*Prelude
♪trrrrr……
電話が鳴っている。こんな夜中に一体誰だ? 非常識ではないか。真夜中のコールに不満を感じつつ、仕方なく受話器を取った。
「はい……?」
悪戯かもしれないと思い、わざと名乗らずに出てみる。
『もしかして寝てたのかしら? 零一』
「なっ……その声は!」
*Prelude 〜Innocent Romance side_story_vol.2*
思いもしなかった電話の主に呆気に取られ、暫し無言電話になってしまった。意外すぎる電話の相手は、暫く連絡を絶っていた実家の母だったのだ。
『ふふ。母親の声を忘れてはいなかったようね?』
そう簡単に、忘れるはずもない。いくら一緒に暮らしていないうえに、もう3年も会っていないとはいえ……。
『早速用件から言うけどね。零一にね、頼みがあるのよ』
「……頼み? いきなりこのような時間に電話してきたかと思えば」
『あら。ダメなの?』
「……内容による」
この女性(ひと)に逆らっても無駄だ。長年の経験で、そのことは理解しているつもりだ。
『じゃあ、簡単に言うわね。あなた、榊夫妻のこと覚えてる?』
「は? 榊……?」
唐突な質問に少々間の抜けた受け応えをしてしまう。
『ホラ〜比奈子よ〜私の親友の!』
……ああ、あの派手な夫妻のことか。
「今、思い出したところだ。榊克敏さん、比奈子さん夫妻。榊氏は俺が尊敬するピアニストだが、その二人が何か?」
『うん。その2人の愛娘がね、あなたの生徒になるのよっ! 4月から』
「……は?」
またもや予想もしなかった展開に間の抜けた応えをしてしまう。しっかりするんだ、零一! この女に惑わされてはいけない!
『瑠宇ちゃんっていうのよ〜。すっっごい可愛いのよ〜。おまけにフルート吹かせたらプロ級だし』
「榊氏の娘さんか……。フルートの腕前については国際コンクールに入賞するくらいだ、プロ級なのは有名な話だが……何故急に我が校へ?」
『何年か前、はばたき市に住んでたのよ。ま、いわゆる帰省になるわよね。それに、中学で出来なかった吹奏楽に挑戦したいとか』
「なる程……」
彼女に会ったことはないが、榊氏の娘だ。相当しっかりしているのだろう。
『天之橋くん(理事長)に頼んであなたの担任のクラスにしてもらったから! 高等部からの編入で心細いだろうし、見守ってあげてね?』
絶句、した。何という女だ。理事長まで丸め込んでしまうとは! 物静かな父が何故こんな女性を妻に選んだのか、全くもって謎だ。おそらく、俺の中の世界七大不思議の一つに入るだろう。
『比奈子もあなたに会うの楽しみにしてたわよ。ずーっと顔を見てないけど、若い頃の蒼一郎さんに益々似てきたんでしょうね〜』
うっとりした声を出す母にうんざりする。いつまでも"ラブラブな夫婦"で結構なことだ。だが、頼むから俺が聞いてないところで言って欲しい。
「用件は以上なのだろう? もう切るが、いいか?」
『んもうっ! 相変わらずそっけないんだから。そういうとこまであの人に似てきたわ』
だから、もう放っといてくれ……!
そして入学式を迎え。興味を持って初めて見た榊瑠宇は……確かに“可愛い”印象の女の子だった。いわゆる美少女だ。そこにいるだけで周囲を華やかにする雰囲気すら持っている。だが、何やら違和感がある。どうも締まりがない。ポヤッとした感じがする。ついついスカーフが曲がっていることまで指摘してしまった。俺としたことが……きつく当たってしまっただろうか?
そんな心配もしたのだが、彼女は俺を恐れることもなく、吹奏楽部へと入部し。その上、教師としての“私”を慕うようになった。自らの力を傲ることなく、常に前を向いてしっかりと歩いていく。……そういう彼女を目で追ってしまっている自分に気づいたのは、いつからだったのだろうか?
初めは母に頼まれてたから、ということを理由に逃げていたように思う。だが、30近い男であり。しかも担任で部の顧問でもある教師の自分が、女子高生である彼女に恋をしていることに気づいてしまったのだ。彼女が俺に向ける想いの、その意味にも……既に気づいていた。教師として、その想いは受け止めるべきでないことは承知していたはずだった。しかし、嬉しい気持ちの方が勝っていくのも止めようもない事実で。
『先生が好き…』
彼女の真剣な言葉は俺の中の“男”の部分を刺激した。好意を持っている相手にそう言われ、反応しない男などいる訳がないだろう。だが、やはり教師と生徒という関係はそう簡単に崩せるものでもなく……。
。。。。。
今、目の前にいるのは比奈子さん……彼女の母親である。訳もなく緊張するのは、教師を始めてから一度もなかったことだ。
「今年もよろしくお願いするわね。ホントに……色、々、とねっ♪」
俺はこの女性が苦手だ。母の親友だけあって、同じ部類に属するからというのが一番大きいと思うが。
「あの。今日は家庭訪問ですので、個人的に遊びに来たわけではなく……」
「もうっ! 相変わらず堅っ苦しいんだからっ! そんなんだと突っ込むわよぉ〜? ウチの愛娘たぶらかしてカッちゃん(るーのパパ)が知ったらどうするかな〜?」
「比奈子さんっ!?」
それとこれとは話が違うではないか。
「……ん? 知って、らしたんですか? 彼女とのことを」
「ん〜尽に聞けば一発よぉ。あのコに隠れて、なんて瑠宇には無理ねっ!」
尽くん。ああ、彼女の弟か。情報収集能力に優れていて、何でもいい男というものをリサーチしていると言っていたが。(いつも情報収集されてる被害者の一人)
「まさか、母もこのことを知って……?」
「もっちろ〜ん! だって尽ったら華ちゃん(先生のママ)が遊びに来た時得意げに言いふらしてたんだから」
「……そ、そうですか」
これはまずい。あの女に知られたとなるとからかわれることは間違いない。もしや、父にまで話しているのではないか? 教え子に、しかも友人夫妻の愛娘に手を出したと知った時の父の呆れ顔が目に浮かぶ。ああ、しばらく立ち直れないかもしれない。
「はっ……まさかお嬢さんにもこのことをっ!?」
「え? 零一くんが華ちゃんの息子だってこと? ……へー。知られたくないんだ〜」
ニヤニヤと人の表情を観察している。本当にそっくりな親友同士だ。
「瑠宇は華ちゃんの詳しいことは知らないわ。蒼一郎さんが旦那様だってこともね。だからまだ知らないと思う」
ならいい。いずれ自分の口から話せば済むことだ。……少し安堵して溜め息をついた。
「華ちゃんねぇ〜娘が欲しかったんだって」
やはりこの女性は苦手だ! 早く用件を済ませなければ、こっちが大変なことになる。
「コホン。それでは本題に入りますが……」
。。。。。
放課後の音楽室……。
2人だけになった室内に、榊が日誌を書く音だけが響いている。
この光景も、残り僅かとなるのだ。6月の定演で3年生の進学組は引退し、また新しい吹奏楽部が結成される。重責を負う部長として、また我が部のエースとして皆を引っ張ってきた彼女も、音大進学のために引退するのだ。
「先生〜終わりましたよっ。そろそろ帰りましょうか?」
勢いよく立ち上がり、榊は日誌を元の棚に戻した。
「ああ、そうだな。車を出してこよう」
「じゃあ、裏門の方に行ってますね!」
制服のスカートを翻し、フルートを片付け始める。どの仕草も、その一つ一つが眩しく映り思わず目を細めて見つめてしまった。
「やぁだっ! そんなに見ないで下さいよぅ。何か恥ずかしいです」
どうやら、長い時間凝視していたようだ。
「あ、ああ。すまない。……さあ、帰ろうか」
榊の柔らかい髪を撫で、自然と微笑を浮かべる。叶うなら、彼女の笑顔を一人占めしたいものだと思う。束縛し、腕の中に閉じこめたくなる衝動をどうにか抑える。微笑みながら私の腕を遠慮がちにつかむ姿がまた可愛くて……。
全く最近の自分はどうしてしまったのか。だが、こんな自分が嫌いではない。彼女を見ているとそう思えてくるのだから、不思議なことだ。
「榊」
「はい?」
歩みを止め、彼女の頬に両の手を添え。更に、軽く口づけてみた。
「ど、どうしたんですか? 急に……」
頬を赤く染めながら問う彼女を見つめる。
「たまには欲望に正直になってみようと思った、それだけだ。……以上!」
更に頬を染める、愛しい恋人が。今は確かに自分の隣に……いる。
2011,April.26th. ; rewrite @ Ruri.Asaoka.