*Necessary

 オルゴールから、優しい旋律が鳴り響いている。
 タイトルのついていなかったこの愛すべき曲に、つい先日ついた『宝物』という曲名。彼女の気持ちが詰まった、特別な曲に相応しい名前。
 そして──その曲を作った彼女は、すっかり慣れた手つきで我が家のキッチンを使いこなし、何やら料理をしている。

「零一さーん。ドレッシングなんだけど、和風と中華どっちがいい?」
「君に任せる」
「もう〜っ。零一さんたらそればっか!!」

 この2ヶ月。2人の誕生日の間に起きた様々な出来事は、俺にとって瑠宇がどれ程かけがえのない存在かを再認識させた。
 嬉しいことに、それは瑠宇にとっても同じだったようだ。俺たちは、互いが互いを必要とし求め合っている。それが、自然な形として……。


◆11月6日/夕方◆

 携帯に、瑠宇以外からは滅多に来ないメールの着信があることに気づいた。しかも、更に珍しいことに送信者は"母"だ。

「どうせ何か企んでいるのだろうが……」

 呟きながら、残務を終えて車に向かった。
 今日が何の日か……。昨年までなら当然思い出しもしなかったことだが、今日は俺の29回目の誕生日なのだ。
 まあこの年になって別にめでたくもないのだが、愛しい恋人が何やらそわそわと支度をしている様を眺めるのは、悪い気分ではない。その瑠宇も、放課後全く接触もせず帰ってしまい、拍子抜けしてしまったのだが……。

“至急、何も考えずマンションに戻りなさい!”

「瑠宇も巻き込まれている可能性大、だな」

 あの母の考えることだ。容易に想像はつく。仕方ない、たまにはその企みに乗ってみるのも悪くはないだろう。足は自然に早くなり、車へと急いだ。


「急ぎすぎたか……」

 気を失ってしまった瑠宇の額に、優しく口づける。
 初めて作った曲を誕生日の祝いに贈る、という想像もつかなかった行動。そんな彼女に、日頃抑えていた理性は吹き飛んでしまった。
 急がず、大事にお互いの想いを育てていくつもりが……俺もまだまだ修行が足りないらしい。瑠宇の方も必死で俺の欲情を受け止めようとしたようだが、やはり耐えきれなかったのだろう。
 物事には、時期というものがある。今はまだ、その時期には早かったということだ。
 愛していればこそ。胸の奥から溢れ出す熱い想い……。
 仕方がない。今はただ、天使のような君の寝顔を眺めるとしようか?


 君がいる
 それだけで
 たくさんの幸福を感じている

 君の存在そのものが
 俺にとっての宝物なんだ


◆12月15日/AM◆

 朝から、やけに目眩がする。さすがに体力の限界か? 連日の寝不足に、今までにない量の仕事の山。もっと早くに準備しておくべきだったかもしれない。まさか、これ程までに多忙を極めるとは思っていなかったのだ。とんだ誤算だ、な。

「氷室先生? 顔色が悪いようですね。少し休まれたらいかがですか?」

 目ざとい理事長に声を掛けられる。

「いえ、大丈夫です」

 確かにこの目眩は相当まずいか。しかし、今日は彼女の──この日の為の、今日までの無理だ。ここで休んでいる場合では、ないのだ。

「失礼します」

 資料を取りに立ち上がった、その時。

「……っ!?」

 洒落にならないな、本当に倒れてしまっているようでは。今日までの俺の行為が全て無意味になってしまうのか? その場にしゃがみ込んでしまう自分を、我ながら情けなく思う。
 だが、肝心の身体には力が入らず。理事長が独断で病院への搬送を決めてしまうのを、半分意識を失いながら見ているしか出来なかった。
 そして無意識に、胸ポケットに入っている小さい小箱を押さえたのだった──。


◆12月19日/夕方◆

 学期末……しかも年末でもあるこの時期に、不本意ながら休む羽目になったのは正直痛かった。
 しかし、自業自得だ。休日出勤することになり、漸く残務を片づけた俺の元に瑠宇が現れた。

「お疲れさまっ。これから美味しいモノ食べる気あります?」

 そうしていつの間にやら俺のマンションまで連れてくることになり、瑠宇はキッチンで料理を始めてしまったのだ。

「暇だな……」

 オルゴールを鳴らすのも、いい加減飽きたか……。

「暇とか言うっ!? だったら、何かピアノ弾いて下さい!」
「何かと言われても、」
「料理、食べたくないの?」

 タイミングよく鳴った腹の虫を聴き、瑠宇はニヤリと笑っている。

「全く……君という人は」

 まあいいか、暇つぶしにもなる。料理をする傍らで、リストを奏でる──たまにはこんな日曜の午後も、いいかもしれない。


「そうそう。昨日ね、マスターさんに会ったんですよ〜」

 結構なボリュームの料理を食べ尽くした後、不意に思い出したように瑠宇が呟いた。

「零一さんとお店おいでって言われたよ?」
「……」

 あいつは、未成年に何を吹き込んでいるのだ。

「あの店は、酒を置いている。君が行くような店ではない」
「もうっ。飲まないんだからいいじゃないっ。私、ああいうお店でピアノ弾いてる零一さんも見たいんだけどなぁ」
「ピアノを弾いている姿ぐらいいつも見ているだろう?」
「学校やこことは違うんですっ!!」

 何が違うのだ? こういう発想は、理解出来そうもない。

「あ。あとね〜今年もクリスマスパーティーでミニコンサートすることになったの!」
「そうか、理事長に頼まれたんだな?」
「うん。受験勉強の息抜きにでもなればって言われて」

 普通の教師なら勉強の邪魔になるからと頼まないのだろうが、理事長らしい計らいだと思う。

「俺も楽しみだな。受験の実技も兼ねて、腕試しになるだろう?」
「おっと。教師発言ですね? 大丈夫。腕には磨きがかかってますもんね〜」

 その言葉に嘘はないだろう。元々の才能に加えて、日頃からの努力の積み重ね。──そして、美しさにも磨きがかかっており。ギャラリーの下衆な視線を浴びるのが、正直気に食わないところではあるのだが。……ああ、まずい。色々考えていると、触れたくなってしまうではないか。

「零一さ〜ん!」

 俺の視線に気づいたのか、小走りで小さい身体が腕に飛び込んできた。

「どうした?」
「何となく、今、抱きしめられるかな〜って思ったの。違う?」

 上目遣いで訊いてくる表情に、また理性が飛びそうになった。

「……正解だ」

 こちらの苦労など知る由もないだろうな。苦笑しながら、理性が保てる範囲内の口づけを一つ……不意打ちに落とした。


 この理性が本当に飛ぶ日は近いだろう
 そして
 2人の距離が最も縮まる日も──すぐそこまで来ている



2016,February,28th. ; rewrite @ Ruri.Asaoka.

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