「なあ、愛しい人。
今度こそ本当に、さよならだ。」



10年前の、初冬頃だっただろうか。

当時の俺は、受験を控えた中学三年生で、周りが次々と将来の為の準備に勤しんでいく中、何事にも興味が持てず、やる気も出ず、生きながらに死んだ様な生活を送っていた。

寧ろ今この場で俺が死んだとして。
世界も俺も、なにも変わらないんじゃないだろうか。
そんな事まで考えたりして、
今思えばあれは、一種の受験ノイローゼだったのかもしれない。

そんな、人生の堕落点ともいえる時代、俺がひとつだけ興味を示したものがあった。

隣のクラス。
いつも窓際の席で外を眺めている、どこか不思議な雰囲気を纏った、男。

ほぼ小学校からの成り上がりであるこの中学にいながら、俺はそいつと1度も同じクラスになったことがなかった。

その物珍しさも興味の材料ではあったと思うけれど、もっと他に、なにかある気がしてならなかった。

正直なところ、唯一持った興味が男である自分を至極気味悪く思い、同時に、深く惚れ込んでいたのだ。




「教科書、貸してくんない?」

自分の興味の矛先に気がついてから俺は、わざと物を忘れ、時には忘れたふりをして、借りるという口実を掲げては頻繁に隣の教室へと訪れていた。

突然忘れ物の増えた俺に、疑問を持った人もいたかもしれない。
でも、時期が時期だ。皆は受験に頭を占められていて、そんなことに気を回す奴なんて居なかったと思うけど。


「おいおいまたかよ、大丈夫かー受験生。」

幸いこの教室にも友達と呼べる人間が居たため、この教室に訪れていることについて不思議に思われることはなかった。


「わるいな、ついうっかりさ。」

教室の入口、ドアの淵の辺りで求めた物を渡される。
それから少し話して、その途中、そいつの肩越しに、静かな人影をちらりと見やる。
それが俺の日課になりつつあった。

彼奴は、自分を見るためだけに毎日、わざと物を忘れる男が居ると知ったらどう思うだろう。
どんな顔をするんだろうか。

ああ、見たい。
窓の外にしか注がれぬ視線。
熱っぽくて、冷えている、その掴めぬ視線を、俺に、向けたい。

「なあ、」

「ん?」

「あの窓際に座ってる奴、呼んでくれない?」

するりと抜け出すように出た言葉。
それが、おれたちの、はじまり。





最初は大変だった。

そりゃあ見ず知らずの男に突然呼び出され、話がしたい。なんて言われたら、誰でも怪訝に思うだろう。


…それを差し置いても彼奴は、いやに警戒心が強かった。



「あの、僕になにか用ですか?貴方との接点は、なかったと記憶していますけど。」

俯きがちの顔とは逆に、警戒を丸出しにして、俺を見上げる瞳。
その瞳にかかる黒髪も、全てが興味の中枢を突く。

「…なあ、お前、名前なんて言うの?」

相手の話なんてお構いなしに自分の好奇心だけをぶつける。

「はあ?貴方、僕の話聞いてるんですか。初対面の人に向かって、質問に質問を返すだなんて、信じられない。」

ぎり、と小さく歯を軋ませたその仕草すらも、鮮明に覚えている。

不機嫌そうな表情からは、窓を見つめていた時の熱く冷たい視線は消えていて、ただただ軽蔑と不信感が感じられた。

「……'' ''」

そんな表情に昂ぶりを感じつつ、ふと見た胸元にはっきりとついていた名前を、小さく呼んでやる。

「…っ、?!」

するとどうだろう。先程まで一身に感じていた、軽蔑や不信感、それらを纏った視線。そんなものはなくなって、見えるのは、動揺。


(なんだろう、なんだこれ。
…いとおしい。)


あの時、心の底からふつふつと湧き上がった感情を、忘れてしまうことは、きっとない。 今も、これからもだ。





同年、2月半ば。

沈んだ筈の日が、雲の隙間で輝かしく煌めいている、そんな冬の日。

「なあ、おれたち、もうすぐ卒業だな」

視線は前方に投げたままに、隣の人影へと呟く。

「……それが、どうしたんだ。」

ふたつ。間を置いて、そいつは返した。

俺が呼び出したあの日。
あの日から、ふたり目が合うと、必ず 俺が笑んで 、ひとつの間のあと、こいつが逸らした。

すぐの頃は、そこまでするかというくらいあからさまに避けられていたけど、めげずに話しかけ続けて、ぽつりぽつりと積み重ねた言葉が、今の関係を生んだ。

「いやあ、寂しくなるなあって。」

真冬の冷たい空気を白く染めながら、拙い言葉を繋ぐ。
この空気が暖かく変わった頃、俺達はもう、別々の場所にいるんだ。

「…そんなこと、ほんとにおもってるのかよ。」

(あ、今度は間、ひとつだ。)

こいつは俺に言葉を返す時、必ずひとつかふたつの間を作る。

今までの短い交流期間を振り返ると、おそらく、ふたつは悲しいとき、ひとつはうれしいときだ。

勿論百発百中ってわけじゃないけれど、たぶんそう。

「うん、おもってる」

「…なんで、そう思うわけ」

いつも通り、無表情の中に、すこし不機嫌を含んだ、そんな表情。
声に変化もないけど、わかりやすい。

「んー……好き、だから?」

こいつを見つけたその時から、きっと抱いていたであろう感情。

口にしたのは初めてだけど、気づかれていたかもしれないな。

「………」

「…!」

どう返すかな。なんて考えてたら、無言のままに、自分の指を、だらしなく垂らしたままの俺の指に絡めてきて。

(ああ、これは、 予想外。)



「やっぱりいけないんだ。俺達、さよならしよう。」

卒業式。 丸い筒状の入れ物に入った卒業証書を手に、まだ蕾だった桜の下、たった三ヶ月愛しただけのそいつに、別れを告げた。

「……お前なら、そういうと思ってたよ。分かってたんだ。 でも僕は、もう少し早くお前と出会って、もう少し長く、幸せでいたかった。」

あっさりとした別れ。
二人の間で交わされた台詞はたったの三つ。

「「さよなら。愛しい人」」


俺は、本当は触れる筈もなかった人間を、自分から引き寄せて、あの日、自分で突き放したんだ。





それから、10年。25歳になった俺の元に、そいつから招待状が届いた。 見ると、結婚の知らせ。

まさかそんな吉報が、忘れたい存在である筈の俺に届くとは思わなくて、酷く動揺した。

表情は堅くても、優しかったあいつのことだ。
自分も幸せにやってるから、お前も前に進め。そういう意味だったのかもしれない。

なんて、都合のいい解釈ばかり連ねているけど、本当はただのあてつけだったのかも。

それでも俺は迷わずに、その葉書の出席という文字に丸をつけた。





「結婚、おめでとう。」

当日俺は、式後のパーティで幸せそうに笑っていたあいつに、少し抜けられないか、と声をかけ、祝いの円から離れた場所で、祝福を捧げた。

主役である新郎を連れ出すのはいかがなものかと思ったが、人前で話すには少し勇気が足りなかった。

流石に気の利いた祝福をしてやれる程の余裕はなかったけれど、思ったより自然に笑えて、ちゃんと心の底から祝えた事に、ひどく安堵した。

「来てくれて嬉しい。ありがとう」

あの頃より柔らかくなったそいつの表情に、時の流れと、自分のみっともないほどの未練を感じた。

こいつをこう変えたのは、どうして俺じゃないんだろう。

なんて、自ら望んだ結末に不服を申し立てる。

「ああ、中学時代の友達の結婚式に呼んでもらえるなんて、嬉しいよ。」

友達。 俺達の関係は、決してそんな清らかなモノじゃなかったはずなのに、言葉で事実を塗り替えようとして。

「…………それで、なにか話があるんだろう?主役の僕を、わざわざこんなところに呼び出したくらいだ。」

曖昧な事を嫌って、どんな話でも単刀直入に切り出す。
ここはあの頃のままだ。

「やっぱり、わかるか。………とりあえず、これを受け取ってほしい。…結婚式だ、花なんて貰い飽きているだろうけど」

きっとあいつも、最初から、俺の右手に掲げられた花には気がついていただろう。

「まあ、その通りだね。でも、せっかくだ。受け取らせてもらおう。………シオン、か。」

自分から手を伸ばし、俺の握っていた花束を受け取る。そして、その花を見ては、なにかを悟ったように微笑んだ。

「流石はお前だ。察しがはやいんだな。……そういうことだよ。お前も俺も、前に進まなくちゃいけないんだ。」

俺はこいつが、花や、それに当てられた言葉に詳しいのを知っていた。だからこそ、この花を贈ったんだ。

「分かっていたよ。お前は、あの頃と変わらないな。変わっていったのは僕だけ、か。……せめて最後に、僕からも花を贈らせてほしい。」

ふっと息を漏らし自嘲気味に笑んだそいつは、会場中に並べられた花々の中から、一つの鉢を取り上げ、俺へと差し出した。

「鉢植えだなんて持ちにくい物を選んでしまって申し訳ないけれど、僕がお前に送りたいのはこの花だ。綺麗だろう。」

ブライダルベールと言うんだ。と、花に詳しくない俺を気遣って付け加えてくれた。意味まで教えてくれなかったのは、きっと自分で調べてくれということだろう。

「ありがとう、大切にする。…じゃあ、俺はもう行くよ。あまり長く居ても心苦しいだけだ。」

未練が暴走しないうちに、歯止めがきいてる今のうちに。
言葉が嫌でも急いてしまう。

「……ああ。」

間が、ふたつ。 俺は、そんな細かなお前の癖さえも、忘れられていないんだ。

「 お前も幸せそうで、よかった。」

去り際そいつは、俺の左手をちらりと見て、心底安心したように、また、わらった。





会場から出る際、偶然そこを通った新婦直々に、豪華な引き出物を渡された。

「今日は来てくださってありがとうございます。彼の中学時代のお知り合いなんですってね。」

あいつにぴったりな、慎ましやかな微笑みと落ち着いた雰囲気を持った、素敵な女性だった。

「ええ。…あいつを幸せにしてくれて、ありがとうございます。」

俺には出来なかった事だから。
出そうになったその言葉は呑み込んで、小さく笑いかける。

すると、彼女は驚いた様に目を丸めたあと、はい。と言って、先程よりも柔らかな笑顔を浮かべた。





中とは打って変わって、会場の外は静まり返っていた。
元々人の多い地を選ばなかったのだろう。自然が多く、いい場所だ。

近くには池もあって、俺はその淵へと足を運んだ。

水面を眺めると、来た時よりも心なしか穏やかになっている俺の顔がくっきりと映った。

その顔の前に左手を翳し、煌めく銀の輪を、右手でそっと外した。

あの日と同じような、雲間の輝き。沈み切った太陽の、静かな余韻。

そんな空に向かって、銀の輪を高く投げると、

ぽちゃん。

目の前の大きな池にへと音を立てて姿を消し、水面を波紋が走った。


「なあ、愛しい人。
今度こそ本当に、さよならだ。」






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