夜の兎 | ナノ


▼ 9

 
 走る、飛ぶ、走る、走る。傘の先を飛ばして、かける。壁を蹴りながら回収。手を振ると同時に発射。かけたと同時に足をかけてさらに上へ。落下と共に前に発射。体を引き寄せられるのと同時に足場を蹴り出す。体を捻って、先の足場を確認。


「……」


 まだまだ遅い。走るよりも遅い移動は自身の不慣れから来るものだ。流石に一朝一夜で相澤先生のようにはいかない。だけど、それでも少なからず楽しさがあって、言葉と裏腹に口角が上がる。まさか今更、新しいコトをすることになるとは。

 名前は朝特有のぼーっとする頭でそんなことを思いながら、右手の傘から伸びるロープに左腕を最大限伸びる範囲で伸ばし、掴んだ部分をぐんと引き寄せた。だが、特殊なロープは強度を持たせるために金属が組み込まれており、なかなか思うような動きをしてはくれない。引き寄せたことで生まれた弛みが体を打った。


「だめだ。眠い」


「起きろや!!」


「集中すればできることを寝ながらでもできるようにしろ」


 火力を上げたエンデヴァーに合わせて脚に力を込める。それと合わせてワイヤーガンを撃った。


「あ」


 だが、目的の場所にそれが引っ掛かるよりも前に地面に落ちていく。咄嗟に電柱を足場に跳ぶが、体はよろけてしまった。空中で回転し、体勢を整えると同時に腕を引き、勢いと共に撃ち込んだそれを引き戻す。そんなロスの間に緑谷、爆豪、轟は名前の前に出た。だが、そんなこと気にもならない。今はただこの目の前の新しい玩具をどう使えばいいか、のみだった。

 なるほどネ。放出スピードと自分のスピードを織り込む必要があるのか。もう一度、そう腕を前に出した時、突然後ろを振り向いたエンデヴァーが名前を見た。


「遅いぞヤト!」


「ははっ、エンデヴァさん。言うねぇ」


 言ってくれる。個性の無い名前には点での放出なんてものはない。例えばジャンプ。空中で断続的に爆破し、爆発力によって機動力を上げられる爆豪、火力を断続的に上げ、スピードを上げるエンデヴァーに轟、緑谷の鞭。

 だが、それは自分にはない。跳べば跳ぶだけ。強大なパワーを持っていようが、地面に足がつかなければ加速なんてものは出来ないし、空も飛べない。あるのはただのフィジカルのみだ。新装備はかろうじて手助けするだけのもの。全てを任せる事はない。その中でどうするか。初動だけで他を圧倒する、それだけだった。

 名前はそれほど負けず嫌いでは無かった。だが、負けることも好きでは無い。ぐっと足に力を込める。4人に遅れるほど踏み込まれた足は地面を蹴ると同時に3人を抜かした。


「!」


 点での放出とは違う、重い初動。


「まだまだ走れるよ私は」


 距離の詰まったエンデヴァーの背中。そして、自分に視線を向けるエンデヴァーに言い放つ。目前には追っていたひったくり犯とその被害者がいた。だが、それを助ける気は名前には毛頭無い。それは、エンデヴァーがやる。装備に慣れる?今はいい。この瞬間、名前はただエンデヴァーよりも先に地面を踏みたいと考えていた。


「やると決めた時には既に行動し終わっていろ!」


 エンデヴァーがひったくり犯をのす。そして、空に飛ばされ、落ちてきた被害者のカバンを名前が受け止めた。


「先に敵やれや!!」


 到着した爆豪が言う。だが、名前は「んー?」と言うだけで、それに返事をする事はなかった。


「テメー、人のこと言えねェな」


 冷静沈着、クラスではそう言われることもある名前だが、その実、直情的だった。気に食わない物は全て潰す。遅いと言われたならより速く。勝ち負けなんてのはどうでもいい。ただ、自分が許容するかどうか。その為なら何でもする。努力も、我慢もだ。名前は満足気な顔で被害者にカバンを投げ渡した。


「気をつけなー」


 「ありがとございます!」と感謝を述べる被害者。エンデヴァーはすぐにどこかを見つめると、次の現場へ向かうかのように「いくぞ!!」と気合の入った声で言った。


「おお!」


「ああ」


「はい!」


「はぁい」


  ――――SONOGO!!―――――


 日もすっかり落ち、夜飯時になった頃。「行くぞ!!」という勢いのまま事務所に帰った5人は今、佇む日本家屋の前で制服姿で立っていた。


「何でだ!!!」


 てっきり次の事件に急行するとばかり思っていた爆豪の叫びが静かな住宅街の中で響く。


「姉さんが飯食べに来いって」


 轟は現在、ここにいる理由を尋ねられていると思い、そう答えた。ここは轟親子の家、つまり轟焦凍の実家であった。


「なるほど。だから和室なんだ」


 今更ながら寮の部屋を和室に改造した理由に納得がいく。そんな呑気な名前にさらに一つ青筋を増やした爆豪は同じ言葉をまたも同じ勢いで言い放った。


「何でだ!!」


「友だちを紹介して欲しいって」


「今からでも言ってこい。やっぱ友達じゃなかったってよ!!」


「かっちゃん…!」


 さすがにそれは…!と緑谷が宥める。

 なんで舐めプ野郎の家で飯だ…!馴れ合いなんざするわけがねぇだろ!!心中荒れる爆豪の言葉も耳に入れず、エンデヴァーは足を進めると、玄関の扉を開けた。

 すると、その音に気付いた誰かの軽い足音が奥からパタパタとやってくる。姿を見せたのは、白に所々赤の混じった髪をした女性だった。轟から何度か姉の話を聞いたことのある名前はすぐにその人物がピンときた。それと同時に、エンデヴァーや轟とは全く違った女性の雰囲気にこの家族、闇深そうだなぁと思う。


「忙しい中お越し下さってありがとうございます。初めまして、焦凍がお世話になっております。姉の冬美です!突然ごめんねぇ、今日は私のわがまま聞いてもらっちゃって」


「何でだ……」


 引くに引けなくなってしまった爆豪の最後のボヤキ。


「嬉しいです!友達の家に呼ばれるなんてレアですから!」


 続けて、中学時代までいじめられっ子であり、なかなか友人の出来なかった緑谷が冬美に嬉しさを伝えた。すると今度は冬美の視線が名前に向かう。こういう時はなんと言えばいいんだったか。数十年で多少ではあるが培われた常識をかけ集め、言葉を返した。


「こっちこそいつもとど…、焦凍くんにはお世話になって」


 全員轟じゃん。という自身のツッコミに慌てて呼んだことのない下の名前に言い換える。すると、隣に立つ轟から「お」と声が聞こえた。


「オマエはそうだろうな」


 「ハッ」と笑う爆豪。


「私は焦凍くんの友達の名前で、こっちも友達の爆豪」


 名前はにっこりと笑うと爆豪の肩に腕を回し、アイアンクローでその口を塞いだ。


「んぐぐぐぐッ、てん、めぇ」


「夏兄も来てるんだ。クツあった」


 「夏兄」兄弟はまだもう1人いるらしい。


「家族で焦凍たちの話聞きたくて」


 強くなる事に囚われ、轟を作ったと聞いたが。そんな轟の上にはまだ2人の子供がいた。彼らはエンデヴァーにとって個性という意味では失敗作であったということだ。強くなることへの貪欲さは自身も持っているし、生物としての本能は彼と似た物ではあるが、人間の中ではそれは少しばかり異質。遺恨を残すことも無理はない。ましてやエンデヴァーは器用じゃない。

 なんというのか、不器用もここまでくれば笑い事じゃ無くなるもんだなァ、名前は微妙な空気感の中、そんなことを考えていた。


「さ、どうぞ」


 部屋に通される。机に並べられた沢山の食べ物に名前は目を輝かせた。和洋中、様々な料理が用意され、1日疲れた胃袋を匂いが誘う。


「お好きなところに「もう食べていい?」え!」


 冬美が「かけてください」と言い切る前にすでに座っていた名前の手にはフォークが握られていた。


「はやっ」


───────────


「食べられないものあったら無理しないでね」


「どれもめちゃくちゃ美味しいです!この竜田揚げ味がしっかり染み込んでるのに衣はザクザクで仕込みの丁寧さに舌が歓喜の鼓「飯まで分析すんな!てめーの喋りで麻婆の味が落ちる」」


 ぶつぶつを披露する緑谷を爆豪が止める。その前を通った真っ白な手が空中に伸びた。


「ご飯、おかわりしていい?」


「勿論いいわよ!流石ねー!凄く食べる子がいるって聞いてたから沢山炊いておいたの!まさかアナタみたいな子だとは思ってなかったけど」


「よく言われる。む、美味しいーー」


 よそわれたご飯をまたパクパクと食べ進める名前。その手はよく見ると合間合間にちょくちょく横へと流れ、爆豪の前に置いてあった麻婆をちょろまかしていた。


「俺の麻婆取ってんじゃねぇ!」


 厳密に言えば、爆豪専用の麻婆では無いので、問題は無い。ぴりっとした辛さがクセになる味だった。


「これもうまい!」


「そらそうだよ。お手伝いさんが腰やっちゃって引退してからずっと姉ちゃんがつくってたんだから」


 夏と呼ばれた轟の兄がそう言った。


「なるほど」


「夏も作ってたじゃん、かわりばんこで」


「え!?じゃあ俺も食べてた!?」


 驚いた声を上げる轟。


「あーどうだろ、俺のは味濃かったからエンデヴァーが止めてたかもな」


 夏雄がそう言った途端、ピリつく食卓。


「ハッハッ、ピリついてんねー」


「名前さんっ」


 ケラケラと笑う名前が竜田揚げを咀嚼した音で、神妙な空気は一旦どこかへと流れていった。


「焦凍は学校でどんなの食べてるの「気付きもしなかった今度…」学食で」


「ムッ」


 冬美とエンデヴァーの声が被り、2人の言葉が止まる。息が合っていないことがありありと伝わった。それはつまり、家族としての溝が大きくあることを示している。


「気まずっ」


「名前さんんっ!!!」


 素直過ぎる名前を大慌てで緑谷が止めるが、微妙な空気は無くなる事はなく、夏雄は席を立った。


「ごちそうさま。席には着いたよもういいだろ」


「夏!」


「ごめん姉ちゃんやっぱムリだ…」


 彼らは自分達が失敗作の扱いだった事を分かっているらしい。まぁ、それはそうだろう。姉はそんな中、何とか家族を取り戻そうと頑張っているようだった。静まる部屋。そんな空気の中、すっと箸が机上のおかずを差した。


「?」


 冬美が顔を上げれば、ニッと笑った名前が言う。


「冬美ちゃん、これめっちゃ美味しいね。どうやって作ったの?」


「えっと、これはね。あ、後でレシピ焦凍に送るよ?」


「ありがとー」


「お前、料理できないだろうが」


 爆豪はジトリと名前を見た。なんとなくだが、何をする気か予想がついていたからだ。


「とど、焦凍、後でそれ爆豪に送っといて」


「俺に作らせる気か?ア?」


「ええ?うん」


「誰がテメェなんぞに作るかよ」


 「ハッ」と笑う爆豪。名前は自身の頬についた米を指先で取り、ぱくっとそれを食べた。


「爆豪、私は料理できないって言ったじゃん。ああ、爆豪にも難しいのか」


「難しくねーわ!!美味さで殺るぞ」


「ありがとー」


 少し空気が緩む。だが、それでも和気藹々とはいかず、その後の食事は微妙な雰囲気で進んだ。


 ジャァァア


 食後の片付けはみんなで。その方が早いし、礼にもなる。そんな緑谷の言葉で、名前はエンデヴァーの隣で濡れた食器を拭いていく係をしていた。洗う係は食器を割るだろうと危惧した爆豪の決死の制止で外されたのである。


「さっきはすまなかった」


「何の話?」


「…いや、もういい」


 夏雄が部屋を出て行った時の話だろう、というのはもちろん気が付いていた。だが、特に気にするほどの事じゃない。名前は別に空気を和らげようとは考えていなかったからだ。そんな名前の分からないフリにエンデヴァーはすぐさま気がついた。


「家族は難しい?」


「君は事情を知っているのか」


「知ってるよ」


「……」


 ジャーっと水の落ちる音だけが響く。


「難しいんだろうね、家族って」


 血の繋がった家族は自分にはいない。エンデヴァーの気持ちも、事情も、知る事はできても本当の意味で理解することはできない。


「まぁ、エンデヴァーさんが頑張るしかないね」


「……」


 途端、突き放すような名前の言葉になんとも言えない顔をするエンデヴァー。


「え?もしかして慰めてもらえると思った?」


 掴みどころの無い、人を食ったような少女。エンデヴァーは「ムッ」と口を真一文字に閉じた。


「でもさぁ、気休めなんて嬉しくないでしょ」


「……君は誰かを超えたいと思った事はあるか」


「うーん、あるかな。私は師匠だったよ」


「師匠か」


「父親代わりのね。私の一族にはね親殺しって風習があったの。私は師匠を殺す気なんて無かったけど。超えるってさ、実際同じようなもんだよネ。アナタのとはちょっと違うモンだけど」


「親殺し……」


 親を超えるべき種族と、親を超えて親の望みを叶えて欲しい男。似て非なる2人だ。そりゃ、理解できるはずもない。だが、インターンのせめてもの礼に慰めくらいはしてやれる。名前は拭う手を止めずに、エンデヴァーに言葉をかけた。


「気休めの欲しいエンデヴァーさんにはお世話になってるからさ。特別にリップサービスね。きっとあなたは良い方向に向かってるよ。空回ってるかもしれないし、周りは受け入れてくれないかもしれないけど。最後にはあるべき形にきっと落ち着くよ」


「そう、か」


「これは片付けなくて良いの?」


 机に置かれた一組のお皿を指す。


「ああ、それはそのままにしてて良い」


 エンデヴァーはそう言うと、それに今日の夕食を幾つかよそった。そして、それを持って廊下に出た彼を名前がなんとなく追う。するとさっきまで食事していた部屋に差し掛かった時、中から緑谷の声が聞こえた。


「轟くんはきっと赦せるように準備をしてるんじゃないかな」


「え」


「本当に大嫌いなら”許せない”でいいと思う。でも君はとても優しい人だから待ってる…ように見える。そういう時間なんじゃないかな」


 緑谷は本当に、自分の事のように人のことを見ることができる。優しいなぁ。どこまでもヒーロー気質な緑谷に名前は少し不思議な気持ちになりながら、そのまま通り過ぎたエンデヴァーに続き、少し幼さを感じる子供部屋に足を踏み入れた。よく見れば使われていないこの部屋。その理由はすぐに分かった。


「燈矢だ」


 兄弟は3人では無かったみたいだ。4人目の彼。そして、その彼は死んだ。やっぱり気休めなんて要らなかったじゃないか。どう見てもそんな物で薄皮が張るほど浅い傷じゃない。


「ふーん」


 写真の男の子は何となく、どこかで見たことがあるような気がした。


「(轟の顔……見てるからかな)」


 

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