*夜空に咲く花

 高校最後の夏休み──。
 自分で零一さんと二人きりで会うことを制限しておきながら、既に禁断症状が出始めている。早まったことしただろうか? だが、言い出した手前、引っ込みつかないというか……。
 そんな状態で、なかなか身が入らない受験勉強真っ只中の、8月1日。携帯の呼び出し音が鳴り響いた。

『瑠宇、これから……時間あるか?』

 久しぶりに聞いた、少し掠れ気味なのが気になったけど、間違えようもない珪くんの声だった……。


 浴衣を着て、人混みの中を歩く。右手は、珪くんがしっかりと握ってる。はぐれてしまわないように、って凄く自然に。この手の先にいるのが零一さんだったなら……珪くんには申し訳ないけれど、何度もそう思ってしまった。

「そろそろだな、花火」
「え? あ……そうだね」

 上の空だったのを気づかれたかもしれない。
 今日は、花火大会。……前に珪くんとした約束。“一度だけのデート”。その約束が今、果たされている。まだ零一さんとも来たことのない、この花火大会で。

「瑠宇……」

 珪くんの手に、不意に力がこもる。

「今日だけは……いや、せめて花火大会の間だけは……俺のことだけを見ていてくれないか?」

 ……ドキン、と胸が高鳴る。私を見つめる、真剣な瞳。力強く、握りしめた手。どうして彼は、こんなにも私のことを想ってくれるのだろう? 私にはその想いに応えることが出来ないというのに……。

「今だけで、いいの?」

 無意識のうちに私は口走ってしまっていた。珪くんの瞳を見ていたら、断るなんて出来なかった。哀しげな……捨てられた子猫のような瞳。

「キレイだね」

 その瞳から視線を逸らし、次々と打ち上げられる花火を見つめる……。

「ああ、そうだな」

 しばらくの間、私たちは無言のまま花火に魅入っていた。時折、珪くんの整った横顔に視線をやると、優しい微笑みを返してくれる。何だか、かえって申し訳ない気持ちになる。一日だけなんて……余計に珪くんを傷つけてしまってるみたいで。
 でも、珪くんが望むなら……今はこうして隣にいようと思う。今の私には、笑顔を返すくらいしか出来ないけれど。

「いつかした話……覚えてるか?」
「えっ?」

 次の花火まで少し間が空いて、珪くんが不意に切り出した。

「約束……」
「あっ……!」

 瞬間。珪くんの顔に、やっぱりあの夢の中の男の子の顔が重なった。
 私の初恋──。大好きだった、男の子。

「約束は、単にお話の続き……読んでやるってだけだったんだ」
「え? ……お話の?」
「ああ。覚えてるか? あの絵本のこと」

 絵本……。ああ、私の読めない字で書かれていた……あの王子様とお姫様のお話!

「……だから、お前が俺に対して罪悪感とか感じる必要なんてない」

 また一つ、花火が上がり。珪くんは、静かに目を伏せた。

「……分かってたんだ。瑠宇が俺を見る目は、決して昔の……あの頃の無邪気なままのものじゃない。今の瑠宇には氷室がいる……。あいつと一緒にいる時に見せる笑顔こそが、俺の一番好きな本来の瑠宇の姿だなんて……皮肉な話だな」

 珪くんの口から発せられる言葉を、一つ一つ胸に刻む。逃げないで、全部受け止めること。目を逸らさないで、珪くんの想いを知ること。それが、今の私に出来る精一杯のことだと思うから。

「……でも俺、お前を好きになったこと後悔してない」
「珪くん……」
「瑠宇にもう一度逢えて、その笑顔に触れて、失ってきたと思ってた色々なものを取り戻せたように思うんだ。全部……瑠宇のおかげだ」
「そんなっ! 私は何も……」

 珪くんはただ小さく、首を横に振るだけだった。"お前がいたから"……珪くんの瞳が、そう語ってる。

「瑠宇は知らないだけだ。俺にとって、多分氷室先生にとっても……お前が微笑んでくれてるだけで、今までどんなに救われてきたか」

 私の髪に、珪くんの指先がそっと触れる……。まるで壊れ物を扱うかのように優しく。

「瑠宇と再会するまでの俺は、周囲と関わることに疲れ、何かを期待するようなこともしない……。正直、そんな自分が嫌だった。でも、お前の昔と変わらない無邪気さが、俺を変えていったんだ」

 どうして私は、彼の想いに応えてあげられないのか。……ここで珪くんの手をとってしまったら、もう零一さんの所へは戻れなくなることを知っている。
 そして、珪くんが偽った心で自分を選んでも決して喜ばないということも……よく分かっている。私たちの想いが、重なり合うことはもうないのだと……胸の痛みが教えてくれる。

「珪くんのこと、大好きだよ。確かに、氷室先生に……零一さんに対する想いとは違うかもしれない。でも、珪くんが私にとって大事な初恋の男の子だってことに変わりはないもの。それに、今は想い出だけじゃない……もう一度出会えてから築いてきた“絆”のようなものがあるって思ってる」
「瑠宇……」

 珪くんを見上げると、背後に眩しいくらいの大輪の花火が。夜空に輝く、咲いてはすぐに散っていく花──。どうしてだろう? 儚さと、切なさ……そんなイメージだけが脳裏に浮かぶ。

「……キレイだな。本当に」

 珪くんの呟きが、花火の音にかき消されてゆく。

「ありがとう……瑠宇」

 最後に小さく残した言葉だけが、やけにはっきりと……私の耳に響き続けていた。

。。。。。

 線香花火の小さな光が、さっき見た打ち上げ花火よりもずっと強く輝いて見えるのは何故だろう? 最後の瞬間まで命を全うしようとする、派手さはないけれど確かな光。

「何か……暖かいな」

 家まで送る、と言った珪くんに丁重に断って1人で帰り。途中コンビニに寄って、何気なく線香花火を買ってしまった。
 こうして小さな光を見てると、珪くんと過ごしたさっきまでの時間を思い出して余計に切なくなってしまう。

「……私、笑えてたかな?」

 せめて、2人でいる間だけは笑顔でいたかった。珪くんがそれを望んでいたし。私自身、そうしなきゃならないと強く思っていたから。
 ……線香花火は、残り1本になり。火を付けようと、見失ったライターを探して辺りを見回す。

「──瑠宇」

 ライターの代わりに、視界に入ったのは……久しぶりに聞いたその声は、零一さんだった。

「ど、どうしてここに!?」

 慌てる私に、躊躇いなく零一さんが近づいてくる。ポカン、と口を開けたまま。私は見上げることしかできずにいた。

「今夜は花火大会だった、な。浴衣もよく似合っている。いや、そんなことを言いたい訳じゃないんだ。単刀直入に言おう……葉月と、何かあったんだな?」
「っ!」

 ビクッと反応する躯。零一さんがどうして、珪くんとのことを知ってるの?

「尽くんが“庭で暗〜く線香花火大会やってるヤツがいる”と連絡をくれた。……葉月と花火大会に行ったらしいこともついでに聞いた」

 ああ、情報源はやっぱりアホの弟だったか。どうして、そんな余計なことを……今の私の顔は、とても歪んでいて零一さんに見せられるようなものじゃないというのに。

「君が落ち込んでも仕方ないだろう?」

 意外にも、零一さんから発せられた言葉は私を責めるものではなくて。

「……いっそ、責めてくれた方がよかったのに」
「君たちの間に事情があるのは分かっているつもりだ。それに、君のそんな顔を見て責めるようなこと、俺にできるはずがないだろう?」

 ああ……零一さんがこういう人だから、私は安心出来るの。どうしようもなく広い心に、私は守られている。

「泣きたいのに泣けないんだな?」
「笑ってなくちゃ、って。そう、思ったんです」
「ああ、そうだな。あいつの前で泣くのは、もうやめてくれ。俺の不甲斐なさのせいとはいえ……これからは、俺の前でまで強がらないでくれ」

 さよなら、初恋の王子様。……幼い日の私に、そして珪くんに。零一さんの胸の中に縋って泣きじゃくりながら……そっと別れを告げる。
 そして。零一さんと2人。最後の線香花火に灯る輝きを見つめる──。

 “キレイだね……”

 今年、夜空に咲いた花のこと……一生忘れない。
 この胸に、深く。切なく。痛みを残して──。



────I wouldn't leave the fireworks which bloomed in the night sky for life.

(この胸の痛みごと、夜空に打ち上がれ)


2016,February,23rd. ; rewrite. @ Ruri.Asaoka.

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