授業を終え、ハイツアライアンスでのんびりと過ごす生徒たち。テレビの前のソファでは緑谷、飯田が談話を楽しんでいた。


「今日のヒーロー基礎学はなかなか有意義だったな!緑谷くん!」


「う、うん?言われてみると……?」


 緑谷の疑問には訳がある。今日の授業はUSJでの水難訓練だった。数人でチームを組み、鉄砲水から市民を模したマネキンを守るという、授業の中では比較的単純な内容のもの。緑谷の頭の中には偶然にもパワー系が集まったことで岩を積むしかすることの無かった切島、砂藤、名前のチームのことが思い出された。


「あ”ーーーー!!!」


 叫ぶ切島の声。それはマネキンを保護しようとした瞬間、水の勢いに負け、飛び出してきた岩を傘で弾いた名前がその穴を近くにいた切島で補修したための声であった。


「ああ”ーーーー!!!」


「キ、キリシマーーー!!」


 放り投げられ、穴に突き刺さる切島と水の引いた川に飛び込む砂藤。なんと雑なクラスメイトの使い方だろう。そして、壁は砂藤がマネキンを掴み取ったと同時に破裂した。


「うぉーーー!!!!」


 間一髪、抜け出した砂藤がびしょ濡れになりながら陸地に倒れ込む。その横にはちゃっかり切島を救出していた名前が伸びた彼を抱え、立っていた。服には水滴の一つも付いていない。何はともあれこうして演習自体は成功に終わったのだが、その後、偶然にも名前が少し前に弾いた岩が天井を超え、装置に落下。そうしてドミノ式にUSJ内のあれやこれやを薙ぎ倒し、クラスメイト総出で被害拡大の阻止をしたというドタバタ劇があったのである。


「名前くんはもしかしたら二次災害について教えたかったのかもしれないな」


「そうかなぁ…」


 飯田はそう言うが、そんな出来事に「おおー」と驚いた声を上げ、けらけらと笑っていた名前にそんな意図があったとは思えない。今、別室で相澤のお叱りを受けている最中であることからも、そんな緑谷の予想は十中八九当たっている。


「ん?轟くんが来たぞ」


 その時、エレベーターを見ていた飯田がそう言った。つられるように緑谷も顔を上げる。そこにいたのは確かに轟だったが、その顔はどこか神妙だった。


「でもなんだか様子が……」


 どこかピリピリとしているような。まるで体育祭の時のような雰囲気に飯田、緑谷は顔を見合わせると手を上げて轟を呼んだ。


「轟くん!君もこっちに来たらどうだい。今、今日の授業の話をしていたんだが」


「ああ」


 呼ばれた轟が「俺もちょうど聞きてぇことがあったんだ」とソファに腰を下ろす。


「聞きたいこと?」


 太ももに肘をつき、重ねた両手で口元を隠す轟。その緊張が二人に移る。何を言われるのか。身構えた2人はごくりと唾を飲み込んだ。そして、生まれた沈黙に乾いた喉を潤すために2人が飲み物を口に含んだ時、轟が口を開いた。


「キスってどうやってすんだ」


「「ブッッッッ!!!!」」


「汚ねぇ」


 二人の口から勢いよく水が噴き出す。そして二人はもう一度今言われたことを思い返した。


「ゴホッ、ゲホッ、きゅ、急にどうしたの轟くん」


「してぇんだが、できねぇ」


 轟はそれほど饒舌ではない。正直なところその言葉だけじゃ要領は掴めない。だが、そもそも恋愛についての知識の浅い2人には刺激的すぎた。考えなんて浮かぶわけもなく、顔を真っ赤にした緑谷と飯田はカクカクと手を忙しく動かしながら簡潔に、最低限に確認すべきことを尋ねた。


「あ、あい、相手はもちろん…」


「?名前だろ」


 当然だろう、と言わんばかりの轟の顔。相手は先程名前の上がった人、その人である。もちろん、轟の猛アタックの末、数ヶ月前に付き合ったことは2人も知っていた。なんせ、クラス中がその話題で持ちきりだったのだ。だが、それはもう一度言うが数ヶ月も前の話である。それに加え、名前は豪胆な人柄だった。


「(意外だ……)」


 正直、意外である。


「ぼ、僕らにはちょっと荷が重い質問というか…分からないというか…あっ、でもムード?は大事なんじゃないかな」


 そういえばこの前、女子陣がそんなことを言っていたと思い出して言う。


「ムードか」


「たしかに。雰囲気は大事なんじゃないか?話しやすい雰囲気だと話しやすいのと同じように、場の空気作りというのは大事だと思うぞ」


 飯田もそう助言をした。


「分かった」


 轟がそう答えた時、まるでタイミングを合わせたように寮の扉がガチャリと音を立てて開いた。


「あー、つかれた」

 
 話題の中心人物名前だった。怒られたばかりだというのに、長い髪をかき上げながら気怠そうに歩いてくる。


「おかえり問題児。こってり絞られたかー?」


 瀬呂や上鳴がニヤニヤと声をかけるが、本人に堪えた様子はない。


「反省文書かされた」


 相澤が反省文を書かせるなんて相当なことだ。瀬呂が首を傾げる。


「またなんか言ったんじゃねーの」


「失礼だなぁ。言ってないよ。カリカリしてたらすぐ禿げちゃうよって教えてあげただけ」


「完全に自業自得じゃねぇか!」


 「カルシウム足りてないんだろうね」なんて笑う姿はUSJの損壊なんてまるで些事だと言わんばかりである。だが、飯田、緑谷はそれに反応するどころではなかった。なんとなく、恥ずかしい。級友だからこその恥ずかしさが湧き上がる。するとそれに気付いた名前が揶揄う相手を見つけたとでも言いたげな顔でソファへと近づいた。そうして、轟の座るソファの背に後ろから倒れ込むと、轟の首に軽く腕を回した。


「髪の毛あるせんせーの方がかっこいいよね?轟もそう思うでしょ」


「ああ」


 「だよねぇ」と笑う名前。だが、話題のこともあり、飯田と緑谷の目線は無意識のうちにに唇に向いてしまう。ほんのり赤く、柔らかそうで、形のいい……。そんな感想が無意識に浮かび上がり、じわじわと2人の顔に赤みが増した時、それに気付いた轟の手が後ろにいる名前の口元へと伸びた。


「……あんまり見んな」


「ご、ごご、ごめん」


「す、すまない」


 なんの話か分からない名前が「んー?」と尋ねる。轟は「なんでもねぇ」とだけ言い、そしてほんの少しの微笑を浮かべた。その表情があまりにも優しげで、体育祭前との違いに安心するのと同時に緑谷は驚いた。


「(……こんな顔するんだ)」


 轟は悩んでいるようだが、心配なんてなさそうだ。緑谷は2人を見てそう思った。


     ーーーーーーーーーーーーーー


 その翌日、轟は言われたことを頭の中で何度も何度も反復しながら、早速実践してみようと名前の部屋を訪ねた。「いいよ」の言葉一つで出迎えはない。これは何かやってるなと察した轟は勝手知ったるなんとやら。入室すると予想通りゲームに夢中な名前の邪魔をしないよう別室にあるコーヒーメーカーを手慣れた様子で操作してコーヒーを作り、名前のいるベットへ腰かけた。


「(ムード…ムード…どうやったら分かんだそれ)」


 そうしてしばらく考え込んでいると「あ”―!」と自分じゃない声が上がった。それに合わせて轟の体がビクッと跳ねる。隣を見ると名前の手にあるゲーム機の画面にloseの文字が浮かんでいた。


「勝てないぃ…」


 いつも飄々としていて、自信に溢れている名前の珍しい弱音。よっぽど勝てない相手なんだろう。眉間に皺を寄せ、瞳を細めながら軽く下唇を噛む様子からは悔しさが見える。


「唇……噛んでるぞ」


 少しでも痛い思いはして欲しくない。無意識に思った行動は轟の手を伸ばさせた。唇に指が触れる。抵抗もなくそこが軽く開き、白い歯と赤い舌が覗いた。


「(柔けぇな)」


 轟の喉がゴクリと上下する。


「……?」


 なんだ今の。それは自分でも不思議な感覚だった。


「とどろき」


 角が全て取れてしまったようだ。そんな柔らかな呼び方。聞き慣れた自分の名前なのに全く違うものに聞こえる。咎められてはいないのに、轟はなぜか邪なものを向けてしまった罪悪感のようなものを感じ、唇に触れていた手を横にずらした。そうして自然と頬を支えるような形になる。


「(髪が……)」


 顔にかかる髪を耳にかける。名前の瞳が自分をじっと見つめている。


「名前」


 ドクドクドクドク。なぜか自分のいつもより早く動く心臓の音がうるさいぐらいに耳に響く。これが雰囲気か。轟はなんとなく言われたことが分かったような気がした。そうして、ゆっくり、ゆっくり、手探りのまま距離を詰める。

 名前が少し、目を細めた。自然と自分の瞼が閉じる。少しづつ、少しづつ、だが近づけた筈の顔はいつまで経っても宙にあるばかり。


 なんでだ?


 目を開ける。名前の顔は横にあり、自分の後ろへと手を伸ばしていた。


「充電器取りたい」


「……ああ。悪りぃ」


 失敗である。ならば周りに物がない状況であればいけるんじゃないだろうか。そう思った轟は翌日、寮までの帰り道を少し遠回りすることにした。名前は目的のない散歩が好きだし、きっと嫌がったりしない。案の定、名前は道を突然変えた轟に何も言わなかった。そして、少し進んだところにあるベンチに座る。この先には体育館しかなく、そうそう人は来ない。


「ちょっと話さねぇか」


「ん?いいけど」


 不思議そうな顔をする名前の手を引き、座らせる。そしてその手を握ったまま、今日の出来事を話した。


「昨日食った蕎麦が美味かった」


「今日も食べてたよね」


「今日のも美味かったぞ」


 話上手ではない事は自負してるが、こんな話題で大丈夫なんだろうか。今更ながらふと気になって隣を見る。名前はふふっと笑って「じゃあ明日は蕎麦にしてみようかな」と言った。それを見た途端、心がぽっと温かくなったような気がした。そしてするりと言葉が流れ出る。


「好きだ」


「急だなぁ」


 笑いながらそう言う名前に胸がキュッと締まったような気がした。


「言ってくれねぇのか?」


 続きを促そうと握ったままの手を引き寄せ、甘えるように自分の頬へと持っていく。そうして、ひんやりとしたその手に軽く頬ずりをした。


「いいよ。私も好き」


「そうか。良かった」


 轟はもう片方の手も同じように自分の頬へと当てさせ、また同じように自分のを重ねた。自ずと近くなる距離。そこには逃してたまるかという感情もあったが、1番はただ触れていて欲しかった。触れてたかったという気持ちからだった。


「なぁ、好きだ」


「どうしたの?いっぱい言うね」


「いやか?」


「そーでもない」と悪戯に笑った名前に釣られるように轟も笑う。風が一度吹いて、名前の長い髪がカーテンのように揺れた。ゆっくり、吸い寄せられるように轟の顔が近づいていく。


「……」


 もう少しで、というところでどこからか突き刺さるような視線に気付いた。名前もぱっちり目を開けているが、名前からのものじゃない。誰だ?とその後ろに目をやる。少し距離はあるが、そこには自分達の担任である相澤がいた。目が合った途端、轟の体が大きく跳ねる。相澤の形相が普通じゃなかったからだ。


「轟?」


 名前を呼ばれるが、ここから先には進めそうにはない。進んだ途端、捕縛布で止められそうだ。充血した目は瞬きすることなくこっちをガン見しているし、個性を発動しているのか髪まで浮き上がっている。それに、口元は絵に描いたような逆三角形で、不機嫌を表しているように歯を剥き出していた。自分の後ろを見たまま固まってしまった轟に習うように名前も後ろを覗き込む。


「うわ、すごい顔」


 「せんせー」と言いながら立ち上がった名前が駆けていく。轟も慌ててその後を追った。


「珍しいね。せんせーがこんなとこいるの」


「体育館にちょっと用があってな」


「ふーん。後で教員寮行ってもいい?」


「何しにだよ」


「遊びに?」


「来んな」


 すっかりいつも通りの相澤。なら、さっきまでの怒った顔はなんだったんだろうか。轟は疑問に思いながらも2人の会話をそばで聞いていた。少しして終わる談笑。名前は笑って「後でねー」と言い残すと寮に向かって歩き出した。轟も隣に行こうと歩き出す。が、それを引き止めるように後ろから声がした。


「……ちょっと早すぎるんじゃないか」


 歩くのがだろうか。轟は素直に「そうですかね」とだけ言うと、挨拶はそこそこに名前の後を追った。


     ーーーーーーーーーー


「無理だった」


 先日と同じくソファに座る飯田、緑谷、轟の3人。轟は一部始終、とは言わないが、大体の内容を2人に話した。なんとなくだが、大事なものを隠しておきたいような、自分だけが知っていたいような気持ちがあったからだ。


「(先生のはなんだったんだろう…親心?)そ、そうだったんだ」


「そうか、それは残念だったな…これでも食べるといい。さっき丁度B組の拳藤くんに会ってね、残ったからとくれたんだ」


「みんなにはちょっと悪いけどね」


「ん、ありがとな」


 飯田の手には3つの焼き物。手のひらサイズのそれはどらやきに近い。中には白餡が入っていて、甘めの生地と甘さ控えめの餡がよくマッチしていた。これ名前、好きそうだな。頭の中に光景が思い浮かぶ。轟はすぐに名前を探した。


「名前、名前。これ美味いぞ」


「んー?」


 丁度、テーブルで八百万とお茶を楽しんでいた名前がこの前と同じように轟の座るソファの背もたれの側へと歩いてくる。顔を軽く上げ、お菓子を持ち上げながら待つ轟。その頬には白い餡が付いてた。

 珍しく気の抜けた轟の様子に少し笑いながら、教えてやろうと緑谷が名前を呼ぶ。呼ばれた方へ顔を向けようとした轟だったが、それはとある妨害により、止められてしまった。名前が轟の頬を両手で包んだからだ。


「ほっぺについてる…よ!?」


 くん。


 上に顔を向けさせられた轟。そこにゆっくりと名前が近付いてくる。


「どうし…」


 口の端に着いた餡子がぺろりと舐めとられ、轟の言葉が切れる。驚きに固まる轟の視界は一瞬、暗くなり、そしてふにっとした柔らかな感触が自分の唇に当たった。


「は、」


 今、何があった。理解ができぬままの轟を置いて、鼻の触れ合う距離で名前がふっと笑い、そしてゆっくりと離れていく。やけに唇に目がいった。


「ん、甘い」


 「もういいや」とソファから名前が去っていく。


「…??、?」


「わー!」


「ひゃーー!!」


 クラスメイトたちから甲高い歓声が上がる。だが、訳がわからないままの轟も追求したい女性陣も全てを置いて、名前は軽い足取りでエレベーターの方へと歩いて行った。それを見て緑谷は気付く。きっと、彼女は轟くんの気持ちを知っていたんだろう。


「名前さん……気付いてたみたいだね」


 目を白黒させていた轟はそれに返事なんて出来るわけもなく、半ば呆然と唇に手をやった。そして、少しずつ自分がされたことを理解した。同時にぶわりと体が熱くなる。なんとか落ち着こうと顔を隠しながら体を起こし、太ももに肘をつきながら前のめりになったが、顔の熱は治まりそうも無い。

 クラスメイト達からは顔が見えなかったが、そんなもの見なくともどんな顔をしてるかなんて赤く染まった首と耳から簡単に予想がつく。そうして、釣られるように周囲の顔までも赤くなり。そして、とうとう轟の赤が浮いた。


「あれ…?ちょっ!待って待って轟くん落ち着いて!火出てる!火!!」


「やべー!火災報知器鳴るぞ!」


「わ、悪りぃ」 



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