* Romance has not started yet

 小さい時に住んでいたこの街に、私は戻ってきた。

 はばたき市、はばたき学園の高等部。それが、私──榊 瑠宇(さかき るう)がこの4月から通うことになった学校だ。
 窓を開ければ微かな潮の香りが鼻腔を擽る。記憶は薄らいでいるものの、この香りは懐かしさを感じさせる。
 きっと、記憶とは別の次元で躯に染み付いたものなんだろう。
 既に魂の一部とも化している"相棒"でもある愛する楽器(フルート)をケースから慎重に取り出して。頬擦りをしながら真新しいベッドにゴロンと横になった。
 この子(フルート)の為にも頑張らないと。
 ベッドに散乱していた書類や楽譜の山の片隅から、一冊の通帳を目に留める。
 この通帳は限りなく残高がゼロに等しく、しかも毎月定期的な額が引き落とされていく予定の魔の通帳。ちょっと値の張るこの愛器を父に買ってもらった時に約束したのだ──高校生になったら、バイトをして楽器の代金(全額は無理なので半分だけ)を返済することを。
 要するに。父に借金して手に入れた程の、何にも代え難い大切な愛器なのだ。
 この街に帰ってくることが決まった時に、まず選んだのが学校だった。はば学の吹奏楽部が全国大会の常連であることと、その指導者である顧問の先生が(鬼顧問らしいが)とても有能だという噂があることから即決した。
 物心ついた頃から始めたこともあってか、既に中学の時点でフルート奏者として名を馳せている私にとって、フルートに賭ける情熱を発揮する打ってつけの条件を満たす学校だと思ったのだ。
 幼い頃の記憶を辿れば、はば学には何度か遊び場として通っていた気もする。神秘的な雰囲気のある、敷地内にある教会とか……。
 時折フラッシュバックする記憶は、きっとあの教会だと思うのだが。
 入学したら、ちょっと探してみようかと思う。懐かしいし。何となくワクワクもするし。

 来たるべき学園生活への期待やら願望やらを考えつつ。
 取り敢えず。
 最大の難関は。吹奏楽部入部後に鬼顧問と噂される先生をどうやって言いくるめ、バイトを許可させるかということ。普通の部活やってる子だってバイトとの両立なんか難しいだろうし。バイトするなら入部拒否、ってのもアリ? いざとなったら市民楽団とか……そういうのも視野に入れなきゃならないかもしれない。部活はなしになっても、楽器を演奏することは続けていきたいから。
 一応、勉強も頑張らないと。一般受験で合格はしたけど、はば学は学力も高い方だから。赤点なんかとったら、フルート取り上げられるかもしれない! 母の方も全面的に私の味方はしてくれるけど、さすがに赤点は庇ってくれないはずだ。肝に命じないと。
 後は恋──とか、うん。カッコいい人とか、いないかなぁ。今まで男っ気ゼロだったから、少しは出逢いとかあって欲しいと思う訳で。欲張りかもしれないけど。恋にも、勉強にも、部活にも。色んなことに期待をしつつ、窓の外に広がる青い空に向かって大きく息を吸い込んだ。



────Romance has not started yet.

(まだ恋は始まらない)



2009,September,9th. ; rewrite. @ Ruri.Asaoka.


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