*いつか王子様が
♪ Some day my prince will come
Some day we'll meet again
And away to his castle we'll go
To be happy forever I know…
私がまだ、ほんの小さな子供だった頃。無邪気に自分だけの王子様が現れると信じていた頃。本当に、私だけの王子様になってくれると誓ってくれた男の子がいた。天使のような微笑みで。女の子みたいに愛らしい姿をしていて。
いつも、近くの教会が私たちの秘密の遊び場所で。そこで2人きりでお話をしたり、絵本を読んでもらったりしていた。
その男の子が引っ越していってしまうことになった時。駄々をこねて泣き喚き、散々困らせてしまったことを……最近になって思い出した。
男の子の名前は──葉月珪くん。
高校生になって、運命の糸に手繰り寄せられるように再び巡り逢った……昔と変わらず私を想い続けていてくれた、今では誰よりも“王子様”の名が似合ってしまうような男の子。
卒業式間近のある日。私は学園の敷地内にある開かずの教会の前に立っていた。──ここは。想い出の、あの幼い日の教会なんだと、今なら分かる。
無事に受験に合格し、春からは音大生としてスタートを切ることが決まった今。
過去との決別の時──。それが、今だと思うから。
「珪くん、大学行きながらモデルの仕事も本格的にやっていくんだって?」
「ああ。……よく知ってるな」
「うん。なっちんが教えてくれたから」
「……そっか」
昔から変わらないという秘密の入り口を通って、私たちは教会の中に入った。真っ先に目に入ってきたステンドグラスは、あの頃と同じ輝きで私たちを迎え入れてくれた。
そのステンドグラスを見上げていると。珪くんは一冊の絵本を私に差し出してきた……。
「珪、くん? これ、もしかして……!」
「ああ。あの時、続き読んでやる、って約束した」
「あの絵本……っ!!」
相変わらず、私には読めない文字で書かれた表紙のそのタイトル。毎日少しずつ読み聞かせてもらった、お姫さまと王子さまのお話の書かれた絵本に間違いなかった。
「まだ持ってたんだね……」
「約束、したからな」
「続き……」
「……」
色素の薄い珪くんの瞳。一瞬だけその色が揺らぐ。
「これ、持っていけよ……」
「えっ?」
「瑠宇に、持っていて欲しいから」
「でも、これ……確か大事なものなんだよね? 私なんかがもらっちゃったらっ」
「瑠宇にだから、あげたい」
「珪くん……」
おずおずと、両手を差し出して。受け取ったその絵本は、想い出の分だけの重さがズシリと圧し掛かってくるような気がした。
果たされなかった約束。そして、珪くんが私を想っていてくれたその時間が……胸を締め付ける切なさに変わってゆく。
「約束とは、違ったかもしれない。けど、俺、これでよかったんだと思ってるから。だから、瑠宇には笑ってて欲しい」
「珪くん……」
「言葉が足りないな、俺……。ただ、瑠宇が幸せであってくれれば、過去のチビだった頃の俺も救われると思うんだ」
遠い目をして話す珪くんの瞳は、さっきとは違って晴れ渡ったように澄んでいて。ステンドグラスの蒼が……その瞳の色に混ざって輝いていた。
「昔も、今も。大事な子が幸せそうに笑っていてくれるのが……俺にとっても幸せなことだから」
「……珪くんの手を取って歩くことが出来なくても?」
「……ああ」
私が選んだのは、零一さんと歩く道──。その道は、決して珪くんと交わることはないだろう。それでも、珪くんは私の幸せを願ってくれる。笑顔で、送り出してくれる。
零一さんは私にとって、愛することと愛されることの幸福を教えてくれた最愛の人……。でも。珪くんも私にとってはかけがえのない人なんだと。これもきっと、違った形の愛なんだろうと……今はそう思える。
ずっと、後ろめたさのようなものを感じていたのかもしれない。でも、今は。ここから、新しく歩き出せると思う。
自分らしく、前向きに。時には立ち止まったり、踏み外しそうになったりするだろうけれど。進むべき道を照らしてくれる人たちがいるから。
その未来に向かって、歩いてゆくことが出来る。
「瑠宇」
「なあに?」
「絵本の続きは、氷室先生に読んでもらえよ」
「えぇっ!? だって、これ読める? いくら先生でも無理なんじゃないかな〜。英語なら出来そうだけど……」
「お前が読んでくれって頼めば、意地でも読むと思う」
珍しく悪戯っぽい笑みを見せた珪くんにビックリしつつ。これって、珪くんなりの先生への挑戦状なのかな〜なんて考えてしまった。
「もうすぐ、だな。卒業式」
「うん。長いようであっという間の3年間だったね」
「そうだな……。本当に色々、あった」
巡る季節。積み重ねてきた想い出。
高校生、という今だけしか訪れないこのかけがえのない時間を……これからの糧にして、私たちは生きてゆく。
「…………そうか。それが、その絵本なんだな?」
「はい。結末を知らないっていうか、あの頃は小さかったから内容もほとんどうろ覚えなんで、どんなお話なのかよく分からなかったりするんです。実は」
「君らしいな」
教会で珪くんと話したこと。絵本を託されたこと。全部、零一さんは受け止めてくれて。
重いその絵本の表紙をゆっくりと捲った……。
いつか王子様が──。
そう夢見ていた幼い日の私は、もういない。
私の隣にいるのは、王子様ではなくて。他の誰にも代えることの出来ない、生涯愛していく人。
♪ Some day when spring is here
We'll find our love anew
And the birds will sing
And wedding bells will ring
Some day when my dreams come true…
2016,March,2nd. ; rewrite @ Ruri.Asaoka.