*未来予想図

 最近は時期も時期だということもあり、進路の話がよく話題に上がるようになった。プロになりたいという夢がある以上、留学するべきだとその度に父は言う。
 零一さんには、K音大に進学することでもう願書とか推薦の準備もしてもらってはいるのだが。留学も視野に入れたらどうか、とその零一さんにまで言われるのだ。──零一さんは、私と離れても平気なんだろうかと悩んでしまう。だって、留学って……海外だよ? それも、大学なら最低4年は離れることになる。私には、そんなの耐えられそうにないのだ。

 そうして。一学期末テストが行われ。テスト休みにでも会わせたい人がいる、と零一さんに声を掛けられた。一体誰なのか、訊いてみたその人は──。

「えっ!? 真崎李々香って……プロのフルート奏者ですよねっ。私、憧れてるんですよ〜。零一さん、知り合いだったんですか?」

 真崎李々香さん、29歳。世界中を飛び回る実力派の美人フルート奏者として、クラシックファン以外にも有名な女性だ。そんな女性が零一さんと繋がりがあったとは意外だったのだが。

「俺の高校時代の先輩で、今は父が彼女を支援している関係で一応接点がある」
「父って……氷室蒼一郎!?」

 零一さんのお父様は、有名な作曲家で指揮者としても世界的に活躍してて……とにかくスゴい人だ。そうか、お父様繋がりなら李々香さんと知り合いでもおかしくないか。あ、でも高校の先輩って言ってたっけ。

「父が今週末に彼女を連れて帰国することになったんだ。母に君の話を聞かされて、父が会わせてみたくなったらしい。珍しく俺に電話してきたと思えばその話だった」
「ひぇ〜。2人ともプロ中のプロですよ!? 緊張するじゃないですかっ」
「そのプロを目指すのだろう? 会ってみても、悪くはないはずだ」

 それはもちろん、だ。李々香さんは憧れの人だし、サイン欲しい、なんてミーハーなこと考えてしまう。

。。。。。

「話は色々聞いているよ。初めまして、だよね? 瑠宇ちゃん」

 零一さんとそっくりな声で、よく似た顔。何というか……ダンディ?

「克敏や比奈子くんは元気かい? しばらく会っていないんだが……」
「ふふ。とっても元気ですよ。今日会うことを話したら、今夜辺り会いたいって2人で騒いでました」

 母同士が親友……ということもあり、結局は両親共々友人だということが判明したのだ。
 私の驚きなんか、どうでもいい感じで。2人は零一さんのお父様に会うのがめちゃくちゃ楽しみだって盛り上がっちゃって。華枝さんに電話までして暫く騒いでいたのだ。

「そうか、それは楽しみだな。そのうちメールでも来るかもしれんなぁ。……では、さっそくで悪いが、李々香くんに会ってもらえるかな?」
「あ、はいっ!」

 緊張のためか、声が裏返ってしまう。それを見ていた零一さんは呆れたような表情で私を見下ろしてきた。

「瑠宇、そんなに緊張する相手ではないから。落ち着いた方がいい」
「え〜? だって憧れの人ですよ!?」
「会ってみて、ガッカリしないといいんだがな」

 ……へ? それは一体、どういう意味で? そんな私の疑問は、あっという間に解決することになる。扉を開けた向こうにいた李々香さんは──零一さん曰く“変人”だったのだ。

「初めまして! 君が瑠宇ちゃん? へぇ〜可愛いじゃん! やるねぇ、零一!」

 ……目が、点になっちゃったんですけど?

「んで? もう手出してんでしょ〜。どうなのさっ?」
「李々香さん……一応、父もいるのでそういう話は勘弁してもらえませんか?」

 汗ダラダラの零一さん、という珍しいモノを見てしまった。うわぁ……この人、マジで李々香さんなんだよねぇ?

「零一。話しづらいなら私は出るが? 李々香くんも、瑠宇ちゃんに話したいことがあるのだろう?」
「別にいっすよ〜? あたし的にはどっちでも! 気にしないから」

 ふぇ〜イメージが崩れるぅ〜! 見た目は可憐なオネエサマ系なのに、物凄いギャップなんですけどっ。

「驚いただろう? こういう地なんだ。この人は昔からガサツというか、荒っぽいというか……」
「何か言った!? 零一ぃ〜」

 まぁ、これはこれでカッコいいかな、とは思うけど。ところが。そんなノンキなことを考えている場合ではなかったらしく、次の李々香さんの発言に、事態は急展開を迎えることになったのだ。

「そうそう。瑠宇ちゃんにさ、忠告しときたいことがあってね」
「え……?」

 何か、ドキッとしてしまう。あまり、忠告って言葉はいい響きじゃない気がするのだ。

「どうして留学しないのか、言ってごらん」
「は、はい? えっ!?」
「零一と離れたくない…とかいう理由ならぶっ飛ばすよ」

 えぇっ!? ぶっ飛ばすぅ!? 図星、なんだからホントにぶっ飛ばされちゃうってことですか!?

「へぇ〜。天才プレーヤーも恋すると、ただのおバカ娘になっちゃうわけだ!」
「李々香さん! 彼女を侮辱する気ですか!?」

 お、おバカ娘……。そういうことになってしまうのか。

「あたしはさ、君の演奏生では聴いてないけど。録音したの聴かされて、プロになれる素質見抜いたわけよ。あたしの見込み違いとは思いたくないんだよなぁ」

 素質あるって、李々香さんに認められてるってことだよね? それは素直に嬉しい、んだけど。

「あんたら、ダメだわ。別れなさいよ」
「……へっ!?」
「零一、お前もお前だよ。らしくない。瑠宇ちゃんの将来、潰すつもりか?」
「なっ! それは……」

 別れなさい……? 私の頭に、血が昇っていくのが分かる。何で初対面で、零一さんとのことにまで口出されなきゃなんないの!?

「李々香さん! 私、プロにはなりたいです。でも零一さんと別れる気なんて、全くないですから!」
「……へぇ? 恋も音楽も両立するっての? 留学もしたくないって、ワガママ言っておきながら?」

 うっ、またその話題だっ! それを言われると勢いが弱まってしまうではないか。

「零一、あんただって分かってたみたいじゃん。自分が足枷になってるの、自覚してる」
「零一さん……?」

 足枷。その、嫌な意味合いを持つ言葉で私の視界に靄がかかる。追い討ちをかけるように、頭に手をやり溜め息をつく零一さんの姿を見てしまい……。
 ああ。ホントに、そう、なんだ?

「瑠宇。俺は……君が留学を選択肢から外してK音大進学を決めた時から悩んでいた。君のためには、やはり留学させるべきではないのかと……」
「で、でもっ。だから言ったじゃないですか! 日本でだってプロになれるって……留学するだけが全てじゃないって言ったら、そうかもしれないって納得してくれたじゃないっ」
「あの時は……」

 その時。李々香さんの腕が、私の前にぬっと出される。

「甘いよ、瑠宇」

 いきなり、呼び捨てされてしまってる!

「あんた、プロの世界知ってるはずだろ? あたしは、あんたの親父さん……榊克敏のピアノや音楽に取り組む姿勢、めちゃくちゃ尊敬してんだ。娘のあんたがそんなんじゃ、正直言って幻滅だね」
「なっ……!」
「零一と恋愛ゴッコするのは勝手だけど、それを天秤にかけんのはやめなよ」

 ゴッコ、って。そんな軽い響き……。

「零一もさ、あたしとつきあってた頃より軟弱になってない? 何なら、ヨリ戻しちゃおっか? 根性叩き直してやるからさっ」
「……李々香っっ!!」

 え……? 零一さんが、李々香さんと、つき合ってた? その上、ヨリ戻すって……それに今、零一さんが李々香さんを呼び捨てにしてた?
 もうダメ。頭ん中が、真っ白だ。

「とにかく忠告だっての。留学しないにしても、もっと根性据えなさいってこと! ちょっと瑠宇、聞いてる?」

 零一さんは。自分が足枷になってるとか思ってたんだ。私の甘い考えが、零一さんを悩ませちゃってたんだ。李々香さんに会わせてくれたのも、もしかしたら、私に遠回しにそのこと言いたかったからなんじゃないだろうか?

「おい、瑠宇? どうしたんだ?」
「零一さんには、やっぱり大人の女性の方が似合ってるのかなぁ? 私なんか子供だし……ああ、私、何言ってんだろ? 何かもうグチャグチャで……」
「そんな話は今していないだろう! ただ、俺は瑠宇が将来を見失ってしまうのではないかと心配になって……」

 ズキン、と胸が痛んだ。知ってた? 私、零一さんの負担にだけは、重荷にだけは、なりたくなかったんだよ? それだけは、絶対にイヤだったのに……。
 ポロポロ、勝手に涙が零れてくる。悔しい、この人の前で、李々香さんの前で泣いてしまってることが……とてつもなく悔しい!

「あ〜あ! 泣かせてんじゃんか〜」
「貴方には言われたくないっ!」
「お〜コワッ」

 2人が目の前で言い合っていることさえ、イヤでたまらない。どれだけ心が狭いんだろう、私という人間は。
 大体、泣いてどうするというのだ。ますます負担になってくだけじゃないか。

「ごめんなさい……今は何も考えたくないので、もう、帰ります!」
「瑠宇っ!?」

 腕を掴もうとする零一さんを振り切り、私は外へと飛び出した。

 そのまま、ひたすら走り続け……近所の公園まで来たところで、声を掛けられた。

「瑠宇……? 泣いて、るのか?」
「あ……珪くん」

 また一つ、大きな涙が零れ落ちる。知っている人に会えたという安心感からか……気がつくと、私は珪くんの胸に飛び込んで子供のように泣きじゃくっていた。
 やがて、雨が降り出す。
 珪くんは、ただ私の背中を優しくさすって。大丈夫だ……と繰り返した。

「俺がいるから……」

 泣き止んで見上げると、雨で濡れた髪を拭いもせずに、淋しげな笑顔を向けている珪くんの表情が見えた。

「今は何も訊かないから……泣けよ」

 グイッと引き寄せられ、珪くんの腕に包まれる。ああ、このまま、甘えてしまっていいんだろうか……? でも、今は何も考えたくなかった。
 珪くんの腕に包まれながら、お互いの心臓の音がトクントクンと音を立てるのを、黙って聴き続けていた……。



────It just merely continues being addicted to the sea of a tear now.



(悔しくて、哀しくて、それでも好きなんだもの)



2011,October,11. ; rewrite @ Ruri.Asaoka.

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