今日も今日とて天気は雨。
「へー、それが好きなヒーロー」
「……そ」
子供の手にはタコのような姿のヒーローの人形が握られている。少しほつれや汚れの見えるそれは与えられて数年が経っているように見えた。
「俺の父さん」
「へー」
「だからタコ好きなんだ」
「美味しいしね。たこ」
「見るのがだよ。……今はあんまり水族館には行けないけど」
じとっとした目を名前に向けた子供が俯く。
「死んだ?」
「父さんは死んでないッ!!!」
子供の声に合わせるように、雨の音が強くなる。
「お母さんが、お父さんは俺を捨てたって。仕事が大事だったからって言うんだ。絶対、そんな事ないのに」
「お母さんは今、どこに?」
「分かんない。仕事はしてない、と思う。でも、雨になると家にいつも男の人が来て、母さんを連れてくんだ。俺はここで降ろされる。母さんが待っててねって」
「ふーん」
「お母さんは、変わっちゃった…でも、もう少ししたらきっと、またお父さんと3人で暮らせる。だから、それまでは我慢するんだ」
名前はなるほどな。と声に出さず納得した。雨の日というのは傘で顔が隠れ、前方も見えにくい。人は他人の事を見ていなものだが、雨の日は特にそれが強くなる。つまり、雨の日というのは仄暗いことをやるには最適の日なのだ。
「……雨なんて嫌いだ。暗いし、雨うるさいし、濡れた靴も気持ち悪いし」
子供が水たまりを蹴る。
「そー?私は雨好き」
「…なんで」
「街がいつもと違うでしょ」
地面には灰色の鏡が幾つもある。窓には水滴が伝っていて、空に太陽もない。普段とは違う街。
「ほら、音も違う」
耳を澄ますと、傘に雨粒が当たる音がする。地面、草、窓。当たる場所によって音が違う。
「それにどうせ濡れるなら全身濡れちゃえばいい。そうすれば楽しいよ」
「……やだよ」
一歩前に出た名前の服を雨が濡らしていく。
「ほら、おいでよ」
「……」
おずおずと伸ばされる子供の手。名前はそれを掴むと勢いよく引き寄せた。
「わっ!バカ!やめろよ!」
「こんだけ濡れたらもういいでしょ?」
子供の手を離し、地面の鏡を蹴り割っていく。
「それに、面白い出会いがあったりもする」
「…」
「雨宿り、好きになった?」
「こんなの、雨宿りじゃない」
子供は頬を膨らませたが、どこか満更でもないような顔をしていた。
「ふふっ、もっと遊ぼ」
「……いいよ」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「風邪ひくぞお前」
首を傾ければ前髪から落ちる水が頬に当たる。呆れたような顔をした相澤は「何歳だよ」と小言をこぼして近づくと手に持っていたタオルを名前の頭に乗せた。
「で、あの子供は?」
職員室から見ていた相澤が問いかける。
「さぁ」
知り合いじゃ無いのか。まさかなと思いつつ相澤は続けた。
「……名前は」
「さぁ?」
「歳は」
「さぁ」
「ハァ……。事件性は?」
「さーー、どうだろ」
タオルで頭を拭う。すると名前の頭部に相澤の大きなため息が降った。
「……会うのを止めたりはせんが、ずぶ濡れになるまで遊ぶのはもうやめろ。ヒーローは体が資本だ」
「気をつけるよ。で、先生」
「なんだ」
「明日、外出したい」
「ダメだ」
「何で」
「罰則を与えるのは当然だろ。お前、門の前とはいえ無断で出てんだぞ」
「おーねーがーいー。傘買いに行くの」
タオルから手を離し、相澤の顔を覗きこむ。
「傘?」
「そ、エリちゃんとあの子に」
「私のも?」
心配そうな目で見ていたエリちゃんを抱き上げ、名前はにっこりと笑った。
「雨の散歩したくない?」
「したい!」
「相澤先生、お願い」
エリちゃんの赤い目と名前の目が相澤をじーっと見つめている。相澤はもう一度ため息をつくと自身の頭に手を当てた。
「……分かった」
「やった」
腕に飛びついた名前に相澤は「やめろ、濡れる」と言ったが、払い除けることはせず、名前はふふっと笑った。
「だが、明日はダメだ。ちょっとは反省しろ。明後日な」
「仕方ないか。あ、先生は来なくていいよ。もう、連れてく人決めてるから」
「へーへー、出る時は一応声かけろよ」
―――2日後―――
名前はある人物を連れ出しに、あまり学校でも馴染みのない階に来ていた。
「あれ、あの子一年の……」
見慣れない女子生徒というだけで生徒達の関心を集めるものだが、それが何かと話題に上がる1年生となればなおのこと。ざわつきは次第に大きくなった。
「体育祭3位の子だよな」
「そうそうヤトさん。やっぱ可愛いね」
「……俺ミスコン投票した」
「ガン見じゃねーか。話しかけに行けよ」
そんな声を気にも留めず、一直線に目的である3年ヒーロー科の一教室に足を踏み入れた名前は目当ての人物を探し、キョロキョロと辺りを見渡した。
「えーっと、誰かに用事?」
「一応、他クラスにはあんまり入っちゃいけないことになってるんだけど……。ここ3年の教室だし…」ととある生徒が近づくが、名前は「大丈夫」と一言返すと苦笑いを受けべる生徒を置いて、さらに奥へと進んだ。
「もう見つけたから」
一直線に、その座席へと進む。一歩、一歩進むごとに視線の先にいる相手の目線が激しく泳いだ。そして、足を止める。
「天喰さん」
「は、はい!」
「時間ある?」
「あ、あるけど一体……」
「じゃあ行こっか」
「え、ちょ、どういう、!」
慌てた天喰の腕を掴み、「荷物持って」と一言、外へ連れ出す名前。滞在時間、約一分。竜巻にでもあったような出来事に周囲はポカーンと口を開けていたが、扉が閉まるのとほぼ同時に「はぁああ!???」と大きな声が上がった。
「あ、あの、ヤトさん、ちょ、どういう」
「名前」
「えぇ、」
「名前って呼んで」
「わ、分かった。でも、その。手を」
一体何が何だか。だが、それよりも。天喰は自身の手を握る繋がれた手を見た途端、顔に熱が上がるのを感じた。途中で言葉が途切れたことを不思議に思った名前が後ろを振り返り、天喰と手を交互に見る。そして首を傾げた。
「やだった?」
「いや、いやとかじゃなく、その」
「じゃあこのままでもいいね」
「えっ!」
「じょーだんだよ」
ふっと笑って手を離す名前。天喰は冗談だったのに俺は……。と離れた手で頭を抱えた。
「ダメだ……やっぱり、俺には難易度が高い…」
「それで用なんだけど。今から買い物行くからついて来てくれる?」
「なぜ俺が……?」
「貴方の出番はその後。買い物はついで」
「だとしても……」
俺じゃなくていいんじゃ……。
「すぐ終わるから。いい?」
今教室に戻ればきっと質問攻めにあうだろう。それに、いい?と伺っているような言い方だが、その圧はいいよね。である。天喰のノミの心臓に断る勇気はなかった。
「いい、です……」
「ありがとうー」
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