むせ返るようなアルコールのにおいが漂い、楽しげな声が賑やかに響く居酒屋の店内。 そこの一角、周囲へ無言の威圧を撒き散らしながら、より一層深いしわを眉間に携えて升片手に酒を呷るのは鬼灯だ。 その隣になまえの姿はなく、おまけに犬猿の仲である白澤と鉢合わせてしまったのだから彼の機嫌は最底辺を彷徨っていた。 「そういえば今日なまえちゃんは?」 「記録課の書庫整理をすると言ってまだ残業してますよ」 「最近は補佐官の仕事ばかりだったから手伝いたいって言ってたよ、真面目だねぇ…」 ふうん、と呟いて日本酒を口に含む白澤はちらりと鬼灯の方を見やる。なまえと鬼灯はセットのようなものだから、彼女がいないとつがいをなくした鳥を見ているようで、妙に隣が寒々しく思えた。 心なしか寂寞をにじませるその横顔を眺めていると、白澤の視線に気がついたのか嫌悪感を隠すことなく表情を歪めた鬼灯が苦々しく口を開く。 「何ですか人の顔をじっと見て、気色悪い」 「んだと!?……こんな奴になまえちゃんがなびいたことが未だに信じられないよ」 「は、何を今更。なまえが私を好いていなくとも貴方にだけは傾かなかったでしょうね」 「どういう意味だ!」 「そのままの意味です」 先ほどお香に止められたのにも関わらず、再びバチッと火花を弾く2人をまあまあと閻魔がいさめる。 それに曖昧に頷きつつ、寂しそうだなんて勘違いだったかと白澤は鬼灯から視線を逸らした。 白澤は電灯の光をなめらかな水面に映す液体をぐいっと飲み干し、ここにはいない彼女のことを思い浮かべた。 艶やかな黒髪にほんのりと桜色が差したやわい頬、華奢な肢体。 こんな虫さえへばりついていなければなまえちゃんとあんなことやこんなことが出来たのに、などという不埒な考えが面に出ていたのだろうか。不快そうに唇を曲げた鬼灯がこちらを睨みつけている。 「ところでさぁ、どこまでいってんの?」 「…は?」 「だから、なまえちゃんと!一緒に暮らしてるんだろ?まぁ夫婦なんだし、行くとこまでいっちゃってるよなぁ、いーなー」 「白澤様飲み過ぎじゃないですか?」 「……」 眉間にきゅっと深い谷を刻んだ鬼灯を横目に見る。そねむようなその科白に内心で眉をしかめるのは白澤も同様だった。 ついこの間、なまえが店に来た際鬼灯と共に暮らすことになったと、それはそれは嬉しそうにとろけさせた笑みを向けられながら報告されたのが事の発端だった。 その笑顔がどうにも心にしこりを作って、喉の奥に魚の小骨を引っかけているような違和感が白澤の胸に影を落としていた。 酔っ払いの中年親父のような絡み方をする白澤を見かねた桃太郎が制止すると、細めた切れ長の瞳を白澤に突き刺した鬼灯は舌を打ちながら顔を背けた。 「で?どうなんだよ、なまえちゃんとは」 「白澤様ってば」 「桃タロー君も気になるでしょ?」 「え、えー……まあ…」 「桃太郎さんまでですか……夫婦間のことに口出ししないでください下品な中年オヤジの様ですよ、歳的にはジジイでしょうけど」 「なんだと!」 まだ手は出ないものの、ギッ、と射殺すような眼差しをお互いに向ける鬼灯たちにお手上げ状態の桃太郎はなまえさん早く来て、と心の中で助けを呼ぶ。 その願いが通じたのか、からりと居酒屋の戸が開き、顔をのぞかせたのはその場に居合わせる誰もが待ち焦がれていたなまえだった。 しかし何やら様子がおかしい。胸を押さえて肩で息をする彼女に首を傾げつつ、鬼灯が声をかける。先ほどまで相手を切るようだった声色は見る影もなく、柔らかさすらはらんでいた。 「なまえ遅いですよ」 「すみませんでした……、っあ、あのそれより大変なんです!叫喚地獄の獄卒の方から連絡があったんですけど、」 息せき切らすなまえが言うには、どうやら叫喚地獄の亡者達が八岐大蛇が所持していた酒を奪ったらしい。獄卒だけでは手のつけられない事態になっており、大規模な酒宴が開かれている、と。 けほ、と噎せながらそう伝えるなまえの背を労うようにさすり、金棒を手に立ち上がった鬼灯に慌てて閻魔が声をあげる。 「鬼灯君ワシも行くよ!」 「大王はどうぞここにいてください、上司は会議室にいていいのです。現場へは部下である私が行きます」 一際きりりと表情を引き締めてそう言う鬼灯だが、その目は邪魔だと言わんばかりだ。 「鬼灯君……カッコ良く言ってるけど要するに厄介払い!?」 「うん目立つし邪魔!!なまえは落ち着いたら来てください」 「は、はい」 閻魔殿から走って来たなまえは未だにばくばくと心臓が暴れ、足にもあまり力が入らず動けそうにない。 心配そうに瞳を揺らして鬼灯を見上げるなまえの髪を安心させるようにひと撫ですると、足早にその場を去ろうとする彼の背を桃太郎の声が追いかける。 「何か手伝いましょうか!?」 「あそこの亡者はとにかくタチが悪い、なまえ1人なら守れますが危険ですからついて来なくていいですよ」 「なまえちゃんしか守る気がないの間違いだろ」 ストローをくわえながらそう呟く白澤に反応を示すことなく走り去る鬼灯の背中を、なまえは不安そうな眼差しで見つめる。 亡者に限らず酔ってしまえば誰であってもどんな行動を起こすかわかったものではないし、ただでさえ叫喚地獄は酒に溺れて罪を犯したものが堕ちる地獄だ。鬼灯なら返り討ちにしてしまいそうだけれど万が一、ということもある。 はらはらと落ち着かない胸を抱えて腰を上げたなまえを気遣うような声音が降りかかった。 「なまえちゃんもう平気なの?」 「はい、早く行かないと鬼灯さんが…」 「……君はいっつもアイツのことばっかだねぇ。なまえちゃんらしいけど」 偶には目の前にいる男のことも心に置いてくれないかな、と小さく囁いた白澤の言葉は彼女には届かなかったのか、不思議そうな顔で見上げられて困ったように笑う。 さて、と気を取り直した白澤はひょいっとなまえの手を握り、来るなって言われると行きたくなるよねぇとひとり言のように呟く。 そのままなまえを導くように歩き始める白澤の腕を慌てて引いた。 「だ、駄目ですよ危ないです!」 「その危険なところになまえちゃんが行くんだろ?放っておける訳ないよ」 「でも…」 「それに僕に乗っていった方が早いよ、急ぐんでしょ?」 そう重ねるように言う白澤になまえは口をつぐむ。頭をよぎるのは鬼灯の後ろ姿だ。 なまえは躊躇うように瞳を宙へ漂わせたのち、白澤に向かってお願いします、とぺこりと頭を下げる。 それに笑みを浮かべてやりながら、白澤は名残惜しむように、その感触を胸に焼きつけるようにきゅっとやわい手に力を込めたあと、本来の姿へと身体をつくり変えたのだった。 |