夜の兎~番外編2~ | ナノ


▼ 困ったさん

 彼女はいつも俺を困らせる。例えば今だって。


「……」


 待ち合わせ時間の5分過ぎ。彼女、名前ちゃんからの連絡は無い。今日はしばらく無かったいつかぶりのデートだ。

 ただの出掛けるじゃなく、多分、デート。おかげともいえる使いすぎて無くなりかけている羽根が待ちきれずパタパタと羽ばたいた。

 こんな時でもというのか、楽しみにするあまり約束の数十分、いや実は1時間ほど前からそわそわと待ち合わせ場所で待っている俺は今、世界一腑抜けたヒーローで文字通り速すぎる男だろう。


「まだやろか……」


 もう一度、スマホに目を落とす。が、返事は無い。たかが5分。何をそんなに焦っているのかと思うだろう。なんせまだ待ち合わせの前だ。もしかすると、側から見れば怒りが呆れに変わったように見えているかもしれない。だが、違う。俺は彼女を心待ちにしているんだ。

 30分が1時間になろうと、1時間が5分増えようときっとそれは変わらない。俺のために朝から準備して来てくれる彼女のことを思うと待つ時間だって楽しめるというもので、鳥だというのに忠犬よろしくいつまでも待てる気さえする。急な呼び出しがあれば話は変わってくるけど。

 ただあるのは彼女への心配だった。事故にあったとか、体調不良とか、寝坊とか、たしかにそれも考えられるけど、一番高い理由は。


「また話しかけられとる……」


 人混みの奥に特徴的な日傘が見えた。ただ彼女の姿は見えない。目を凝らせば全く知らない男2人がその前後に立って「写真だけでも…!」と引き留めているようだった。

 彼女は綺麗だ。なんの表情を浮かべていない時も呆れた顔も怒った顔も、それに笑った顔ももちろん。出会ったその日から瞼に焼き付いてしまうほど、美しくて可愛くて。花のような人。それに加えて、彼女から滲み出ている自信もつい人の目を惹きつけてしまうようだった。だからああして玉砕覚悟の挑戦者が後を立たない。虫が花に誘われるのは当然のことだけど。

 名前ちゃんは鬱陶しい、とばかりに顔を上げ、2人の男を見た。美人の真顔は怖いと言うが、彼女も例に漏れずそう。俺もあの顔で見られるのにはまだ慣れない。当然、「う”」と気圧された男達。でも、諦めきれないのか彼女の手に手を伸ばした。


「名前ちゃん」


 数少ない羽からバレないよう一枚飛ばし、男の服を引く。そしてすかさず彼女の手を取った。


「おはよ。遅れた?」


「全然へーき。無事で良かったです」


 間を割るように体を入れて、サングラスを少しずらす。そして男を下から見上げた。


「んで、まだなんか用ですかね。困ってるならホラあそこ。ヒーローいるんで話しかけたらどーです」


 邪魔するな、という気持ちを込める。俺は思っていた以上に鋭い目線を向けてしまったらしく、男の顔はみるみると青くなった。


 「す、すんませんでした!!」と足速に逃げだした2人の姿が見えなくなったところで彼女に向き直る。帽子と日傘、そしてワンピースからすらりとした真っ白な手足が伸びていて、まるでアレ。深淵の令嬢ってやつ。

 この姿を見ただけでは誰も彼女を軽く触れるだけで岩も砕ける女の子だとは思うまい。もしかしたら彼らも彼女が「雄英の名前」だとは思わなかったのかも。なら、むしろ俺に止められて良かった。彼らも痛い思いはしたく無いだろうし。


「こうなるけん人が多いとこで待ち合わせはやめようって言ったのに」


「ホークスがいるから平気でしょ」


「ぐっ」


 そう言われたら強くは言えん。


「守ってくれるもんね」


 トドメの言葉に白旗をあげる。やっぱり彼女は俺を困らせるのが上手い。そんな俺を気にも止めずに「今日は暑いね」とさっきまでのことは無かったようにパタパタと眉を寄せながら首元を仰ぐ名前ちゃん。


「(今日も愛らしかーー)」


 俺から見れば鬱陶しそうな顔も、嫌悪も、どれも綺麗な名前ちゃんだ。言うなればドストライク。めんどくさそうな顔をされてもにやけてしまうほどには俺は彼女が好きだし、それに関しては誰にも負ける気がしない。もちろん顔だけが好きなわけじゃ無いが、例え彼女が口を開けて寝ていたって可愛いとしか思わない気がする。


「可愛い。リップ新しいやつ?髪も巻いとるし……。いつも可愛いんですけど今日は特に可愛いです。あれ!爪もしとる!」


 手のひらに乗せた彼女の白い手の先が薄ピンクに色付いている。俺のためですか、と言うと彼女は「どうかなぁ」と笑った。そんな思わせぶりな態度に素直すぎる俺の小さな翼がパタパタと音を立てる。


「さっきの平気だったの?ネットで書かれちゃうよ」


「大丈夫ですよ。ほら、帽子被っとるし。羽もちょっとしかないけん。だれも俺って分からんばい」


「ふーん」


 マスクはやりすぎやったやろうか。不審者っぽい?と首を傾げると興味無さそうに相槌を打った彼女が俺の帽子を指でくいっと上げ、サングラスを奪い取った。


「これは無し。帽子はいいよ。オソロイ」


 オソロイ。お揃い……?ズギャンと撃たれたような衝撃が心臓に走る。「かわいい…」と声を漏らすと彼女は慣れたようにそれを流し、「私、タピオカミルクティー飲みたい」と言った。


「行きましょっか」


 彼女の手と傘を取って歩き出す。向かう場所は彼女が前に行きたがってたあの店。もしかしたらそれを前に自分が言ったことも忘れてるかもしれないが。どちらにせよ、好みが分かってるスマートな男になるか、話を覚えているマメな男になるかのどちらかなのだ。そして抜かりなく、事前の情報収集で覚えた道順を辿る。


 「すごく美味しいお店なんですって」と振り向くと、彼女は「ネコちゃんいた」と道路脇に目を向け、全く話を聞いていなかった。


「こっちですこっちです」


「ね、私やっぱりクレープが食べたくなっちゃった」


「え」


「クリームいっぱいのやつ」


「タピオカは!?」


 もうすぐ着くというところで気の変わった彼女が言う。慌ててスマホを開くと名前ちゃんは笑って「こっち」と入れ替わるように俺の手を引いて反対方向へと歩き出した。


「道知っとるの?」


「ううん。知らない」


  「でも、さっき持ってる人いたから」と本当にこの先に店があるかも分からないのに彼女は俺を連れ、ぐんぐんと進む。しばらく行くと甘い匂いが漂い始めた。そして見れば数人の手にクレープが握られている。それは彼女が食べたいクリームたっぷりのものだった。


「着いちゃった……」


 彼女の鼻には感心すべきだが、抜かりないはずの俺の計画はまさかの方向から打ち砕かれてしまった。


「うーん、これと……これもいいなぁ」


 すでにいくつか候補が決まっているらしい名前ちゃん。こうなってしまったのなら、項垂れていても仕方がない。どうするかな、なんでもいいんよなと、とりあえず一番人気と書かれたものに決め、悩む彼女を見る。

 強くて、いつも余裕のある彼女がクレープに悩まされているのはかなり可愛いが、少し羨ましい。いつも悩まされている俺も彼女を悩ませてみたい。小さく反撃を試みる俺に彼女はさらなる攻撃を加えた。


「私がこれ頼むから、けーごはこっち頼んで。半分こしよ」


「もちろん。あ、まってまって半分こってもっかい言って。かわいかぁ」


 一瞬で変わる意思。人気商品?いやいやそれより半分こでしょ。当然。


「すいませーん」


「むし!」


 手慣れた様子で鉄板に生地を垂らす定員さん。あれやあれやという間に焼き上がったクレープを二つ並べると彼女が「美味しそう」とキラキラした顔で笑った。そして自分の顔よりも大きなクレープにかぶりつく。溢れたクリームが彼女の口に髭のように付いた。


「あらら。ベタベタになりますよ」

 
 それを指で拭い、ぺろりと舐めとるとクリームの甘さが口に広がる。


「いいのよ」


 もう一度かぶり付いた彼女のクリームを付けた幸せそうな顔に頬が緩む。


「くくっ、愛らしかね。写真撮ってよか?」


「やだ」


 残念。あー、と自分のクレープにかぶりつく。すると彼女が「一緒ならいいよ」と言った。


「え!撮りましょ撮りましょ」


 彼女の気が変わる前に慌ててスマホを取り出し、彼女の隣に並んで写真を撮る。画面を見ると彼女の口元に付いていたクリームはいつ取ったのか綺麗さっぱり消えていて、逆に俺の頬にクリームが付いていた。


「あちゃー」


 いい歳した男がはしゃいでクレープにかじりついたようじゃないか。これじゃあなんだか俺の方が子供っぽい。さっきまでは彼女の方がそうだったのに。「恥ずかしかー」自分の頬に手を伸ばすと、「あざといなぁ」と言いながら彼女は俺がしたようにクリームを指で拭って舐め取った。


「こっちのセリフッ!!」


「ん、美味い」


 情けなくもゆるゆるにゆるむ顔を両手で覆ってしゃがみ込む。


「ありゃ、鳥が撃ち落とされちゃった」


 気の利いたセリフどころか「そうです」も「なんですそれ」すら返せない。彼女はそんな俺の手からすっとクレープを引き抜くと「私映画観たい」と次の要望を口にした。


「……何観たい?」


「この前公開してたやつ」


 立ち上がり、傘を肩と首で挟みながら端末をいじる。そして、もう片方の手で彼女の片手から食べていない方のクレープを取った。両手が塞がっていると食べ辛いだろうし。


 それから近場にある映画館で上映時間を見る。映画好きの彼女が観たがっているその作品はそれほど上映されていないらしく、この時間にはやっていなかった。


「この辺で、うまっ。やってると、ん。ちょっんぐ。はなれたとこ、ははっ、ちょ、待って待って」


 クレープを持つ俺の手を持ちあげ、食え食えとばかりに口元へと寄せてくる名前ちゃん。その都度齧り付くと彼女は嬉しそうに笑った。悪戯か善意か。彼女の場合は悪戯の比率の方が多そうだが、可愛いことに違いない。何度も何度も顔に向けられるそれにとうとう我慢できずに笑い出すと彼女は自分が邪魔しているのにも関わらず「映画見つかった?」と小さな悪戯を止めることなく催促した。


「もー、ハハハ、ちょっと待っとって。んぐ、うまァ」


「ふふっ」


 悪戯をして、意地悪をしてくすくす笑う名前ちゃん。


「あいらしか」


 君が笑ってくれるならそれだけで満足です。どんな道化にもなれそう。彼女の笑顔につられて笑うと彼女は俺の顔をぐいっと雑にティッシュで拭った。ちょっと痛い。きっと彼女からすると力なんて入れていないようなもんなんだろうけど。


「じゃあ今やってるやつ観に行こ」


「ネコちゃんが観たいのじゃないよ?」


「いーの」


 「意外と面白いかも」そう言われてしまえば行くしかない。遊び心満載な彼女が言うとどんなことも魅力的に思えてしまうのだから。それから俺は彼女に手を引かれるまま、小さな劇場に入って、予告も見たことがないような映画を観た。


「次はどこ行きましょう」


「うーん」


 前に彼女が行きたがっていた店じゃないところで買ったタピオカミルクティーをポポポポと吸い上げる名前ちゃん。思ったよりも勢いよく飛び出したそれに驚いたらしく彼女は「ん!」と声を上げた。


「美味しい?」


「飲みたい?」


 俺の質問は華麗にスルーされて、代わりにストローが差し出される。ちゅーっと吸い上げると大きなタピオカが突然、喉に向かって勢いよく放出された。


「ん!?」


 ははっと笑った彼女が先を行く。慌てて追うと「美味しい?」と聞かれた。


「美味しいです」


「じゃああげる」


 あんまり好きじゃなかった?そう聞くと彼女は「けーごが美味しいって言ったから」と言った。俺が好きだと言ったからあげる、と。息がぐっと詰まる。そんなんズルイって。嬉しなるとよ。美味しいものを食べた時みたいに喉がキュゥウウと痛くなる。そんな感情を抑えているとタピオカが詰まったと思われて背中をさすられた。


「わ、アレ欲しい」


「どれどれ?」


 指差された方を見る。その先にあったのは大きなクマのぬいぐるみが中に入ったクレーンゲーム機だった。クマは相当大きいのか中いっぱいに入っていて、持ち上げられるどころか取り出し口に入るとも思えない。彼女の願いはなんでも叶えてあげたいが、あれは無理じゃない……?彼女の方を見るとにっこり可愛い笑顔で「取ってみて」と小悪魔のようなことを言った。


「ま、まかせろください」


「がんばれください?」


 コインを入れ、アームを動かす。ウィーーンと落ちたアームはクマの耳付近に当たり、布を沿うように動いて本体を挟むこともなく帰っていった。


「アームの大きさ間違ってません?」


「ちょっと動いたねぇ」


 彼女の瞳が輝く。それを観た途端、俄然やる気が湧いた。


「持ち上がらないねェ」


 が、それだけで取れるような優しいゲームじゃない。何度も何度もアームを動かすがアームの位置どころの工夫で取れるものでもない。だってデカすぎるし。だが「取って」と言われて取れないなんて言いたくない。500、1000、2000、5000とお金を入れていく。無くなればキャッシュレスで。名前ちゃんがふぁ、と欠伸をした時、見かねた店員さんがクマの位置を変えた。が、クレーンゲーム機に満ち満ちに詰まるほど大きなぬいぐるみだ。多少変わったところで変化もない。


「お?」


 そしてとうとうその時が来た。クレーンゲームには2種類あるという。実力機と確立機だ。実力機はアームの力が基本一定なもの。確立機は一定以上の額を入れるとアームが強くなるもの。この機械は後者だったらしい。アームがウィーンと音を立て、変形し始める。そして超巨大アームへと変わった。


「速すぎる男はチャンスをみすみす逃したりせんよ」


 今までで1番の集中力でボタンを押す。


「取れたー!」


「おめでとうございまーす!」


 カランカランカランと店員さんが鐘を鳴らし、巨大なクマを掲げる。自分よりも大きなクマを持って彼女の名前を呼ぶと、名前ちゃんががばっとクマに抱きついた。もう少しこのクマが小さければ俺も抱きついてもらえたのに。


「おっきくて、かわいい…」


「喜んでもらえて良かった」


「ふふ、頑張ってたもんね」


 顔を上げた名前ちゃんは笑って突然、「そんなに私のこと好き?」と言った。そんなの聞かなくなって分かってるくせに。小悪魔でワガママで可愛くて何にも思い通りにならなくて、気分屋で、振り回して、いつも俺を困らせる。一度くらい俺に困ってくれてもいいのに。俺ばっかりが夢中な君。


「好きです。君のことが大好きです」


 俺の言葉に名前ちゃんは照れもせずにクマを抱いたまま「ふふっ、知ってる」と笑った。途端、心に弾を喰らったような衝撃が走る。俺は衝動のままに彼女ごとクマを抱きしめ、顔を埋め、布の奥に向かって大声で叫んだ。


「もーーーーー!!好きィィーーー!!」




あとがき
コメントでおすすめしてもらった『ちゅ◯ち◯るち◯ち◯ち◯』って曲、聴きましたー。たしかに2人にめっちゃ合う。






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