どうするか…。どっちでもいいんだがな。雄英高校教師、相澤はバラバラの時計の針を見て「あー…」と唸った。


 時刻は既に定時過ぎ。手元には終わった仕事と後日に持ち越しても問題は無い資料。いつもならさっさと帰ってるところだが、悩ましくなるほど今は調子が良い。いつかは出さなければならない書類なのだから、今終わらせてしまうのも手じゃないか。それに、外は寒い。窓から見える師走の薄暗い空が尚更出る気を失くさせる。


 今日の夜は冷えるだろうな。


「Hey、イレイザー。帰んねーの?昨日も残ってたろ」


 声に目を向ける。そこには帰り支度を終え、マフラーや手袋で完全防寒を決めたプレゼントマイクがやれやれと肩をすくめながら立っていた。


「他の連中はとっくに仕事納めてんのによー。ま、かくいうオレも今日からその仲間入りだけど」


「自慢話の為にわざわざ声掛けてきたのか。とっとと帰れ」


「機嫌わりーな。世間はクリスマスだってのにこんなとこで過ごす気か?名前チャン、怒んねーの?」


 マイクの口から放たれる恋人の名前につい、ジトリとした目を向ける。それは半ば八つ当たりであり、そして残りの半分はわざと知っているだろうことを言うマイクへの呆れだ。


「生憎だが、仕事を納められんのは俺よりもアッチだよ。なんせ連絡もつかん。いつも通り飛び回ってるんじゃないか」


 神出鬼没で軽快。場所ももちろん、戦闘スタイルにも現れる彼女の特徴がそれだ。それは俺じゃなくとも、彼女を知る者なら誰だって知っている。共通の友人でもあるコイツなら尚更のことだ。


「やっぱ拗ねてんじゃん?」


 拗ねてるわけじゃない。そんな相澤の反論は宙に消え、マイクは「つまり、家に帰ったところで愛しの恋人はいないし、当の本人はどこぞで仕事といちゃついてるもんだからそうなってるわけネ。なるほどなるほど」と決して知られたくも認める気も無かったことをわざわざ言葉にして続けた。


「やめろ、その言い方」


 それじゃあまるで俺が彼女に会えないからと年甲斐もなく拗ねているようだ。だが、長々と否定したところでただ真実味が増すだけのような気もして、相澤は言葉を噤んだ。だが、そんな足掻きはマイクにはお見通しであったらしい。マイクは片眉をくいっと上げるとニヤニヤと笑みを浮かべながら「素直じゃねーな」と言った。


「お前もフツーの男ってワケ」


 普通の男、か。自分には過ぎた称号だ。ヒーローに教師という二足の草鞋はただでさえ予定を合わせ難い自分達をさらに遠くしているし、何かあっても駆けつけることもできない。些細なことも、それ以外も。自分達には遠い。それに相澤は記念日にも疎く、プレゼントのセンスも無ければ彼女が喜ぶことも分からないという自覚があった。

 会いたいと素直に口に出せず、ただ会いたいと思うだけの自分はきっと普通の男には程遠い。

 だからこそ、マイクの指摘は間違いではなく、そして同時に気恥ずかしさを感じさせる。


 とっとと終わらせるか。


 仕事に集中すれば気が紛れる。拭いきれないそれをなんとか忘れようとキーボードに指を置いた時、端末が軽快な音を立てた。


「…は?」


 見た瞬間、納得するよりも先に理解した口から気の抜けた声が漏れ出す。もう一度ゆっくりと文字の羅列を目で追うと、書いてある内容がしっかりと頭に入ってきた。


『まだ仕事?』


「噂をすれば…ってヤツ?」


「……」


 普段、連絡の一つも無い彼女からの連絡。しかもそれが予定を聞くようなものであるとなれば……。


「(今日は……)」


 すぐさま日付を確認する。だが、机に置いているカレンダーに予定の文字は無く、ましてや自分にも心当たりは無い。


 もしやこっちか。すぐさまメッセージをタップし、中を開く。言葉を送り合うよりも電話で話す方が楽だと言う彼女とのメッセージはそう多くない。だが、そこにも今日の日付は無い。するとまた一つ、軽快な音がメッセージを知らせた。


『待ってるね』


「は?」


 驚いてつい間抜けな声が出る。それに気付いたマイクが首を傾げた。


「なんだって?」


「待ってるって」


 資料だけを鞄に詰め込み、席を立つ。危ない。マフラーを忘れるところだった。資料は明日データで校長に。残りは年明けでいいか。


「名前ちゃんによろしくな」


  「ああ」と返事をした俺の声はマイクに届いていたのか。それすら確認するのが惜しい相澤は身支度もそこそこに職員室を飛び出た。


「シビィー!オレも恋人欲しいぜ!!」




 ーーーーーーーーーー


 外は雪が降っていた。走る相澤の息が白く空へと昇っていく。


「寒いだろうに」


 メッセージの文章から考えると、彼女はきっと今頃、駅にいる。あれからいくら送っても返事が返ってこないのをみると、きっと寒空の中で彼女を待たせて焦る自分の慌てっぷりを楽しみに待っているのだろう。彼女は揶揄うのが好きなのだ。

 その時、そんな彼女を思い浮かべる相澤の視線にオレンジ色の光を放つ、蒸し器が飛び込んできた。


「…買ってくか」


 少しばかり行儀は悪いが、簡素なビニールの袋を手に、塀を走り、家々を駆け抜ける。そうして市街地に出た時、辺りは人でごった返していた。きっと彼らはこれから飲みにでも行くんだろう。そんな笑い合う人々の間を抜け、人混みが好きじゃ無い彼女の行動を見越して少し人気のない方へと向かう。


「いた」


 通り過ぎる人達の中で1人、流れに逆らうように立ち止まっている人物。大き過ぎるダウンジャケットを身に纏った彼女がガードレールに腰かけ、そこにいた。早足だった足がゆっくりとスピードを落とす。正面まで来た時、自然と相澤の口が彼女の名を呼んだ。


「名前ちゃん」


 顔を上げた彼女が目を細める。白すぎる肌は雪が溶け込んでしまっているように見えた。


「おかえりー」


「ただいま」


 足をもう一歩前へと出し、彼女を軽く抱き込む。抵抗もせずに腕に収まった彼女は小さくふふっと声を出して頭を揺らした。それに釣られて相澤の口角が緩んだが、まず会えたことを喜ぶよりも前に確認するべきことがあることを思い出し、彼女との距離を少し空け、覗き込んだ。


「任務じゃ無かったのか?」


「あったよ。思ったより早く解決できたの」


「怪我は?」


「してない」


「なら良い」


 そしてもう一度、彼女との距離を詰める。腕に力を込めると安心と疲労が相澤の口から空気として抜けていった。

 彼女の力はシンプルで、だからこそ強力だ。戦闘面はもちろんのこと、救助にも有力。それに加えて、冴えている。所謂、第六感とも呼ばれる物。多分、彼女は人よりも肌に当たる風や匂い、見える物や聞こえるものへの意識が向いているのだろう。スタミナも回復力も、そして薬への耐性も彼女は持っている。だからこそ、自分が言うのもなんだが、彼女は自分のことには無頓着だった。そして、敵の中だろうが前線だろうが1人で向かってしまう。

 それらの能力には個性ほどの性能は無いが、彼女の怪力と併せるとこれ以上ないくらい万能だった。それに彼女は口も固い。だから彼女にくる依頼は多岐に渡り、世間どころか恋人の自分ですら知らない任務も少なくはない。

 だから安否を常々心配しているのだが、目の前の風はそれすらも「心配してるの?嬉しい」と悪戯に笑うだけでまともに心配もさせちゃくれない。心配をかけるのは自分も同じだが、彼女の場合はまた少し違う。そして、そんな気分屋で、秘密の多い彼女にはもう一つ心配すべきことがある。


「……ばっくれたわけじゃないよな?」


「さぁ?」


「真剣に言ってんだ。言いたくないことは言わないでいい。俺も聞かん。でもな、アンタが居なくなるような事にはなって欲しくない」


 自分にも言えない仕事。それが直接でも結果的にでも正義に繋がるものなのか、それですらないのか。彼女は彼女という存在一つを対価に様々なものを得ているが、それは彼女自身を危険にさらすのと同じこと。彼女の気まぐれが、味方からも狙われる理由にはなってほしく無い。敵も退けられる強さがあるとしても、彼女には心配が尽きなかった。


「……ちゃんといったよ。受けちゃったからね」


 彼女の眉が少し下がる。完全に隠れた口元もさっきとは違って控えめな微笑みになってるのだろう。相澤はその顔になんとなく見覚えがあった。ああ、そうか。叱られた時の生徒の顔だ。

 自分と同い年の女が15.6の若者と同じように見えてしまうのは彼女が昔と変わらず綺麗だからか、贔屓目か。ただその顔を見た途端に心配や怒りが失せるのは確実に絆されているからだろう。少しバツの悪そうな名前ちゃんの手を取って自分の頬へと引き寄せる。


「冷たいな」


 重ねて当てた手は氷のように冷えている。少し心許ない熱だが、無いよりはマシだろう。温まった体からそれにハァと息を当てると彼女の手に少し熱が戻った。


 溶けてしまいそうだ。


 そんなことは人間であればあり得ないというのに彼女の手を握っているとそんな事が頭に浮かぶ。


「会いに来てくれたんだろ。嬉しいよ」


 そう言えば、彼女は俺の声から怒りや心配が消えていることに気付いたのかにっこりと笑って顔を上げた。ダウンの中から覗いた鼻は少し赤くなっていた。


「鼻……赤くなってるぞ。いつから待ってた」


 せめてもの風除けに彼女の後頭部に手を回し、自分に押し当てる。彼女は何度かもぞもぞと動くと相澤の首元に額を乗せた。


「少しだけ」


「……そうか」


 待ち合わせの慣用句。知ってはいたし見たこともあったが、言ったところで、いや、言われたところで自分は何か思うことは無いと思っていた。今この時まで。

 じんわりと胸に熱が灯る。だが、彼女の頭部に回した手に冷たい風が当たり、ハッとした。


「ちょっと待て」


「ん?」


「これつけとけ」


 慌てて体を少し離し、首に巻いていたマフラーを取り外す。それを彼女の細い首に巻き付け、今度は初めから力を込めて抱き締めた。

 冷たい風と共に彼女の匂いが鼻腔へと入り込む。だがどこかいつもと何かが少し違う。


「ん?」


 目の前にある彼女の肩を覆う布地をぼーっと眺める。ああ、なるほど。これじゃあ、大き過ぎるわけだ。


「この服、俺のじゃないか」


「そー。可愛い?」


 これで人間の男は喜ぶらしいね。と言う彼女だが、俺には分かる。多分、人間じゃ無くとも同じだろうと。そんな衝撃だった。


「ふっ、可愛いよ。アンタはいつも。いつだって可愛い」


 頬を彼女の髪に寄せる。腑抜けた顔をしている俺を見せないように。


「ショータの判定は甘いからなぁ。クリスマスにはサンタの髭つけてみようか」


「それは流石に…」


 いや、それでも俺の反応はおんなじだろう。確かに、これじゃあ甘いと言われるのも頷ける。


「その時はトナカイしてくれる?」


「俺もか。捕まるぞ」


「確かに…」


「確かにじゃない」


 軽く額を指で叩く。それと同時に手元にあった荷物が主張するようにガサリと音を立てた。


「忘れてた…。肉まん買ったんだが食うか」


「うん」


「ちょっと冷めてるかもしれんが」


「じゃあすぐ食べられるんだ」


 彼女は決して猫舌じゃない。なんともない風に言うのはきっと「大丈夫だ」と言われるほうが苦手な自分への彼女なりの気遣いだろう。その押し付けがましくもなく、そして分かりにくい優しさはなんの障害もなくすんなり自分へと入ってきた。

 袋の中にあった肉まんはすっかり冷えていた。時間を置いたせいで結露を吸い込んだ生地はもう出来上がりの熱も残していないし、元気もない。飾られた時の輝きは消えていた。やっぱりか。バツの悪い顔に、彼女は何も言わずに雑に包装紙を取り、俺の手にあるそれへかぶりついた。


「美味しい。ありがとう」
 

「……そりゃ良かったよ。でも、なんで今日来た。疲れてただろ」


 差し出されたそれを同じように一口食べ、照れ隠しに話を逸らす。


「マイクに言われたの。寂しがってるからって。まぁ、もともと来る気ではいたんだけど」


「アイツか…やけにニヤニヤしてると思ったら」


 ふふっと笑った彼女が子供みたいに笑う。今が楽しい。今だけを楽しんでいるような顔で。つられてなのか。もしかすると自分が笑っているから彼女も笑うのか、相澤は自身の口元が緩むのを感じた。マフラーの無い自分は口を隠せない。うれしい、と上がった口角は言葉よりも饒舌だった。


「なんか、たまには待つのもいいね」


 ふふっと笑う彼女の手を取り、そこにハァと息を吐く。


「なんで?」


「ちょっと楽しかった。焦る君も見れたし」


「ハァー…。焦る俺なんてアンタはいつも見てるだろ。子供か」


「枯れてるなぁ」


 あんたは感性が若すぎる。相澤はそう思ったが言っても無駄だろうと口をつぐんだ。だが俺も伊達に長くヒーローはしていない。敵に負け続けるヒーローがいないように、もれなく俺も負けず嫌いだった。

 言われっぱなしでは終われない。すぐ目の前にいる彼女に更に顔を寄せると真っ赤なその鼻にキスを落とした。


「……枯れてるかどうかは後で確かめてくれ」


「おやじ」


「うるさいぞ」


 「…ケーキでも買って帰るか」俺は女の好きな男じゃない。彼女の手を恐る恐る取り、そして力強く握った。


「不器用だなぁ」


「……器用な男じゃなくて悪かったな」


「いいよ」


 潰してしまわないようにか、彼女はそれに少しだけ力を入れて握り返した。


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