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「そろそろ学校に送る時間だ」
夜も深くなり始め、帰る時間がやって来る。5人は中庭を抜け、迎えの車へ向かった。
「ごちそうさまでした」
「四川麻婆のレシピ教えろや」
緑谷、爆豪が各々なりの礼を冬美に伝える。
「爆豪の麻婆も楽しみー」
じゅるり、と名前の口から涎が垂れかけた。
「作る体で進めんな」
「学校のお話聞くつもりだったのにごめんなさいね」
「冬美、ありがとう」
謝罪を述べる冬美にエンデヴァーも礼を言った。
「緑谷くん、焦凍とお友達になってくれてありがとう」
「そんな…こちらこそ…です!」
冬美と緑谷の会話を聞き、照れ臭そうな顔で轟が頬をかく。冬美は緑谷の優しさが轟に良い影響を与えた事は先ほどの会話で知った。それは精一杯の礼だった。
「言わなくても伝わってたみたいだネ」
「茶化すなや」
その隣で到着時、「友達じゃねぇって言っとけ!」と吠えた爆豪に名前がコツンと肘を打つ。
「行くぞ」
挨拶もそこそこに。エンデヴァーの声に従い、名前を超え、3人が先に車へ乗り込む。エンデヴァーは助手席に周り、その扉を開けた。
「3人を送ったらまた迎えに来る。部屋で待っていろ」
車は5人乗り。専属の運転士、車田運転丸を含めれば1人は残る事になる。そこで誰が残るかとの相談がなされた結果、同性同士ならまだ待ち時間も気楽に過ごせるだろうとのことで名前が選ばれた。
「じゃ、また後で」
バタン、と扉の閉まる音がして、ひらひらと手を振ると同時に進み出した車が小さくなっていく。車が完全に見えなくなったところで冬美が「さて、と」と声をかけた。
「夜野さん家に入ろうか」
「名前でいいよ」
分かった、と言うように冬美が頷く。
「お風呂入っていく?」
待ち時間がある分、帰ってからではきっと遅くなってしまう。冬美はそう思い、そう提案した。
「そうしようかなぁ。一緒に入る?」
「ええ!?」
「ジョーダンだよ」
アワアワと戸惑う冬美はどちらかといえば轟よりも緑谷っぽい。轟と緑谷が友人になったのもなんとなく分かる気がする。名前はそんなことを考えながら、驚く冬美を置いて、まるで我が物のように真っ直ぐに轟邸へと入っていった。その後を置い、早足で冬美も自宅へと入る。
「ビックリしたー。あ、そうだ。焦凍のアルバムでもみる?」
「面白そうだね。それ」
「出しとくわね!先にお風呂どうぞ!」
「ありがとー」
───────────
「イイオユデシター」
大きな浴槽に木の匂い。久方ぶりのいい風呂に浸かり、すっかり温まった体にほかほかとした気分で廊下を進む。廊下を歩くたびスリッパがペタペタと音を立て、その音に気付いた冬美がひょこっと一室から顔を出した。
「名前ちゃん。こっちこっち」
部屋に入れば一冊のアルバムが床に開かれていた。本棚には他にもいくつか同じようなアルバムが置かれていたが、子供が4人もいるにしてはその冊数は多くない。冬美は古びたアルバムを指で何ページか捲ると、「あったあった」と声を上げた。
「これが幼稚園の入園でねー」
エンデヴァーと白い髪の女性との間、その足元に傷の無い轟の姿があった。写真の中の轟はエンデヴァーから極力距離を空けようとしていて、その頃からエンデヴァーへの苦手意識が見える。すでにこの頃から特訓は始まっていたのだろう。冬美や他の兄弟の姿がそこに見えないのは年齢的な違い以上の何かがあることをアルバムは表していた。
きっと心優しい人間なら慰めか、共感か、まぁ何かしらの言葉をかけるのだろうが、自分には家族間でのあれこれに口出しする趣味は無い。エンデヴァーさん、怖がられてるなぁと名前はフッと笑った。
「この人が焦凍のお母さん。よく似てる」
轟に熱湯をかけた母。2人に目を向けず、真っ直ぐカメラを見るエンデヴァーと、そのエンデヴァーから目を逸らし、逃げる轟。その女性は轟に困ったような顔で手を添えていた。
「……お父さんに似てるってのは聞いたことある、けど」
「目つきは一時期似てたかもね」
何かに執着する目は2人、確かに似ている。燃えやすい性質もよく似ている。だけど、轟は母にも似ていた。一時は曇ってしまったのかもしれないが、数少ない写真に映る女性の溶けない氷のような瞳は確かに、名前の気に入っている真っ直ぐな轟の眼を思い起こさせるものだった。
「やっぱり、兄妹全員の写真は少ないネ」
それにあの仏壇の少年の写真も見当たらない。名前はそこらの事情を詳しくは知らない為、それを口には出さず、ただ笑って写真の中で頑固そうに佇むエンデヴァーを見た。
「クソ親父っぷりが出てんねー、エンデヴァーさん」
「ふふ、正直だね」
「まぁねー」
愛があるからこそだ、なんて冗談を言う名前からは確かに敵意や悪意は感じられない。ただ事実のようにそんなことを言うものだから、冬美はエンデヴァーに軽口を叩く人物がいたのか、という驚きとさっぱりとしたその物言いにくすくすと笑った。その笑い声に顔を上げ、名前も一度冬美を見る。すると濡れた髪から垂れた水滴が頬を伝い、ぽとりと真っ白な手に落ちた。
「(あ……)」
頬に濡れた髪が張り付いているのも気にせず、首にタオルを置いたまま、「この轟、かわいい」とまた轟の写真を眺め始める名前。動じないというべきか、細かいことを気にしないというべきなのか。ともかく、小学校教員として日夜働く冬美はなんだかそれがすごく気になった。でも直接言い出せるわけもない。
ソワソワと落ち着きなく濡れる髪を見つめる。すると視線に気付いた名前が「どうしたの?」と首を傾げた。
「髪、乾かしてあげる!」
「じゃあお願い」
断る理由など無い。むしろ面倒だったから丁度良かった。そんな気持ちを少しも隠さず、名前はタオルを手渡すと、よいしょっ、と冬美に背中を向けた。
「失礼します」
水分を含んだことで、さらに強く、濃い色合いでうねる髪。冬美は傷を付けないよう、極力柔らかく、タオルで軽く抑え、上からドライヤーをかけた。
「素敵な色」
自身とは真逆の夜の海の色。星空の色。消えていきそうな色なのに、氷のように溶けることなく、自分の父や弟と生傷絶えない場所に身を置いている。それは冬美の選ぶこともなかった、期待されることもなかった道だった。だからこそ、出会って数時間の少女に少なからず心配の気持ちが芽生えてしまう。
「冬美ちゃんもね」
「妹がいたらこんな感じだったのかな」
冬美には妹も姉もいないが、きっと今と同じようなことをしていたに違いない。
「そうじゃない?冬美ちゃん世話好きそうだし」
「世話好き……」
確かに。そんなことを思いながら髪を乾かしていく。
「職業体験もお父さんのところだったんだよね。どう?厳しい?」
冬美は耳に指を引っ掛けないように注意を払いながら、首元の髪にドライヤーを当てた。
「厳しい…?どうだろう。私はあんまり思わないけど、周りからはそう思われてるかもね。職業体験の時と比べたら丸くなって甘々だよ」
「甘々?想像つかない……」
「ギラついてるのも良かったけどね」
脚を投げ出し、後ろ手をついたまま頭を後ろに倒すように振り返る名前。それを見た途端、冬美はあることを思い出し、肩を震わせて笑った。
「初め貴方のこと焦凍の恋人だと思ったらしくて、お父さんずっとソワソワしてたの」
ソワソワ…?名前は首を傾げ、エンデヴァーとのファーストコンタクトを思い出す。少なくとも息子の恋人だと思っている人物への態度では無かったはずだ。見極めるつもりだったのか、敵になりそうな女は嫌だったのか。今ではその誤解は解けているはずだが、大きな図体でソワソワしているところを想像して、名前は吹き出すように笑った。
「なら、そう言えば良かった。エンデヴァーの狼狽えっぷり見てみたかったな」
悪戯でもするようにけらけらと笑うその姿に、冬美は毛先にドライヤーを当てながら微笑みを浮かべた。
「焦凍から貴方のこと聞いてたの。凄いヤツだって。強くて、なんでも1人でしちゃう。友達だって。信頼してるみたいだった」
「ほんとにそれ私の話?」
「うんうん」
ぶんぶんと頭を縦に振り、冬美は続ける。
「ごめんね。お父さん、あなたに失礼なことを言ったみたい」
「律儀だなぁ。私がそう思われる事したの。冬美ちゃんが謝る必要は無いし、エンデヴァーさんも謝った。だからそれで終わり」
焦凍に聞いていた通りの清々しいほど、自分のある人。冬美はそう頭の中で付け加えた。ただそれでも申し訳なさは晴れない。
「でも酷いこと言っちゃって…」
「いいってば。冬美ちゃんもお風呂入ってきたら?」
落ち込む冬美の前に手を伸ばし、名前がちょいちょいと時計を指さす。時計はもうすぐ一周回るところだった。
「え!もうこんな時間!迎えに来ちゃう!ごめんね!」
バタバタと走ってお風呂に向かう冬美を見送り、名前はタブレットの画面をタップした。
「……遅いな」
冬美が言った通り、距離的にはとっくに3人を送り届けて、ここに戻ってきている筈だ。爆豪は返信自体は早いが、大抵求めた回答までに一悶着あるから無し。緑谷は普段ならマメに返信が来るが、別のことに集中してる時は気付かない。となれば残るは1人。名前はなんだかんだ3人の中で最も返信の早そうな轟に着いたか、とメッセージを送った。案の定、すぐに返事が来た。
『敵に襲われた』
『人数は』
返事が途絶える。全員私服に加え、乗っているのはプライベートの自家用車。それが敵に襲われるなんてこと、普通ならそうは無い。車内の誰かを狙った?それとも本当に単純に居合わせただけか。トラブルホイホイは一体誰なのか。これはまたしばらく待ちそうだな。名前はそう判断し、端末の電源に指をかけた時、途絶えていた轟からの返信が来た。
『1人だ。エンデヴァーが狙いだったらしい』
『今、警察に引き渡したからもう少し待っててくれ』
続けて送られたそれに了解、とだけ返信をして、膝を立てる。
「硝子爺さんもエンデヴァー狙いだったしなぁ。決起までにNo. 1倒しとこうとか?んー、それにしては相手の数も少ないし、倒す気が感じられない」
誰かの嫌がらせ?エンデヴァーは事件解決数No. 1。恨まれることに関しては事欠かないため、単独だろうと複数だろうとそう疑問は無いが。そんな時、遅れてもう一つのメッセージが届いた。
『点で放出、出来たぞ。エンデヴァーより先に捕まえた』
「……」
なぜ自分がいない時に限って。
「ぐっ」
正直、目の前で見たかった。名前は返事の来なくなった端末を見つめながら、ゴロンとその場に大の字に寝転がった。
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