「バカ」 「カバ」 「化け物にカバと言われたくないですよ」 「よく言うよお前が化け物だろ」 今日も今日とて顔を合わせれば喧嘩ばかり。先手必勝とばかりに繰り広げられる諍いは、手が出ていないだけまだ良い方だ。 投げ交わされる言葉の応酬をよそに、なまえは膝に抱き上げた白くやわらかな毛並みを撫でる。 「あ、あのなまえさん…止めなくていいんですか」 「大丈夫ですよ、鬼灯さんが暴力に走らない限りはまだまだ序の口です」 にこ、と朗らかに笑うなまえは呑気にうさぎとじゃれ合っている。 彼女だけを切り取ればこちらまで笑顔を誘われてしまうほどの何とも和む空間なのだが、隣から発せられるずしりとした威圧感に桃太郎の心拍は嫌な意味で上がるばかりだ。 そんな桃太郎を気にも止めず次々と言葉を連ねていく鬼灯と白澤に、なまえは困ったような笑みを浮かべる。 「それに鬼灯さんたちは…」 「極楽蜻蛉!」 「朴念仁!あっヤベッんがついた」 「しりとりしてるだけですから」 驚愕する桃太郎に白澤はしりとりならぬしりあげ足とりだと言う。碌なものを取っていない上に相手に屈辱を与えるその遊びは何とも2人らしいというか、本当に仲が良いのか悪いのかわからない。 鬼灯たちの不仲を知って大分経つなまえにも理解出来ない部分だ。 「私はこんなことしてないで早々に帰りたいんです」 「私ももう御用はないのですが…」 「ダメダメ!久しぶりに会ったんだからなまえちゃんと話したいの!っていうかお前が邪魔しなけりゃ彼女との仲をもっと深められたってのに」 「…昨夜なまえが天国に行くと言った時点で嫌な予感はしていたんですよ」 鬼灯に休息を勧められたなまえは、少し足を伸ばして高天原デパートまで買い物に出かけたのだ。といっても元々欲に乏しいなまえは多種多様な商品が並べられている棚を眺めるだけで充分気晴らしになってしまって。結局購入したのは鬼灯と茶を楽しむ際、お茶請けに良いだろうと思った和菓子だけだ。 存分に羽を伸ばしたその帰り、ついでに薬も貰おうと白澤の店に寄ったのだった。 そこで暫くの間、白澤が囁く調子のいい甘い科白を躱しながら歓談していると、仏頂面を引っ提げた鬼灯が訪れ……彼らの戯れが始まったのだった。 「薬はまだですか」 「もうちょっと煮えるまで待ってください」 「桃太郎さん、すっかり様になっていますね」 「うんうん、板についてきたよねー」 白澤のだらしなさが程よく良い影響を与えているのだろう、くるくると鍋をかき混ぜる桃太郎の背には貫禄に近いものが滲み出ていた。 そんななまえの言葉に白澤も師として鼻が高いのか、どこか嬉しそうな笑顔を面に乗せる。 彼と桃太郎を見比べて、こてんと首を傾げたなまえはふと浮かび上がった問いを口にする。 「そういえば白澤様の三角巾、少し着け方が違いますね」 「うん?そうだよ、だって僕は本来ここにも目があるんだから」 「わ、おでこにも目が…」 普段はそのさらりとした前髪に隠されているためなかなか目にすることが出来ないが、白澤の額にはもうひとつ目があった。他にも体に6つ、角も6本あると言う。 そういえば神獣姿や人間の姿に成る時は衣服はどうしているのだろう、とささやかな疑問に頭を捻るなまえへ、何処となくいやらしい微笑みを浮かべた白澤がやんわりと身を寄せる。 「もっと詳しく知りたいなら教えてあげるよ?もちろんベッドの」 「目潰し!!」 「ほ、鬼灯さん」 「お前危ないだろ!!」 すすす、と肩を撫でる手を上手く避けつつ囁かれたその言葉を白澤が言い終わるか終わらぬ内に、鋭く突き出された鬼灯の指。 白澤はさっと身を捩り、瞳を狙って正確に繰り出された3本の凶器から何とか免れた。鬼灯は重たく舌を打ちながらなまえを白澤から遠ざけるようにかばい、その肩にそっと手を添える。 「あまりアレに近づいては駄目だと言ったでしょう」 「アレ呼ばわりかよ!」 「なんか病原菌みたいっスね」 「……えっと…あ、あの本何ですか?」 「ああ、鳥山石燕君の」 場を取りなそうと告げられたなまえの言葉に、白澤は作業台の隅にぽつんと置かれていた本を手に取り、ぱらりと捲る。それは様々な妖怪について記載された本だった。 手渡された頁を鬼灯と2人でのぞきこめば、そこに描かれていたのは神獣姿の白澤。絵の中の彼は少し豚にも似ている顔のつくりをしている。 ぷす、と吹き出した白澤はそこはかとなく馬鹿にしたような声音で笑った。 「しかしさァ、その絵もちょっとないよね」 「お前の自画像より数倍マシだろ」 「白澤様の自画像…」 「なまえ、反応しなくていいですから」 白澤の絵に妙な魅力を感じているらしいなまえは、きらきらと瞳を輝かせ期待を込めた眼差しで鬼灯を見上げる。 それに釈然としない想いを腹に抱えながらわずかにため息をついた。 なまえと白澤の馬が合うのは以前から知っていた。女には優しく決して粗末には扱わない白澤と、元来穏やかな気質のなまえ。2人が居合わせればまずその和やかな空気が壊されることはないだろう。それに加えて嗜好もぴたりと重なればお互いに好感を抱くのも道理だ。 無論なまえの白澤に対する想いに友愛以上のものがひと欠片だってないということは承知している。 が、はいそうですかと彼女たちが2人きりでいることを易々と受け入れられる筈もなく。 「……厄介ですね」 「え?白澤様の酒癖の悪さがですか?」 「…弱い上に酔うと収拾がつけられなくなるのは如何なものかと」 厄介なのは頭では理解していても心の中心にしこりのように残る、消化し切れない独占欲にも似た感情なのだが。 どうやら鬼灯が物思いに耽っている間に、白澤がいかにして自画像を描かれることになったのかという話題に移っていたようだ。 酒にひどく酔っていた白澤は天から足を滑らせ、落ちた先が黄帝の元だったと言う。捕らえられた白澤は魚拓ならぬ白澤拓をとられそうになり、代わりに一万五百二十の妖怪について白状することにしたらしい。 妖怪からしてみればはた迷惑な話である。 「それにしても、白澤様ってよく落ちますね……私と初めて会った時も酔ってらしたんでしょう?」 「うん…あれは花街で飲んだ帰りだったよ、痛かったけどあの時はラッキーだったな〜、落ちた先でこんな可愛い娘と出会えたんだから」 「では、次は堕ちますか」 「どこにだよ!響きが不穏!」 へらりと軟派に笑う白澤に静かに青筋を立てた鬼灯はす、と長い指を下へ向けて低く呟く。再び火花を散らしかけた鬼灯たちは間に割り込んだなまえに諌められ、ふいっとお互いから顔を背けた。 そうして気を取り直したように口を開いたのは白澤だった。 「そういえばあの時はどうしてあんなに酔っ払ってたんだろう」 「天国から落ちてしまうくらいですもんね」 「うーん…」 「…ところで改めて考えてみると4千年前って凄いですね」 「私は産まれてすらいませんね…」 桃太郎の言葉にうんうん、と頷きながら感心する。人間が創りあげた歴史と文化は長く続き、発展はとどまることを知らない。それも地球の歴史から見れば短いものなのだから、世界というのは不可思議な上に偉大である。 「その頃鬼灯さんは何してました?というかいました?」 「いましたよ」 「昔のお話聞きたいです!」 「そうですね、あの頃日本はゴタゴタしてましたねぇ」 ぱっと明かりが灯ったような表情を向けたなまえに、鬼灯は刻み込まれた眉間のしわをゆるめながら当時の記憶を脳裏に蘇らせる。 それはまだ地獄法が制定される前のこと。地獄は黄泉と呼ばれていた。あの世の制度を整えるために黄泉中が混乱していたのだ。多くの神々が各地を巡り、あの世の秩序についての研究を重ねていた。もちろん鬼灯も例外ではなく、中国へと赴き、様々な場所を見て回っていたこともあった。 「そういえば…」 「どうかしたんですか?」 「いえ、知識に長けた者に会ったので酒を飲ませて色々と吐かせたのですが…」 太陽がふた回りする間飲み明かし、相手の方はすっかり酒に酔い痴れてしまったらしい。鬼灯はその時から酒豪だったようで、つらつらと吐露させた裁判制度の仕組みについて存分に知識を蓄えることが出来たと言う。 それはいいのだが、覚束ない足取りで水を飲みに行ったその人物はつるりと足を滑らせ、宙に身を投げてしまったようで。 まさか、と口元を引きつらせながら白澤を見やると、同じ結論に至ったらしい彼が歯をぎりりと食いしばりながら憎々しげに呟いた。 「元凶お前かよ」 「…あれくらいで潰れる何てだらしがないですね」 「……」 「……」 「も、桃太郎さんお薬出来ましたか!?」 「は、はい今お渡しします!」 ぎり、と鬼灯の拳に力が入ったのを目に止めたなまえは慌てて睨み合いが始まった彼らの間に入る。手渡された薬を素早く懐に入れて鬼灯の手を引けば、衝突させていた視線を漸く外した彼が歩き始めた。 「で、では白澤様、桃太郎さん、私たちは帰りますね」 「今度は僕から会いに行くよー」 「来なくていい」 「…さ、さぁ行きますよ鬼灯さん!」 嫌悪を露わにする鬼灯の腕を抱え、引きずるように店を出る。 穏やかに降り注ぐ日差しに目を眇めつつ肩を並べた鬼灯を見上げると、未だ不愉快そうにひそめられた眉が目に付いた。まだ腹に据えかねている様子の彼の気を何とか逸らせようと、手にした紙袋を持ち上げる。 「これ、鬼灯さんが好きな和菓子店で買ってきたんですよ!おやつに食べましょうね」 「…それはいいですね」 「あー……あの…えっと…」 「……なまえ、私が菓子につられて機嫌を治すとでも思っているのですか」 もっと簡単な方法を知っているでしょう、とでも言いたげな眼差しを寄せられてほんのりと目元を染めたなまえは恥ずかしそうに1度まぶたを伏せた。彼女の長い睫毛がふるえ、桜色に色づいた頬に影を落とす。 足を止めたなまえに倣って鬼灯も彼女へ向き直ると困ったように上目で見つめられ、加虐心といとおしさに胸の奥が甘くくすぐられるのを感じた。 「それで、なまえは私の機嫌を取るのにどんなことをしてくれるのでしょう」 「……、鬼灯さんのばか」 小さく囁き落とされた言葉と共に、肩に触れたなまえのやわい手のひら。く、と踵を持ち上げた彼女は、まるで緩やかにそよぐ風が肌を撫でるように、鬼灯の頬にそおっと唇をつけた。 その愛くるしく優しい感触に軽く目を見開いた鬼灯の視線に羞恥を煽られ、なまえはたまらず声をもらした。 「……な、何ですか…」 「いえ、…口づけをされるとは思っていなかったので」 「鬼灯さんが機嫌を取れって言ったから、が、頑張ったんですよ……!」 拗ねるように、気恥ずかしさを誤魔化すように唇を尖らせたなまえは耳まで火照らせ、くるりと踵を返した。 鬼灯の一言で爪の先まで羞恥に染める彼女は全く愛々しいひとだ。 はぐらかしたつもりなのか、態とらしく肩を怒らせてすたすたと前を行ってしまうなまえを追いながら、鬼灯はふっと瞳を細めたのだった。 |