▼ 捕われて囚われた
「……で、今日の『制限』は?」
銀色に染めた髪を掻き上げ、彼は言う。夜の闇の中、月だけが照らすこの『舞台』の上にいる彼は、いつもより生き生きとしてるのは間違いない。
苦笑を耐えてまわりを見渡した。僕等を囲んでいるのは、せいぜい10人程度。多分、始末をする間にも段々と増えていくはず。
「……1人につき2分。1発で決めればそれに越した事はないけど、」
ちらりと彼を見やれば案の定不満顔。
「あ?俺は楽しみたいんだよ」
「デスヨネ。長くて2分。まとめて20分以内には終わらせて下さい。それ以上ご希望なら、御影さんに言ってください」
ざわりとうるさい声。きっとこの状況で会話する僕らが気に食わないんだろう。別にどうでもいいけど。
「……ふん。それで妥協してやる」
「そう言ってくれて助かります」
眉を寄せて不満気に鼻を慣らすけど、一応はわかってくれたみたいだ。成長したんだね、お兄ちゃんは嬉しいよ。
「……今、くだらねぇ事考えただろ」
「気のせいです」
「オマエ、可愛くなくなってきたな」
「もとからです。早く終わらせてください。夕飯に間に合いませんよ?」
催促するように、彼の首に座した赤い首輪に触れる。
するとにぃ、と彼の口元に笑みがのった。この瞬間、いつも胸がざわつく。日常では見られない殺気に、鳥肌がたつ。どんなに時間が経とうと、きっと僕はこの瞬間には慣れない。慣れたくもない。
けれど、今、僕がこうして彼のそばにいるのは偶然の積み重ねのせい。きっとどれか一つでも欠けていたら、彼とこうしてはいなかったはずだ。
「……今日の夕飯、何かな」
目の前で繰り広げられる、殴りあいから視線をそらして、さっきまで彼を照らしていた月を見上げた。
思い出すのは、3ヶ月前。この学園に入学したてで、まだ右も左も、校則さえも理解できていなかったあの日。僕は、判断を間違えた。普通に、平凡に生きていたいなら絶対に間違えてはいけなかった、あの瞬間。
『今日から、俺はオマエの狗だ。必然的にオマエは俺の飼い主になる』
『間違えるな、コレは頼みなんかじゃねぇ』
『命令だ』
耳に残ったまま、こびりついて離れない声と言葉。鋭く奥へと突き刺さった視線。どれもこれも緩く緩く僕という『存在』を縛りつけた。
彼の首にある首輪は、僕の手ではめた。右耳にあるピアスは僕のと対。時計と指輪は互いに贈りあったモノをしている。
『首輪』で『制限』をしているのは僕。『存在』で、僕を縛り付けているのは彼。
「……シロ、終わったぞ」
「ご苦労様でした」
話し掛けられて意識を彼に向ける。最近見慣れてきた、積み重なった成れの果てに少しの苛立ち。
かなうわけが無いと知りながら、無謀にも挑み続ける人たちの考えがわからない。あきらめ悪く、いつも同じ時間同じ場所を指定してくる。理解できない。しようとも思わないけど。
「かわいそう」
きっとこの人たちも彼に囚われたんだろう。意味合いは違うけど、僕と同じように。
この人たちが呼びだしを止めるのは、きっと己の無力さを知った時。
僕がこの籠から放たれるのは、彼が僕に興味をなくした時か、僕らの間に『飼い主』と『狗』以上の感情が宿った時。
「綴さん、早く僕にあきてくださいね」
「オマエも大概諦めが悪ぃな」
けど、綴さんは僕を離してはくれない。
この人たちと僕が違う点。彼はこの人たちに興味がない。だから執着しない。何も求めないし、何も感じない。
「シロ、いい加減に理解しろ。その頭に叩き込め。オマエは俺の所有物だ」
けど、僕に対しては異常なほどに関わりを持とうとする。どうしてかは、わからない。
最近では彼が隣にいる事が普通。ほんの少し前までは考えられなかった事。
「シロ、時間以内に終わらせたんだ。……褒美は?」
「……綴さんは、おかしいですよね」
「いい事をした犬には、飼い主が褒美をやらねぇでどうすんだよ」
もっと見た目や性格が良い人に興味を持てばよかったのに。そうしたら、きっと僕はこんな理不尽な感情を持て余さずに日常を生きていけた。
「ほら、早くしろよ。飯、食いっぱぐれるぞ」
「それは嫌」
せっつく綴さんに、仕方なく手を伸ばしてネクタイを解いてシャツを開く。赤い首輪の存在が映える、ちょうどいい感じに日に焼けた鎖骨や首筋。羨ましいとかそんな考えはもう浮かばない。だって相手は綴さんだし。
「綺麗につけろよ?」
「……期待はしないでください」
少しのプレッシャーをかけられながら、背伸びをして首筋にかかる銀の髪をどける。髪に隠されているソコにはいくつかの赤い跡。僕が、つける『所有の証』だ。
くっきりとついたモノもあれば、日が経って薄くなったものさまざまにある。
「シロ」
「わかってます」
肩に手をついて体を支えながら、首輪の少し上に唇を押しあてる。きつく吸い上げて新しく跡をつけた。
まぁまぁ綺麗にできたほう。最初とは比較にならないくらい上手くなってる、気がする。
「次は俺だな」
「う、ぁ……ちょっ!」
いきなりネクタイを引き抜かれてシャツを開かれた。僕の首筋には、綴さんと同じくいくつかの赤い跡。それから、噛み跡が数個。
戸惑いなく綴さんは首筋に跡を増やしていく。時折走る痛みは、歯をたてるせい。
「ん、綴さん……い、っ」
「動くなよ」
きっと今動いたら首が血まみれになるに違いない。綴さんにしがみつきながら、痛みと背筋を走る甘さに耐える。
「はっ、……こんぐらいか?」
くたくたになって不本意だけど綴さんにしがみついてれば、しばらくしてやっと離してもらえた。
鏡は見たくない。感じからして、首は酷い事になってるだろうから。
「うー……綴さん、動けないです」
「あんだけしてまだ慣れねぇのかよ。最近は1日1回はしてんのにな?」
バカにされた。誰のせいだよこの野郎。
ちょっとした仕返しに綴さんの肩にぐりぐりと顔を押しつける。
「……なんだ、照れ隠しか?」
「違います。歩けないので途中まで運んでください」
こういう時は雰囲気が少し柔らかくなる。微妙に優しくもなるから、あまり中身のない言葉をかわす。
後数分経てば、処理係りがココにくる。それまでに腑抜けになった足をどうにかして、ココから離れたい。
「命令しろ。その権利をオマエには与えている」
「……権利はあっても、聞いてくれたためしがないじゃないですか」
腰に回った綴さんの腕に触れて、体重を預けるようにしがみつく。後数分、だけでも。
わかってる。気紛れに決められたこと。夢が醒めるまではもう少しだけ、このままでいたいと思いはじめてること。
ぐるぐると回る余計な思考に、僕らしくなく自嘲を浮かべてしまう。
綴さんは気付いてない。まわりの人も、御影さんでさえ。僕以外誰も気付いてない。
コレはいらない感情。早く捨てて忘れないといけないもの。
捕われて囚われた。
何もかもいらないと、彼以外望まないと思えるほどのこの思い。隠しとおせるだろうか?
「特別だ。連れていってやるよ」
「……ありがとうございます」
抱き上げられた腕の強さと、厚い胸板。暖かい体温。すべてを頭へ取りこんで、ただ今のこの状態を幸福と感じる。
『覚えておけ、真白。オマエは、俺の飼い主だ』
きっと首輪をつけられたのは僕。あの日から、僕はこの人に囚われている。
捕われて囚われた