細く白い指先に挟まれた小さな瓶は、光に透かすと中に詰まった桃色の液体がゆらめいた。光を浴びてきらきらと瞬くそれは、何故だかなまえを惹きつける。 そんななまえを横目に鬼灯は静かに眉をしかめた。 「ジョークアイテム、ですか?」 「ええ。鬼灯様にも同じような物をあげたんだけど、あれはランダムな効果が出る物なの。でもこれは違うわ、飲んだ人間を小さくするお薬よ」 「小さく…?」 「要するに幼児化?子供に戻るってことね」 そう言ったリリスはいたずらに瓶を左右に揺らし、その度にきょろきょろとそれを追うなまえの視線にくすりと微笑んだ。 なまえは普段、喧騒と言ってもいいくらいのにぎやかな周囲を見守るような立ち位置にいる。けれど穏やかな気質の持ち主である反面、好奇心がからむと忽ち大胆な行動に出ることは彼女と出会ってからそう経たないうちにわかった事実だ。 隣で、まるで彼女の番犬のようにリリスの言動を監視する鬼灯はその薬がお気に召さないらしく、きゅっと唇を結んだままだ。 彼の意思に反して桃色を見つめるなまえの眼差しにゆらゆらと好奇が立ちのぼったのを見止め、リリスは満足そうに口角を持ち上げた。 「コレ、あげるわ」 「いいんですか!?」 「ええ、なまえちゃんたちにはこれからも愉しませて貰えそうだし…先行投資よ」 「受け取れません」 「え…どうしてですか…?」 一刀両断するようにきっぱりと切り捨てる鬼灯へなまえの残念そうな瞳が投げられる。 裏があると疑ってかかっているのか、いつもならしゅん、と眉を下げるなまえに甘い一面を見せる鬼灯も今回ばかりは首を縦には振れなかったようだ。 憮然とした姿勢を見せる鬼灯を暫く眺めていたリリスは、彼の腕にするりと自身のそれを巻きつけて、なまえには聞こえないよう声を落とした。 「鬼灯様にとってもチャンスかも知れないわよ?きっと彼女、貴方にコレを使うだろうからそれと引き換えにイロイロとお願いしちゃえばいいのよ」 「お願い?」 「なまえちゃんが普段恥ずかしがって出来ない…いろんなことよ。大丈夫、数時間で元に戻るし副作用もないわ」 ね?と囁くように紡いだ言葉を最後に離れていくリリスを見下ろすと、にこりと真意の読めない笑顔を向けられてため息をついた。大方なまえや鬼灯の反応を愉しんでいるだけなのだろうが、こちらとしては面倒ごとは避けたいものだ。 けれど、その"お願い"もなかなか捨てがたい。 なまえを見れば不思議そうに鬼灯とリリスを交互に見つめている。 あまり彼女に何かを強要したことはない、と自分では思っている鬼灯はふむ、とひとつ頷く。他人に幼子の姿を見られるのは堪らなく癪だが、なまえにならば。 リリスにいいように唆された気がするのは否めないが、そこには目を瞑って彼女から小瓶を受け取り、なまえの手に落とす。 「まぁいいでしょう。示し合わせたかのように今日は非番ですし…」 「わぁ、いいんですか!?」 「話はまとまったみたいね?アタシはもう帰るから、今度感想聞かせてねー」 はいっ、と元気よく答えるなまえは手のひらに包み込んだ小瓶を大切そうに胸元へ寄せた。 ひらひらと手を振り、たおやかに身を揺らし去って行くリリスを見送って家へと戻る。 そう、彼女と立ち話をしていたのは自宅の、ほんの玄関先だったのだ。 どういう訳か2人の新居を聞きつけたリリスは観光も兼ねてEUから訪ねて来た、ということだったが、誰が垂れ込んだのか気になるところだ。 顎に指を当てる鬼灯の袖を待ち切れないとばかりに引いたなまえは、星でも飼っているかのようにきらきらと瞳をまたたかせて鬼灯を仰いだ。 「鬼灯さん、飲んで下さるんですよね!」 「はいはい、分かりましたよ」 「私前から鬼灯さんの子供の頃のお姿見てみたかったんです!」 その想いの源はお香を混ぜた3人で居た際、話題に上った教え処時代の話だろう。 身を乗り出す勢いで興味津々に当時の様子を聞いていたなまえを思い出していると、恥ずかしそうに目を伏せた彼女が口を開く。 「鬼灯さんの子供時代って想像がつかなくて…ずっと見たいなって思ってたんです。鬼灯さんは私の小さい頃を知ってるのに私は知らないなんて不公平じゃないですか? ……それに…お香さんがちょっとだけ、羨ましいなって…」 思っちゃって、と困ったように笑うなまえ。 そのやわらかな髪を梳くように撫でてやりながら、彼女から瓶を受け取る。そうして如何しようもなく感じてしまういとおしさを一緒に飲み込むように、桃色の中身を嚥下した。 わずかに頬を赤らめたなまえはどきどきと胸を弾ませながら鬼灯を見上げる。最後の一滴まで飲み干すと、彼女の顔がぼんやりと輪郭を失っていった。 ぐるり、と景色がマーブル模様に交わっていく。 その上も下もわからなくなるような感覚に鬼灯が思わず壁に手を突くと、漸くはっきりしてきた視界に飛び込んで来たのは紅葉のようにぽてりとした小さな手のひらだった。目線も随分と低い。 なまえを仰ぐだけで首が痛くなってしまいそうだ。 「ほ、鬼灯…さん?」 「…はい」 「………か、」 「か?」 「かわいいですっ!」 肩からずり落ちそうな着物を胸元で握りしめ、仏頂面は相変わらずだがこちらをじっと見上げる大きな瞳。 ふくふくとした柔らかそうな頬に小さな唇、幼くなった鬼灯はなまえが思わず抱きしめてしまったのも無理はないほどに可愛らしい外見をしていた。 鬼灯はなまえの腕の中に大人しくおさまっているものの、その口元は不機嫌そうに引き結ばれている。 「あ、とりあえず座りましょうか」 「はい、…ってなまえ、何を」 「だってそんなに大きな着物を纏ったままでは歩けないでしょう?」 なまえの言う通り、今身を包んでいるのは縮んでしまった鬼灯には大きすぎる着物。確かにずるずると引きずってしまうほどに裾が余っている。 そんな鬼灯を配慮してかなまえにひょい、と抱き上げられたのだ。 抱かれ慣れていないため、ぐらぐらと揺れる身体に上手くバランスが取れずにいると、ぽんぽん、と背中を優しく叩かれて鬼灯はなまえを見上げた。 「落としたりしませんから、寄りかかってください」 「……すみません、慣れてないんですよ」 「ふふふ」 「何笑ってんですか」 「いいえ、何も?」 ふいとそっぽを向きながら恐る恐るなまえに身を預けた鬼灯は、きゅっと彼女の肩あたりの着物を握る。 先ほどよりも重みの増した鬼灯の幼い身体と、いつもよりほんの少し高い体温にいとおしさがあふれた。 縁側に移動しながら、もしも鬼灯との間に子供が出来たらこんな感じなのだろうか、なんて考えてしまう。 むずむずとした気恥ずかしさが湧き上がって、けれどこの感覚にずっと浸っていたいような。 そんなあまい想像にほんのりと赤みを差したなまえの頬を、鬼灯は見逃さなかった。 「赤くなってますよ」 「えっ」 「おまけににやけてます」 「ええっ」 彼女がどんな思考にとらわれていたのか知らないが、ふにゃりと崩された表情から察するに子供が出来たら、とかそんなところだろう。鬼灯も考えないでもないが、幼い自分を目にしてそんな想像をして欲しくはない。かと言って普段の鬼灯とそんな会話を交わそうものなら羞恥が勝ってしまいそそくさと逃げられるのだから、彼女にも困ったものである。 なまえは縁側に位置する廊下に腰をおろすと、鬼灯をその膝にちょこんと乗せる。 日向などほんの少しも差していない筈なのに、何故だかそこにだけ日の光が当たっているようにとても暖かく感じた。 「で、何を考えていたんですか?」 「まだ続くんですかこの話…!」 「当然です」 「えと…そ、それよりあの、抱きしめていいですか!」 「…先ほど断りもなく抱いていたでしょう」 それはつまり了承を得たということで。向かい合うように座り直させると、その身体をやわらかく腕で囲う。 やはり慣れていないのか少しの間石のように固まっていた鬼灯だったが、その幼い背中をゆるゆると撫でてやると、すっと身をほぐすように力を抜いた。 身も心もほどけるようなあたたかさといとしい人の腕の中、寄せては返すような眠気が彼の内側にたゆたう。 しょぼしょぼとまぶたを瞬かせている鬼灯になまえはくすりと微笑をこぼしながら口を開く。 「眠いんですか?」 「……少し…」 「どうぞ、寝てください。私が傍にいますから」 「………もしも、」 「え?」 もしも自分に母がいたら。こんな風に穏やかな日々の中、その胸に抱かれながら気ままに訪れるまどろみを傍受することもあったのだろうか。 とん、とん、と寝かしつけるように優しく背を撫でる手のひらや額に触れる柔らかな指先。 そのぬくもりを鬼灯は知らない。だからこそ今は、なまえのあたたかさを、その奥にひそむ特別に心地よい心のかたちを、感じていたかった。 大きな瞳をとろりと蕩けさせた鬼灯に慈愛に満ちた眼差しを送りながら、なまえもそっとまぶたを伏せたのだった。 * こそり、と頬をくすぐる温かい感触に意識が浮上する。ぼんやりと持ち上げたまぶたの先に見えたのは黒い着物。 いつの間にか横たえていた身体はそのままに視線を巡らせると、再び白い指が頬をかすめる。 「あ、起きましたか」 「ほ、ずきさ…?」 「ええ。一緒になって眠ってどうするんですか」 「あ…私どのくらい寝ていたんでしょう」 「昼すぎから、かれこれ3時間は経っていますね」 眠りに落ちる前、鬼灯を膝に抱き上げていたその体勢を横に倒したような格好で眠ってしまっていたらしい。 ただし今度はすっかり元に戻った鬼灯のたくましい腕の中に抱えられるようにしていたのだが。 涼しげな鬼灯の瞳から目線を下ろすと、白い肌が視界に飛び込んで思わず目を逸らした。 「あ、あの…何で着物、きちんと着てないんですか…!」 「まぁあの状態から元に戻ればこうなりますよ。気持ち良さそうに寝ているなまえを起こすのも忍びなかったのでこのままでいたのですが」 「ででも、」 羽織ってはいるものの、襟は合わせていないし腰紐は辛うじて緩く結ばれている程度で、その胸元は随分とはだけてしまっている。鬼灯の均一の取れたつき方をしている筋肉は綺麗だけれど、妙に艶かしくてこれでは目のやり場に困ってしまう。 とくとくと飛び跳ねる心臓を押さえながら懸命に目を背けていると、くつりと喉を鳴らした鬼灯が口を開いた。 「やはりなまえはなまえですね」 「え?な、何ですか?」 「いいえ。しかしこの状況はレディ・リリスにお膳立てされたようにしか思えないのですが……。…恥ずかしいこと、ですか」 「えっと…鬼灯さん?」 彼女に母の面影を見たからといって、なまえは母親ではない。 やはり鬼灯の恋しいひとであり、永遠に隣に寄り添っていて欲しい存在なのだ。 じわりと染み出す愛寵の念に心底それを思い知らされてひとつ吐息する。 込み上げる恋情を肌の間にとらえるように、そっと彼女の唇に口づけた。名残り惜しくもゆっくりと離れると、間近でからみあう眼差し。 その一瞬で頭のてっぺんから足の爪先まで赤らめてしまったのではという勢いで頬を色づかせたなまえにふっと瞳を細める。 「貴女のそういう初心なところ、好きですよ」 「も、もう鬼灯さん…!」 湯気でも立ってしまうのではないかと思うほどに熱を上げたなまえの腰に手を回した鬼灯は、その柔い身体を抱きしめながら彼女を紐解く算段を練るのだった。 |