夜の兎~番外編2~ | ナノ


▼ 童心


『昨日、関東に大雪警報が発令されーーー』


 テレビから流れる声を右に流し、歩きながら適当に取ったダウンに袖を通す。そんな私の足は真っ直ぐ外へと向かっていた。


「あれ?名前ちゃんがもう起きとる。早いねぇ」


「おはようお茶子」


「おは「じゃあ、またねお茶子」やっぱり早いね!?」


 挨拶はそこそこに。ぴょこんと頭から寝癖を生やしたお茶子に軽く手を上げ、クラスメイト達が揃いつつあるリビングを突き抜ける。休日は基本的に朝から活動することの無い私がすでに外へ行く準備をしていることが物珍しいのか、お茶子の挨拶を皮切りに自然と視線が集まった。だが、今はその全てに構うつもりはない。

 早く、早く。

 期待感に自然と早まる足は全ての暖房器具がフル稼働し、半袖でも過ごせてしまうハイツアライアンスの暑さでさらに拍車がかかる。気付けばいつもよりも大分短い時間で玄関へと辿りついていた。最後に上着のチャックを最大まで引き上げればあとは外に出るだけ。


「ふぁ…。なぁに、お前どっか行くの?」


 不思議そうな声に振り向くとコーヒーカップを片手に持った上鳴がいた。口元をむにゃむにゃと動かして、個性を使った後のようにあほ面を浮かべる彼の頭は電気が走ったようにセットされたいつもとは違い、雷に打たれたみたいにあらん方向に散っている。


「ふふっ。そ!」


 それが面白くて、つい笑ってしまった私に彼はポカンと口を開けるとすぐにぎゅっと梅干しを食べた時のように顔を窄め、漏らすように小さく「……可愛い」と呟いた。


「いや、待て待て。今日、むっちゃさみぃよ?それに俺ら外出禁止だろ。どこ行くってわけ?」


「外!」


 もう行くね。そう言い残し、勢いよくドアノブを開けた私は「はぁ!?」と上がった声を置き去りに外へと飛び出した。


「やっぱり…」


 そしてすぐに足を止める。寮の外には一面の銀世界が広がっていた。林も草も建物もベンチや道もその全てが昨日降った雪によって包み込まれ、何も描いていないキャンパスのように広がっている。そう、私はこれを見たかったのだ。

 ゆっくりと一歩踏み出せば、まだ誰にも踏まれていない新雪に足が少し沈んでザクッともボフッともいうようななんともいえない小気味良い音がする。それが面白くてもう一歩、もう一歩と踏み出せば、何も無い雪の上に私だけの足跡ができた。

 さらに足を踏み出す。一歩、一歩、一歩、一歩、そして駆け出し、両足でジャンプ。ザクッと雪の崩れる音がして、また一歩、一歩。私は夢中になって白い雪に足跡をつけた。そして気付いた時には寮から大分離れたところまで来ていた。


「はぁ…」


 体温よりも低い外気に吐いた息が白く染められる。ふと下を見ると綺麗だった足元の雪は今や見るも無惨に足跡と土に汚れていた。


「ふふ、あははっ」


 汚れてしまった。こうなってしまってはきっともう戻れない。するとさっきまでキラキラと輝いていたはずの雪が、心惹いてやまなかった雪が途端になぜかとてもつまらないもののように見えた。そして、私はふと故郷のことを思い出した。


「そういえば」


 故郷の星にも稀に雪が降ることがあった。灰色の雪だった。いつも雲に覆われ、汚れと血に塗れた星にはお似合いの灰の雪。そして降り積もった灰はすぐに黒く汚され、時には血に濡れ、数多の人々に踏み散らされ、地面を濡らす。私の故郷の雪はそれだった。それが本来の雪の姿ではないことを知ったのは地球に来てからだった。

 そうだ。そうだった。 

 私はあれを、まだ誰にも踏まれていない雪の山をずっと、踏んでみたかったのだ。己の幼少期にはそんなことをしている余裕も美しい雪も無かった。自分の手であの真っ白なものを、誰よりも先に、崩されてしまう前に崩してしまいたい。きっとそれはとても楽しいことのはず。そんなまるで子供のような衝動を私はずっと持っていた。だから楽しみにしていたのに。


「……」


 呆気ない。黒く砂の混じった雪を蹴り上げ、さらに深い雪へと足を進める。だが、進めば進むほど雪は汚され、やっぱり輝きを無くしていく。故郷の雪と同じ。全く違うものだったはずなのに色褪せていく。楽しみにしてたのになぁ。

 それがなんとも勿体無く感じて、その場にしゃがみ込んだ。そして雪を両手でかき集め、ぎゅっと力を込める。でも、雪は綺麗に形にはならず、ぼろっと塊が崩れ落ちていった。それをもう一度かき集め、またぎゅっと力を込めてみる。それでも綺麗な形にはならない。


「……」


 歪なそれにただ固めればいいだけじゃないの?と首を傾げたその時、頭上から声が降ってきた。


「こんなとこでしゃがんでんじゃねぇ。邪魔だ」


 顔を上げれば光を背にした尖った髪が見える。そして、ほのかに鼻を擽る香り。その全てに覚えのある名前を呼ぶとそのシルエットがゆっくりと私の前に腰を下ろした。


「爆豪、なんでいるの?」


 そう言うと手袋にマフラー、ダウンにニット帽という防寒対策バッチリな服で身を包んだ爆豪は苛立ったようにケッと唇を突き出して「ロードワーク」と吐き捨てた。


「勘違いすんじゃねぇぞ。テメェが俺の道中にしゃがみ込んでた。それだけだ」


 勘違いとは何のことなのか。それは分からないけどそんなに邪魔になるところにいたのか、と辺りを見渡す。でも周囲には当然私達以外の人はいなくて、だだっ広い道にあるのは雪くらいなもの。通ろうと思えばいくらでも場所はあるように思えた。そんな私の言わんとすることが分かったのか爆豪の眉が不機嫌そうにぎゅっと寄る。そして彼は唇をわなわなと震わせながら念を押すように「トレーニングだっつってんだろ」と言った。


「ふんっ」


 そして黙れと言わんばかりに自分の帽子を取った彼が勢いよく私の頭へそれを落とす。途端、目元が布で覆われ、前が見えなくなってしまった。何するの、言葉には出さずにもぞもぞそれを引き上げるとやっぱり目の前の爆豪はダウンを着ていた。


「その格好でトレーニング?」


「冷えたらトレーニングの意味ねぇだろ」


「汗臭いのは嫌」


 すん、と鼻を鳴らす。でも彼の服からは不快な匂いはなくて、ただ甘いニトロの香りがほのかに香った。


「だぁぁぁ、嗅ぐんじゃねぇ!」


 慌てたように爆豪の手が伸びて私の顔を覆う。個性の発生場所だからなのか甘い香りが強くなった。服と同じ、彼特有の匂い。だから私はすぐに彼に気が付ける。爆豪は観念したようにそっぽを向くと「チッ」と舌打ちをした。


「分かってんならわざわざ言わせんな」


「嘘つくのが悪い」


 それぐらい見抜ける。でもトレーニングじゃ無いとなると彼は一体どうして。どこかに行く予定だった?ならこんなところで油は売っていない。誰かの代わりに私を呼びにきた?そういう代役、みたいなのは嫌がりそうなものだけど。

 考えても分からない理由に疑問を浮かべているとそれが伝わったのか、彼は怒鳴るでもなく、わざと抑えるわけでも無い、自然な声色で答えた。クラスメイトといるときは騒がしい爆豪だけど、何もいつもというわけではない。二人でいる時、彼は思慮深く感じるほど静かに話した。周囲がいない分、プライドが刺激されにくいのか、それとも入学からの態度を今更変えることへの引っ込みがつかないのか。まぁ、概ね前者に近い何かだろう。


「んな格好で外出てんじゃねぇよアホ」


 口の悪さはあんまり変わらないけど。続けて「さみぃだろ」そう言った彼に私は目を丸くした。つまり爆豪は私を心配してわざわざここまで来たらしかった。


「平気だよ。寒くないし」


「さみぃんだよ」


 爆豪の手が伸びてきて私の手を持ち上げる。見れば私の手は茹ったように真っ赤に染まっていた。そして指摘されたことで思い出したかのようにジンジンと指先が痛み出す。


「……痛い」


「はしゃぎすぎだろ。反射ですら火傷する雑魚が。いきがってんじゃねぇ」


 彼の手が私の手に覆い被さる。個性柄体温が高いらしい彼の手は雪と同じくらい冷えてしまった私の手には熱すぎる。驚いて引こうとするとそれより先に爆豪にグッと掴み寄せられた。


「これでも着けてろ」


 引き寄せられた手に布のような感触が覆う。粗暴な言葉に反して丁寧な動きに下を見るとそれは爆豪がつけていた手袋だった。でもちょっと付け心地が悪い。ゴソゴソと動かして指の根元まで装着してみる。それでもちょっと違和感があって、見ると指先の布が余っていた。爆豪の手、こんなに大きかったんだ。


「爆豪は寒くない?」


「お前と一緒にすんな」


 彼なりの”YES”だろうか。確かに彼の着けていた手袋にはさっきまで私の手を包んでいた彼の熱が残っている。それでも外気に晒されているのを見ると自分のは気にならなかったというのにどうしても寒そうに見えて、今度はさっきとは反対に私が彼の手を包んだ。すると少しの沈黙が生まれる。


「爆豪は雪好き?」


 私は興味本位、彼にそう尋ねた。


「別に。興味ねぇ」


 考えるまでも無い。それくらいの間で答えが返ってくる。じっと私の手を見る彼は本当にそう思っているようだった。それが私には面白くてつい笑いが漏れる。


「ふふっ…あははっ」


「寒さで頭いかれたんかテメェ」


 訝しむように私を見る爆豪。私はそんな彼が面白くて、今が楽しくて止まらない笑いを抑え込むため、頭を前に倒した。するとその拍子に彼の頬が髪を掠める。寒さのせいだろうか。私たちはいつもよりずっと近くにいたらしい。それに気付いた途端、彼の肌から熱を感じるような気さえしてくるほど。だが、その間を冷たい風が抜けていく。私はそのまますぐそこにある肩口に頭を乗せた。彼は何にも言わなかった。


「私は雪好き」


「興味ねぇよ」


 爆豪は「お前にも」と言うつもりだったのかもしれない。でもその声はこんなに近くにいても聞こえてはこなかった。足元に見える雪がキラキラと輝き出す。


「爆豪は雪兎の作り方知ってる?」


「知ってるに決まってんだろ」


「作れるの?」


「誰にでも作れるわ」


「私にも教えてくれる?」


「教え殺してやるわ」


 そうして私は数十分後、何十匹もの雪兎を抱え、キラキラと輝く雪と足跡を辿って寮へと戻ったのだった。

 
 

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