*光り輝く世界
♪pipipipipipi……
大音量で響くベルの音に、思わず飛び起きる。
何かがいつもと違う気がして、とりあえず瞬きをしてから素早く辺りに視線を配る。
ああ、そうか。昨日、私は──。
「どうした? 瑠宇」
「っ!」
いつもと違う今朝。そんなことは、とっくに分かってはいたけれど。
ここが私の部屋なんかじゃなくて、隣で微睡んだまま色素の薄い涼しげな瞳で見上げてくる愛しい男性のベッドの上だってことを思い出して、途端に赤面してしまったけれど。
それでも、恥ずかしさより何より。大きく私を包み込んでくれている腕が、力強くて頼もしくて。温かくて優しくて……。2人で迎える初めての朝にどうしても言いたかった言葉を、飲み込んでしまわずに、ハッキリと告げた。
“世界で一番、貴方が大好き”
きっと、私たち。今だけは世界で一番。最強に幸せで、無敵なバカップルだと思う。
◇その日の榊家◇
イライライライライラ……。
分厚い扉の向こうから、そんな音が聴こえてきそうな気配がビンビンと伝わってくる。
愛娘の帰りを今か今かと待ち続けて、玄関とリビングを行き来している父の姿が目に浮かぶのは仕方ないことだと思う。さっき電話をかけた零一さんが、物凄い剣幕で父に怒鳴られてしまったのだから。
『言い訳や弁解なら聴く気はない! 言いたいことがあるなら、直接面と向かって話せ!!』
勢い良く受話器を叩きつける音が、傍にいた私にまで思いっきり聞こえた。
あれは相当キレてるとみた。余程のことがないと父が怒ったりキレたりすることってないから、これは血の雨が降って当然かもしれない。
でも。
零一さんときたら、至って冷静そのもので。もうすっかり腹括っちゃったのか、覚悟決めて殴られに行くつもりなんだか──とにかくめちゃめちゃ穏やかな表情で、私と一緒に榊家の前に立っているのだ。
「何で?」
「……何が、だ?」
「何で、そんなに悟りきった顔してる訳?」
「君は、俺がオロオロとうろたえたり青ざめたりしているところが見たいのか?」
ちょっと見たいかもしれない、って言ったら呆れられるだろうか。
「生憎、心はとても穏やかだ。そんな姿を見られなくて残念だったな?」
「うんわ〜今の嫌味、何か悔しいっっ!!」
くっくっ、と小さく笑う零一さんが益々嫌味っぽく見えてくるではないか。
もうっ。今から、絶対怒られるんだよ? 間違ってもよかったよ、ありがとう、なんて言うはずがないのに。圧倒的に立場が悪いはずの零一さんがどうして余裕シャクシャクの態度なのよ? 何だか物凄く腑に落ちないんだけど。
「さあ。もういいか? チャイムを鳴らしてもいいが、ここは君の家だ。ただ今、と告げるのがいいだろう」
「はぁい。んじゃ、覚悟はいいですか?」
やっぱり落ち着いたままの零一さんが、私にニッコリ微笑みかけた。
。。。。。
「た……」
ただ今、と告げようとした口が開いたまま固まってしまった。ドアを開けた瞬間、父の無表情な顔が視界に入ってしまったから。
「お帰り、瑠宇。そして、いらっしゃい。零一くん」
氷点下…………。絶対零度…………。
父の整った顔が、冷たく微笑む。氷の微笑、って正にこれだと思う。
「一つだけ、訊いておきたい」
「はい」
「後悔、しているかい?」
「昨夜のこと、ですか? それとも私がお嬢さんを愛したこと、ですか?」
お父さん? 零一さん……? 2人とも、既にこういうやりとりをするのが分かっていたのかのように、ごく自然に向き合っている。当事者の1人であるはずの私の存在は、完全に無視されてる気がする。
「僕が訊きたいことは分かっているんだろう? 君の決意を聞かせて欲しい」
「分かりました」
零一さんは大きく息を吸って、傍らの私に漸く目配せした。
「瑠宇も、しっかり聴いていてくれ。今から俺が話すことを」
「……分かった」
零一さんの言葉に、私は頷くしか出来なかった。その瞳が、真っ直ぐに私を貫いてきたから。
「私は……榊瑠宇という1人の女性を、心から愛しています。彼女が、私にとってこの先の生涯を共に歩み、支え合い、互いを高め合える相手だと信じています。」
瞳を逸らすことが出来ない。周りの雑音が消え、とてもクリアに零一さんの声だけが耳に入ってくる。
「年齢の差に、引け目を感じたこともありました。彼女の想いを信じられず、疑ったこともありました。けれど、その過程も全て昇華させ、確かな絆と愛が今の2人にあるのだと思います」
「では、君は昨夜のことは間違っていなかったと言い切るんだね?」
「お、お父さん!? ちょっ……零一さん、それでいいの!?」
「瑠宇は黙ってて」
静かに、父は私を制止する。零一さんはやっぱり落ち着いたまま。
「謝りません。……それを望んでいるとも思えませんし」
「そう、思うかい?」
「もし謝るとしたら、それは瑠宇の意思を無視して無理強いしたりした時……だと思っています。もちろん、私はそんなことは絶対にするつもりはありません」
「自信がある?」
「今まで崩さずにいた理性程度には」
「ふむ……」
考え込む仕草をした父が、そこでようやく表情を和らげて零一さんを見た。
「試すような真似をして悪かった。まあ、君には全部お見通しだったようだけど」
「いえ。それでもきちんと榊さんと向かい合っていなかった自分に落ち度があったのは確かです」
「そう。僕が怒っていたのはソコだったんだよ。……確かに瑠宇が可愛いから面白くない気持ちはあるさ、父親だからね。でも理屈の分からない時代錯誤の頑固親父になるつもりはない。瑠宇が選んだ相手なら、余程酷い男じゃない限りは反対しないよ」
「私は、余程酷い男ではなかった訳ですね?」
「ふふふ。そうだね。一応、親友の大事な息子でもある訳だし」
目を白黒させる私の前で、どうやら殴り合いにはならない展開になったことだけ理解する。
だが、まだ頭が追いつかない。……要するに。父は、零一さんからきちんと挨拶しておいて欲しかったということなんだろうか? 電話で怒鳴ったりしてたのはポーズで、実際はそんなに怒ってなかった?
「でも、さ。父親としてやっぱりムカつくことには変わりないんだよ。零一くん、覚悟は決まってるんだよね? そろそろいいかな?」
「……はい。どうせなら、手加減なしでお願いします」
え????
「おっけー。じゃ、歯食いしばっててね」
「分かりました」
ええぇ〜〜っっ!?
次の瞬間。ボカッ、と。それはそれは痛そうな音が聞こえて、私は思わず目をギュッと瞑ってしまったのだった──。
◇数時間後の2人◇
「い、痛い〜?」
「少し、な」
全く手加減なしだった、という父の右ストレートをまともに食らった零一さんの顔を見上げる。
「うう。ホントに殴るなんてお父さんてば……」
「何だ。瑠宇は最初から殴り合いだと信じていたんじゃないのか?」
「そうだったけどね。でも、私がやめさせよう、とかね。色々考えてたワケ。お父さんが怒鳴ったのがポーズだったとか言うから油断しちゃったのよ。阻止出来なかった自分が悔しいっ」
本気で悔しがる私を見て、零一さんは痛みを堪えながら苦笑している。
「いや、いいんだ。阻止しなくてよかったんだ」
「へっ? どして? いくら覚悟してたって……」
「ああ。覚悟していた。俺は、殴られたかったんだよ。“瑠宇の父親”に」
「零一さん……」
「君を手に入れた代償の痛み、とでも言えばいいか?」
その時、家に入る前に見せた零一さんの、あの穏やかな表情を思い出した。
「殴って、欲しかった?」
「ああ。そうやって殴られることで、許してもらえたという実感が欲しかったのかもしれない。君のお父さんは、もうとっくに許してくれていたんだがな」
……零一さんが痛い思いしたのに、嬉しく感じる。今、どうしてだか、お礼が言いたい気持ち。
──ありがと
──何に対しての礼なんだ?
──お父さんと闘ってくれたことに対して
──それから?
──私を、愛してくれて
2016,March,2nd. ; rewrite @ Ruri.Asaoka.