だった。ご丁寧に逆さ鬼灯のついたそれは彼が特注でもしたのだろうか。 しかしそれは多大な効果を発揮したようで、直様謝罪した彼になまえはゆっくりと近づいていく。 「確かに、長い間ジェンガだけを積む修行を苦痛に感じるのは当然ですよね。私も一緒に考えますから、みんなで楽しめるように工夫しましょう」 「姉ちゃんも一緒に?本当か?」 「うん。一緒にがんばりましょう」 素直に頷いた彼の頭をあやすように撫でると、照れたようにふいっとそっぽを向いて皆の元へ駆けていく背中を見守る。これで一件落着だ、となまえは安堵したように吐息した。 砂利の音を立てながらなまえの隣に佇んだ鬼灯の手から凶器は消えていたが、くすりと笑みをこぼして彼に視線をうつす。 「子供たちにとっても脅威ですけど、鬼灯さんも苦手ですもんね、注射」 「…さて何のことやら」 「今年もちゃんと予防接種受けてくださいね?」 「……わかってますよ」 なまえにのぞき込むように見上げられながら念を押され、渋々首を縦に振る鬼灯は注射を嫌っているのだ。 鬼灯の唇は不満そうにかすかにへの字に曲げられ、悪寒が走るのかぞわりと粟立つ腕をさすっている。 弱点など全くなさそうな彼の意外な弱み。 いくつ年月を積み上げても苦手なものがある、そんな幼いところもいとおしいと思ってしまうもので。なまえは呆れと慈しみの交じった笑みを咲かせ、なだめるようにその大きな手のひらに自身のそれを重ねたのだった。 |