夜の兎~番外編2~ | ナノ


▼ 鳥からと生ビール

 

 ブーー、ブーーッ、ブーーーーッ


 連絡用の端末が朝も早よ(正確には昼だが)から震えている。


「……」


 ご苦労なこと。風に吹かれ、投げ出した足を揺らしていた名前は片目を開けた。


「……」


 サイドキック1と表示されている画面に視線が落ちる。そして硬いコンクリートの上に無造作に置いていた端末の上に指を置き、拒否マークに滑らせた。


 ブーーー、ブーーーー、ブーーーーー


 だが、また少しもすれば同じ振動が音を立てる。放置しても途切れるばかりで延々持ち主を呼び続けた。せっかく気持ちのいい風に吹かれていると言うのに。名前は何とも耳障りなそれを止めるため、仕方ないなとばかりに指をさっきとは反対に滑らせた。


「なぁに」


『ダンチョー!!大通りでヴィラン出現です!』


「分かってる」


『はぁ!?分かっとるって何スカ!』


 いつから加入したのかはよく覚えていないが、サイドキックが知らぬ間に雇い始めた見習いもそこに居るのか『俺ずっとパトロールしてやっと見つけたのに……!』と端末がぼやく。役に立ちたいのか、彼は何かと良いところを見せたがるのだ。


『今何処ですか!!』


「上」


 ビルの屋上から街を見下ろせば、通りの真ん中で巨体の敵が銀行に向かって銃のように変形させた腕を向けているのが見える。


『速く速く!俺ら避難指示してるんで!』


『今日のランチは豪華にしますんで!!!頼んます!!』


 となれば仕方がない。傍観を決め込むつもりだった名前は首元のゴーグルを目元に上げるとくるりと一度傘を回し、イヤモニから聞こえる声に急かされるようにハァ、とため息を吐きながら一歩足を前に出した。 


 途端、重力に従い、体が地面に向かって落ちていく。


 びゅうびゅうと吹く風は耳に当たり、少しずつ地面が近くなる。あと半分も落ちれば地面というところで、その瞬間、自分よりも遙か高い上空から猛スピードで降りてくる気配に気が付いた。


 ソレは真っ直ぐに降下し、名前の上へと影を落とす。その影は重なる瞬間、翼を広げるとそのまま名前を超えて先へと進み、小さな羽の束を敵へ向かって放った。


 ドシーーン


 敵の体が地面へと倒れ、少し遅れて名前も地面に着地する。目線の先では、既にヒーローに群がる人の集団が出来ていた。


「ホークス!ありがとな!」


「写真撮って!」


「ハハハ」


 文字通り敵をかっさらい、その真ん中で爽やかに笑っている男の名前はホークス。話題の男である。


「……」


 またか。


 傘を開くのはめんどくさい、と目元に影を作りながらゴーグルを目元から持ち上げる名前にすぐさまサイドキックが駆け寄る。


「ダンチョー!」


 事務所所属のヒーローになぜか自然と広まった呼び名を叫びながら慣れた仕草でどこかから取り出した折りたたみ傘を開く彼は忌々しいと言わんばかりの表情である。


「持ってきてたの?」


「なんかあったら困りますから」


「かしこいね。助かるヨ」


 一言礼を言えばころりと表情を変えるサイドキック。


「いえいえダンチョーのためなら!!」


「持ってきたの俺なんですけど!!」


「黙ってろ新米」


 ベテランと新米による醜い争いに人だかりも気付き始める。そして、その視線はすぐにその中心にいる一人に集まった。


「待ってあれって……ヤトじゃない!?」


「うわ、今こっちで活動してんのマジだったんだ!」


 拠点を持たず、全国で活動する名前との遭遇率はそう高くない。知名度に反し、神出鬼没なそのヒーローにざわざわと騒ぎ出す市民の輪の中で、にこにこと笑うホークスがあたかも今気付いたかのように「ああ」と名前に向かって歩き出す。


「すいませんね。人が多くて」


 「人気がありますってアピールかコラァ!!!」と噛みつくサイドキックを横目にホークスはポケットに両手を入れたまま名前の目の前までくると大して変わらない上背にも関わらず、わざとらしく腰を折り名前の顔を下から見上げた。


「また会いましたね、センパイ」


最速の男、No.3、市民に愛されるヒーロー。そんな様々な名のあるこの男、ホークスはなぜか名前を先輩と呼んでいた。


「相変わらずマイペースですよね。遅かったんで俺がやっちゃいました」


 片目を瞑り、「すいません」と思ってもいなさそうな顔で片手を上げ、笑う男。だが、それは何も今日が初めてではなかった。

 近頃、先輩と呼ぶこの男は名前の行く先々に現れると敵を横から掻っ攫い、怒らせるように嫌味を残していくのだ。その上、困ったことにそれに付き合うつもりはこちらには毛頭無いというのに、そうとは思っていない周囲が囃し立て、気付けばメディアまでもが会うたびに敵争奪戦と書き立てる始末。

 名前は番犬の如く飛び出すサイドキックの首根っこを掴むと、呆れたような口調で「日が漏れる」とそれを宥めた。


「ホークス!またアンタですか!いい加減、団長のこと追っかけ回すのやめたらどうです」


「何言ってんですか。普通に仕事してるだけですよ。それに元々俺はこっちに拠点置いてますから」

 
 盾にするように名前の背中から顔を出したサイドキックがホークスに噛みつき、ホークスはそれにヘラヘラと返す。今や見慣れた光景だが、まるで犬と猿のような関係性につい名前が笑みをこぼすと二人の視線が勢いよく向いた。


「仲良いね、お前たち」


「「仲良く無いです」」


 そんな2人に「先に帰るヨ」と声を掛け、自身の傘をさす。そうして、人の間からするりと抜け出せば、サイドキックのものとは違う軽い足音が少し後からついて来た。


「なに?」


「センパイ、今日の飲み会来ます?」


 一枚の羽が彼の翼から抜け出し、注意を惹くように名前の前でひらひらと飛ぶ。後ろにちらりと目をやれば、立派な翼も使わずに、わざわざ自分の足で歩くホークスがにっこりと嘘くさい笑みを浮かべた。


「飲み会?」


「あれ?知らない?ああ、センパイってトモダチとかいなさそうですもんね。ヒーロー飲み会ですよ」


  「こっちにしばらくいるなら顔見せも兼ねて行くのもいいと思いますけど」とホークスは続けた。


「行かない」


「それは残念。センパイ、ちょっとはコミュニケーション取った方がいいんじゃないです?メディアにも塩対応、ファンサもしない、そんなんだから俺に負けちゃうんですよ」


 そうして聞いてもいない今日の参加メンバーの話と居酒屋の話を始めるホークス。本当にうるさい奴だ。そんな彼の饒舌と連動するように目の前でふわふわと羽が左右に動く。名前は興味本位、それに手を伸ばした。


「ふしぎ」


 指先で羽軸を摘めば、それは意外にもイイ子に動きを止める。見た目は何の変哲もない羽をくるくると指先で回し、ぴたりと止まった無駄話に向かって後ろを向いた。


「そうかもね。肝に銘じて置くヨ」


 ふうと羽を吹けば、羽は彼に操作されることなく、風に乗り、ホークスの胸に当たった。


「じゃーね」


 ───────────


 なんて言ってたのに……。ガヤガヤ、ワイワイ。うるさい和室の掘り炬燵の1番端でくいっと酒を煽れば、付近のヒーロー達から「いい飲みっぷり!」なんて声が上がる。


「私、もう帰りたいんだけど」


 宴会は好きだが、こういう場はあまり好かない。


「いーじゃねーか!今日ぐらい」


 そんな私のため息を聞き、酒が入らなくとも赤いうさ耳がぴょこっと動く。私の肩を勢いよく抱くこの女は無理矢理連れて来た人物、ミルコだ。丁度、この辺りで活動していたらしい彼女は誰かに誘われ、初めは断ったらしいのだが、私がここらで最近、活動していることを知るやいなや、なぜか行く気が湧いたらしく、そんな彼女に引っ張られる形で無理矢理参加させられたのである。


「んで、何でお前ここで活動してんだよ。まさかあれか?噂の後輩くんの為か?」


 後輩くんというのはホークスのことだろう。なぜそこで彼が出て来るのか分からず首を傾げれば、ミルコはビールをぐいっと飲み、人参片手に大きく笑った。


「お前は違うだろうなァ。どーせアレだろ。お前のキョーミってやつ」


 博多に来たのは特に理由があったからじゃ無い。始末書含めた様々な書類業務、その他諸々の仕事に耐えきれなくなったサイドキック達に懇願されたための緊急の人材発掘と、面白そうな敵の匂いを追った先だったというだけ。

 ミルコの言葉に同意する代わりに唐揚げを口に放ると知らず知らずのうちに友人としてそこそこの期間を過ごした彼女はそれだけで「やっぱりな」と言った。


「そっちこそ知り合いもいないのになんでこんな宴会に?」


「面白ぇもんが見られると思ってな!」


「ふーん」


 ガハガハと豪快に笑うミルコに私のサイドキックが「飲んでますかー?ミルコさぁん!団長ォー!」と声を上げた。サイドキック達は誰に似たのか酒癖が悪く、大酒飲みばかりなものだから開始早々にも関わらず、いつの間にやら宴会場の中心で周囲を巻き込み、豪快に酒を煽っている。

 それにジョッキを軽く傾け返事をすれば、サイドキックは嬉しそうに「酒追加じゃー!」と叫んだ。この分じゃあと1時間もしないうちにこの場は出来上がってしまうだろう。ミルコも機嫌が良いのかいつもよりペースが早い。


「食い過ぎんなよ!また出禁になるぞお前」


「分かってるって」


 冷えたビールを勢いよく飲み干せば、ミルコが人参スティックを向けてくる。それに噛み付けば、ミルコはニィと笑い、「もうそろそろ来るんじゃねーか」と言った。するとそれに合わせたように、部屋がさらに騒がしくなる。彼女の言う通り、誰かが到着したらしい。


「ミルコの知り合い?」


「まーな」


 入り口の方を見るミルコを追うように同じ方へ視線を向ければ、そこにはホークスがいた。彼はここでも人に囲まれていて、ニコニコとあのいつもと同じ笑顔を浮かべている。


「言ったろ?」


 まるで彼を呼んだのは自分だとでも言うような言い方に首を傾げる。そもそも彼は参加予定だったんじゃ?そう思っていれば、ホークスと目が合った。その瞬間、彼の笑顔が固まり、まるで驚いたような表情に変わる。珍しい。だが、それもほんの一瞬のことで、すぐに視線が外され、またいつもと同じ顔に戻ってしまった。


 宴会はどんどん進み、そして空いた酒瓶も愚痴も増えてく。こんな貸切の場じゃなきゃヒーローはハメも外せないのだから当然のことだ。だが、それに比例し、チラチラとこちらを見る視線も増える。それが私がこういう飲み会が好かない理由だった。

 いつもならミルコがウサギとは思えない威嚇でそれを遠ざけてくれるのだが、「ちょっと待ってろ」とだけ言い残して今日は何処かへと行ってしまった。そのせいか不躾な視線ばかりが真っ直ぐに突き刺さる。


「ヤトさんは博多楽しみましたか?」


 焼酎の入ったコップを傾ける。舌のひりつくような辛みにつまみを食べる箸が進んだ。それから声の方に目を向ける。前の席に座る、誰かも分からないヒーローだった。興味が無かったために気付かなかったが、思い返せば初めにいた人とは違うような気がする。彼は既に酔っているらしく、その顔は赤かった。


「あんまりかな」


「まぁ、そうでしょうね。連日、メディアを賑わしているあの感じじゃ休みがあってもなかなか外には出れないだろうし」


「あの感じ?」


「ホークスとのです。同校出身とかですか?」


「違うよ」


 そう考えれば、なおさら不思議だ。なぜ彼は自分のことを先輩と呼ぶんだろうか。


「それじゃあ迷惑でしょ。俺から言っときましょうか。これでも同じ街のヒーロー同士、仲良くさせて貰ってるんで」


「平気」


 男が足を組み替え、その足先がつんと当たる。不愉快に足を少しずらせば、目の前にいるヒーローは「あとどのくらいこっちに?」と話を続けた。


「もう少ししたら、かな」


 答える気もないし、予定は気分次第。自分でもいつまでいるかは分からない。だが、彼にそれを教える必要は無い。


「じゃあ急がんとね。良かったら俺が案内を「センパイ、ここ良いですか」」


 ツンツン、と肩を突かれる。顔を向ければ、ずっと部屋の中心で飲んでいたホークスがいた。ビールを片手に持つ彼は随分と飲まされたらしく、耳が赤い。


「お、隣町のヒーローさんじゃ無いですか。あっちでアンタのサイドキックが呼んでましたよ」


 よっこいしょ、なんて歳に似合わないことを言いながらホークスは隣に腰を下ろした。


「早く行ってあげんと」


 あっちあっちとホークスが指差し、目の前のヒーローが「やべ、」と立ち上がる。部屋の中心では私のサイドキックと誰か、きっとさっきの彼のサイドキックとの飲み比べが始まっていた。


「さてと。センパイ、飲んでます?どんな話してたんですか?」


「飲んでるよ」


「これ?」


 ホークスは私の前に置いていたお猪口を手に取ると、それに一度口をつけた。


「ぐ、」


 思ったよりも強い辛味だったらしく、顔を一瞬、歪ませたホークスについ笑ってしまう。私も少し酔いが回ってきているらしい。するとホークスはいつもよりも少し目を細めて笑った。


「センパイ、楽しい?俺も楽しくなってきました」


「どうして?」


「センパイが楽しそうなんで」


 ホークスはそう言うと、上機嫌に持っていたビールを勢いよく飲み干した。


「あれ?ヤトさん、ビール空じゃないですか。これどうぞ」


 通路を挟んで後ろにいたヒーローからビールが差し出される。またか。何度目かのそれに、自然と眉根が寄る。少し前から何故かこうして頼んでもいない酒が運ばれてくるものだから、いい加減うんざりしているのだ。

 酒は好きだが、酔わされるのは好きじゃない。それに話したこともない他人からの酒を一方的に飲めるほど私は優しくない。それが善意よりも下心が占める場合は特に。すると、なぜか隣のホークスが「ありがとうございます」と言ってジョッキを受け取った。


「いらんかったんでしょ、センパイ。俺が飲みますよ」



 それからどのくらい時間が経ったのだろうか。


「……」


「あーー、酔った」


 私へと勧められる酒をどんどん飲み干した彼がとうとう机に突っ伏した。初めのうちは相当飲みたかったのかな、なんて思っていたのだが、この様子だと自分でも予期しないハイペースだったのだろう。こちらに顔を向けて机に伏せる彼の顔は酔いそのもので、世に知られているスマートさは少しも見えない。

 いつも小綺麗にセットされている髪は無造作に崩れているし、いつも生意気なことを言う彼の口元は力なんて入っていないようにへにゃりと緩んで、同じように緩んだ目元に鷹の鋭さはない。それにいつも飄々とした表情を浮かべている彼の顔には赤みが差していた。


「水飲む?」


「ほしい」


 焼酎を煽りながら一杯の水を渡す。するとホークスが「ねぇ、」と舌っ足らずに私を呼んだ。


「もうすぐココ離れるってほんとですか?」


「聞いてたんでしょ?」


「俺が質問しーとにー」


 むすっと不服そうな顔をするホークス。それを無視して新しい唐揚げに手を伸ばせば、彼はもう一度「ねぇねぇ、せんぱい、せんぱい」と繰り返し私を呼んだ。


「俺んことが嫌になったけんもどるんやなかよね?」


 方言が混じり出す。眉を垂らし、どこか不安気にも見えるホークスの表情。珍しいそれに、何だか無性に揶揄ってやりたくなって、少しの意地悪を込めて「そうだって言ったらどうする?」と言えば、彼は間髪入れずに「いやです」と言った。


「俺んこと、嫌になってほしくなか」


 ホークスは差し出した水をごくりと飲むと、目の前にあったきゅうりの塩漬けに手を伸ばした。


「わがままだなァ」


「センパイがいいます?それ」


 ホークスがじとっとした目を向ける。わがままは彼にとって不服らしい。


「じゃあ天邪鬼だ」


「センパイが鈍感やけん悪い」


「私が?」


 鋭いと言われることはあっても鈍感とは。首を傾げていれば、ホークスはカップの中にある氷を一つ口に含み、不満を表すようにそれを噛み砕いた。


「おんなじ現場行っとるのにすぐ帰るし。俺が何言っても振り向いてくれんし。今やってセンパイ狙われとるのにはっきり断ろうとせんし、今日も来んって聞いとったのに来とるし」


 「センパイが悪い」ホークスはもごもごと口の中で氷を転がしながら、理由になっているのか、なっていないのかも分からないようなことを言った。


「ふふっ、何それ」


 まるで私に構ってもらいたいような。そんな言い方につい笑みが漏れる。


「俺が好きなことも気付いとらん」


 それからカップの端を口で咥えて、小さな声でホークスはそう言った。


「?」


「あれ、俺いま」


 少しずつ、少しずつホークスの顔が赤く染まる。それは酒だけの力ではないように思った。なんだか今日は初めて見る顔が多い。だけど、それに悪い気はしなかった。

 ホークスは赤い顔のまま、伺うように私を見上げた。


「……聞こえとった?」


「私のこと好きってとこ?」


 「……かっこ悪か」そう呟き、俯いていく彼の髪に手を伸ばす。そして前に垂れる髪を後ろへと戻してやった。


「ねぇ、ホークス。今度の休み、博多案内してくれる?」


「えっ」


 がたんっ。突然、勢いよく顔を上げたホークスに合わせて机が動き、盛り上がっていた他の人達が「なんだなんだ」と騒ぎ出す。ホークスはいそいそと腰を下ろすと小さな声で「それほんと?」と言った。


「あなたが覚えてたらかな?」


「絶対覚えとるけん、センパイこそ忘れんとってくださいね」


 彼の周りで何枚かの羽がひらひらと舞う。嬉しいのだろうか。そんなことを思いながら、さっきまで考えていた疑問を尋ねる。


「ねぇ、ホークス。なんで私のこと先輩って呼ぶの?」


「……やって、先輩が」


 「後輩ってどんなんか気になるって、欲しいって言うとったけん……」ホークスはそう言うと、床に手を着け、ほんの少しだけ私の指に指を重ねた。


 

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