夜の兎 | ナノ


▼ 14

 


 鍋を始めて1時間ほど後、寮の扉が開き、中の暖かい光が一瞬、外に漏れた。


「じゃ、行ってくんネ」


「エリちゃんによろしくねー!」


 パタンと音がして、すぐに閉まる扉。名前の手にはコンロと中身の入った鍋が一つあった。エリちゃんのとこへ行くならこれも持ってけとヒーローらしくお節介なクラスメイト達に持たされた物だ。ヨイショ、と持ち直し、街灯の下に出る。寒さが剥き出しの足を打った。これだけ寒いときっと息も白いはずだ。鼻の奥がツンとするほど冷たい空気をすっと吸い込む。


「ハァ」


 白い息がもくもくと空に上がった。とっとと行こう。チャイナなトレーナーとショートパンツという外に出るには軽装過ぎるいつもの服装は自然と足を速足にした。
  
 しばらく歩けばそれほど距離の離れていない教員寮が見えてくる。寮の近くにはいくつかのベンチが並んでいて、好き好んで外に出る人のいないだろうこの気温の中、そこに誰かが座っているのが分かった。


「オール」


 マイト。丁度、開いた扉に呼びかけていた言葉を止める。白い息を吐き、ベンチに座るオールマイトに歩み寄ったのは相澤だった。


「いたいた。寒いでしょ。何してるんですか」


「いやァちょっとね」


「エリ少女は?」


「ぐっすり眠ってます。今週中にでも訓練を始めさせます」


「手伝うよ」


「助かります」


 物言いたげな、どこか思い詰めたようなオールマイト。名前は足を止め、壁側に体を寄せた。


「どうしました?」


「生きると決めたんだ」


「は?」


 なんだ一体。と一言で表す相澤。オールマイトは話を続けた。


「でもね…何て言うんだろ…。こう…無力感がね、沸々と湧いて来るんだ。生徒が成長する度に何もしてあげられない歯痒さに苛まれる」


「ワーカホリックが治ってないんです。何十年もこの国を支えてきたその落差からくる中毒症状です」


「手厳しいな…」


「してあげられてますよ。生きてここにいる。それだけで背中を押される人間がたくさんいます。あなたは堂々とふんぞり返ってて下さい。変わらずに」


「―――すまない…!!」


 相澤の不器用な慰め。それに気付いたオールマイトは落としていた肩を上げた。


「ああいけない…!用があったんだよね!?」


「はい、塚内さんから言伝を…ステインとの面会を送らせて欲しいと。…あと、そこで盗み聞きしてる奴。とっとと出てこい」


「気付いてた?」


 ひょっこりと壁から頭を出す名前。相澤は「美味そうな匂いがしてたからな」と鍋を指差した。


「黙ってたほうがいいかなって」


「何か用があったのかい?」


「エリちゃんにお呼ばれしてたんだけど」

 
「無くなったみたいだネ」そう言った名前はつかつかと歩みを進めると、オールマイトの膝にカセットコンロと鍋を置き、にっこりと笑顔を浮かべた。


「鍋持ってきたから食べよ」


 一体どこから聞いていたのか。エリちゃんが眠ったことを知っていることからきっと初めの方からだろう。オールマイトはそう思ったが、それでも何も言ってこない名前を見て、目頭に熱が籠る。

 聞かなかったふりをしてくれているのか。なんと自分は情けない大人だろうか。ただ、その優しさを無碍にするわけにはいかない。しっかりしろ、オールマイト。オールマイトは自分に言い聞かせ、「鍋か。そういえば今年はまだ食べてなかったよ」と言った。


「お前、そっから聞いてたのか」


「まぁ。ん?」


 返事をするために横を向き、相澤を見た名前が突然、動きを止めた。


「……ねぇ、相澤先生」


 綺麗に形作られていた笑顔がストンと消え、目が細まる。その一瞬で辺りが緊張感に包まれた。一体何が…。オールマイトがそう思った時、目の前の少女はゆっくりと相澤との距離を詰めた。鋭く、深い赤色の瞳がギラリと光る。どう見ても何かに怒っているような。そんな激情だった。


「これ、何」


 逃げることは許さない。その瞳が相澤を捕える。相澤ももちろん、逃げる気などなかった。避けることが得策でないのがすぐに分かったからだ。あと半歩の距離まで来た名前が自身に向け、徐に両手を伸ばす。頬に冷え切った、文字通り雪のように白い手が触れる。冷えてるな。そんな事を考えた瞬間、両頬を挟んだ両手がぐっと相澤を引き寄せた。

 力加減を間違えているのか、掴まれた骨が軋む。そして、ゆっくり、じわじわと辺りを侵食する圧のような物に2人は気付いた。それは目の前の少女から発せられていた。名前から確かに感じる殺気にも似た物。相澤は目を見開いたが、じっと名前から目を離さなかった。


「……」


「えっ、えっ」


 慌てるオールマイトなど視界に入らないかのように名前は瞬きもせず、相澤の目を見つめた。


「どうしたの。先生」


「何がだ」


 相澤は今日、変わり果てた昔の友人の元へ赴いた。きっと目の前の少女は自分の傷心をどうやってか、感じ取ったのだろう。だが、それは言うべきことではない。個性でない以上、確定出来ないことは分かりきっている。相澤は自分に何事も無かったかのようなフリをした。


「だめだよ」


 だが、あたかも相澤に何かあったことを確定しているように、目の前の少女がそれを咎める。「ウソはいけない」そう言い聞かせるような柔らかな脅迫だった。


「誰かに何かされた?」


「されてない」


「されたよ」


「お前、何言って」


「私に教えてくれる?」


 抱擁にも似た強要だった。決して強くはないのに、纒う殺気が、目が拒むことを許さない。


「“俺は”何もされてない」


 脳無・黒霧は友の死体を使っていた。確かに心は傷心していた。だが、発した言葉は嘘では無い。生徒に心配をかける必要は無いと思う相澤の今できる最大の拒絶。だが、名前はそれをものともせずに言葉を続けた。


「相澤先生“は”何もされてない。じゃあ、誰が何やった」


「お前なこういう時は黙ってそっとしとくもんだぞ」


 「察しがいいのも考えものだな」そう言って相澤は誤魔化すように名前の頭をくしゃっと撫でた。

 殺してやろうか。そんな気持ちが目の前の少女からは溢れている。ヒーローとしていくつもの修羅場を潜った相澤の警戒心は今手を出せば、自分がやられるかもしれない、と考えさせたが、躊躇はきっと目の前の少女にはバレてしまう。


「(それだけは気付かれる訳にはいかんな…)」


 自分のことを思い怒る名前を裏切るようなものだ。相澤はゆっくりと名前の頭から手を下ろした。だが、それでも名前の目は赤く燃えている。


「お前が心配するようなことは何もないよ」


「……」


 何も言わない名前。だが、その目からは怒りも、光も消えていない。唸るように一瞬、開いた口元から鋭い犬歯が覗く。


「(これは…)」


 オールマイトは思った。まるで、獣だ。食い殺さん、と言わんばかりの本能に近いような殺意。自分に対してでは無い事を理解しているものの、生存本能は警戒を鳴らす。

 そして、気付いた。飄々としていて、底が知れないと思っていた少女のことを。逆なのだ。名前少女の行動原理はきっと単純なもの。食べたいものを食べる。戦いたいから戦う。やりたいからやる、やりたく無いからしない。怒りがあるから怒る。ただそれだけの事。


「また連合絡み?」


「……」


「名前少女」


 オールマイトと相澤は一度、顔を見合わした。下手なウソは言わないほうがいい。是を表すそれに名前は一息ついて、相澤から手を離した。連合相手なら今すぐには何もできない。警察もヒーローも全てが追っている彼らはある意味では守られている。正当な立場に無い名前が何かすれば、名前の方が不利となるだろう。瞳の鋭さは消えないが、2人を押し潰さんとする圧は鳴りを潜めていく。


「(コイツ、相手が連合じゃなかったら今すぐ殴り込みにでも行きそうだな)…」


「分かった」


 とは言え、あまりには引きがいい。相澤はそれに違和感を持った。もしかして…な。すぐに疑惑を言葉にする。


「お前、何知った」


「何って?」


 そんな返答する奴は何か知った奴しか居らんだろ。相澤は言葉を続けた。


「エンデヴァーを探ったのか」


 探ったと言える程のことはしていない。本気なら公安にでも潜入している。名前はそう思うも言葉にはせず、オールマイトの膝から鍋を取った。


「大袈裟だなぁ。気になった事だけ」


「どこまで聞いた」


「名前少女、何を知ったのか教えて欲しい」


 今度は逆に二人の視線が名前から外れない。


「インターンの理由とか」


 学生を予備戦力に。学徒動員のようなこれの理由。よりにもよって生徒に最も知られたくなかったことを。”とか”と続いたことからも、この一介のアマチュアヒーローはまだ出回っていない情報も知ってしまっているのだろう。相澤とオールマイトは頭を抱えた。


「「ハァ」」


「皆には言わないって。でも、意外だったなぁ。ヒーローも悪どい事すんだねぇ」


 揶揄うような言葉。名前は知っている。平和には悪の礎が少なからず必要なのだ。


「備えるだけだ。お前らに危険が及ぶような事にはならんよ」 


 相澤がそう言った時、名前が口を開け、明るい声で笑った。白い息が上がる。


「それ、本気で言ってないよね」


 口角を上げたまま、2人を見る名前。それが気休めでしか無いことは2人も知っていた。相手は悪意だ。生徒もプロも関係ない。そんな事はプロヒーローが最も知っている。


「…お前、あんまり前に出るなよ。あくまで予備戦力だ」


「極力がんばるよ」


 極力かよ……。相澤はもう一度、頭を抱えたくなったが、「…とりあえず中入りたい。寒くて手悴んできた」と名前が言い出したことで、改めて名前に目をやった。


「なんつー格好だよ」


 剥き出しの膝は真っ赤に染まり、7部丈の袖口から先はぷるぷると小刻みに震えている。


「大変だ!」


 慌てて名前の手から鍋を取ったオールマイト。


「今はさ、皆で鍋食べようよ」


 寒さから逃れるように間に立った名前が2人の腕に手を通す。


「闇鍋はどう?」


 二人の腕をズンズンと引いて寮に向かって行く名前の頭を、相澤はもう一度、呆れたようにくしゃくしゃと撫で付けた。


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