*指定席はまだ空けたままで

 今日の先生は、いつも以上に燃えあがっていた。
 リズムが狂えば叫び、音を外せば怒鳴り声を上げ、ミスを連発しようものなら指揮棒が飛ぶ! 何ともまあ、鬼顧問と呼ぶに相応しい。
 1年生の私たちにももちろん容赦ない先生の愛の鞭が飛ぶことになり。悲鳴やら絶叫と共に、狂ったように同じフレーズを吹かされ(or叩かされ、弾かされ)ボロボロになった部員の姿があった。
 そうして嵐のような全体練習が終わり、先生の個人指導が始まった訳なのだが。

「覚悟は出来ているだろうな? 完璧を求める限り、妥協はしないと言っただろう」

 そうでした。先生相手に甘い雰囲気を期待したって無駄だってのは、今更のことでした。

。。。。。

「……よろしい。そろそろ休憩にしようか」

 指がつりそうな程吹き続けた頃、やっと先生は立ち上がった。それと同時に、済まない、との謝罪の声が。

「君は、私の指導を的確に捉えてくる。こちらも更なる完璧を求めて、ついつい熱が入ってしまうようだ。……悪い癖だ」
「いいえ! 先生の指導のおかげで、何とか仕上がりそうなんです。逆に感謝してますから!」

 だから、先生が謝ることはないんです、と続ける。

「なら、いいのだが」

 最近、滅多に見られなかった笑顔が定期的に見られるようになった気がして、少し嬉しい。今、また。無防備に出た微笑みに、ドキドキ、鼓動が速度を上げた。

「君は……純粋に音楽が好きなようだな」

 先生の声が、不意に優しくなる。

「そんな君を見ていると、父を思い出す。昔、私に音楽を教えてくれた父を……」
「先生のお父さんって、指揮者の……?」

 世界的指揮者の氷室蒼一郎(そういちろう)──先輩たちが前に話していたのを思い出した。確か、私の両親の話で盛り上がっていた時だったか。

「そうだ。私は父の影響を受け、ピアノを弾くようになった。……いつも口癖のように、音楽は楽しむものだと、瞳を輝かせて話してくれた」
「それ、私もです。幼い頃に父と違う楽器を、と思ってフルートを吹くことを決めたんですけど……とにかく、楽しんで吹きなさい。好きになればそれが宝物になるって教えてもらいました」

 今でもその言葉は、私の心の支えになっている。

「それが榊克敏の音楽論か。素晴らしいな」

 先生の表情はとても穏やかで。いつものクールで怖い印象は全く感じられなくて……。上辺だけじゃない、本当の先生に。氷室零一という人に。出逢えた気がした。
 そして、改めて実感する。この人のことが本当に好きなんだって。一目惚れから始まった憧れにも似た想いは、今こうして、彩りを増すように恋心を加速させていく。
 でも。二人きりの夢みたいな時間にも、やはり終わりは訪れるもので。窓を閉めた先生を見て、もう帰らなくちゃ、と小さく溜め息をついた。

「そろそろ日も沈む頃か。……片付けなさい。家まで送ろう」

 えっ!? 送るって……先生が!? 思いがけない申し出に、沈みかけていた気持ちを急浮上させる。

「あっ、はいっ。でも先生、車ですよね?」
「そうだ。君の家は、私と同じ方向にある。全く問題はない」

 そういう意味ではなかったんだけど。……うわ、やっぱり車に乗せてくれるってことなんだ。どうしよう、すっごく嬉しい!
 慌てて片付けを済ませて、階段を駆け下りると。既に先生は車に乗って待っていた。

「乗りなさい。どうかしたか?」

 助手席に乗るのを躊躇う私を、何でもないことのように促す。……だって。助手席って特別な気がして。私なんかが乗ってもいいのかな、って思っちゃう訳で。

「榊?」

 急かすように助手席のドアが開けられる。

「……先生の彼女に悪いかな、と思って」
「馬鹿なことを言ってないで乗りなさい。彼女……そう呼べるような者はいない。君が気にする必要もない」

 コホン、と咳払いをする。……彼女、いないんだ。思わず顔が笑ってしまう。

「何をニヤニヤしている? これだから近頃の女子高生の考えることは分からん……」
「ふふ。ごめんなさい」

 いつものように、眉間に皺を寄せてしまった先生すら愛しく感じて。
 きっと先生にとっては、私は一生徒に過ぎない。生徒との恋愛なんて思いもしてないだろう。っていうか、有り得ない、って鼻で笑われそう。それでも、諦めたくはない。例え確率が10%以下だって言われたって、確かに今溢れてるこの気持ちをなかったことになんて出来ないから。いつか振り向いてくれる日が来ることを信じるくらいしたって、罰は当たらないだろう。

「よーしっ。頑張ろっと!」
「な、何だ? いきなり」
「ふふ。何でもありません! ただの気合いですっ」

 不思議そうに首を傾げる先生を、初めて座ることの出来た先生の助手席から見上げる。
 いつか、彼女としてここに座れる日を夢見て。



────With the reserved seat still vacated.

(今は空いたままの、先生の隣の席だけど)

(いつか、その指定席が私のものになったらいいのに)




2009,September,9th. ; rewrite @ Ruri.Asaoka.


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