夜の兎 | ナノ


▼ 7

「夜野。ついてこい」


 先ほど掛けたばかりの鞄の紐がずるりと肩から落ちる。


「どこに?」


「教員寮だ」


 11月も下旬に差し掛かったある日の放課後、寮に戻ろうと足を進めた名前の背中を相澤が呼び止めた。ジトッとした目に見つめられ、名前の視線が逸らされる。


「……」


 なんかしたっけな。自分から遊びに行くことはあれど、呼ばれることはまず無い教員寮への誘い。まず初めに考えることは自身の素行である。だが、いくら振り返ってみても心当たりはない。そもそも何かするたびに心当たりを持つような気持ちがあるかと言われればそうでもないが。

 それにまず何かバレて困るようなことがあったとしても、相澤はわざわざ場所を変えることはしないはずだ。相澤の声色はいつも通り。きっと呼び出しの理由は自分じゃないだろう。名前は「早く来い」と言う相澤の後ろを歩き、教員寮へと向かった。


「先入れ」


「?」


 扉を開け、集まる数人の気配に目を向ける。そこにはミリオ、天喰、波動の3人の姿があった。それほど接点の無い3人にさらに名前の頭にハテナが浮かぶ。



「来たよ」


 名前の姿を視界に入れたミリオはすぐにソファの背の向こうを覗き込み、そこに座っている人物に来訪を知らせる。すると、ハッとしたように銀色の髪がひょっこりと顔を出した。そしてそれがまた消え、今度はソファの横から小さな体が現れる。エリちゃんだった。


「お姉さん」


「あら」


 #nzme#の顔が綻び、パタパタと駆けてくるエリちゃんを両手で迎え入れる。両脇に手を差し込んで持ち上げ、彼女を空中に掲げながら彼女の勢いと共にその場で回転し、彼女の体を軽くポーンポーンと上に投げた。嬉しそうにエリちゃんが笑う。彼女の服は名前も半ば見慣れていた病院服では当然無く、新しいおべべだった。


「わぁ!」


「今日からだったんだね」


「そっか君は知ってるんだっけ!!もっと驚くと思ったのにな!」


 何も知らなかったミリオや天喰、波動はあまり驚いていない名前に首を傾げた。


「まーね」


 お出掛けでも、練習でも無く、彼女は退院してここにいる。それがいつになるのかまでは知らなかったから、驚いていない訳ではないが、伊達に病院通いはしていない。相澤先生の個性が必要であり、かつ身寄りのないエリちゃんを学校で預かる事になるだろう、というのは実は少し前から知っていた。隠してもどうせバレるだろう、と相澤先生が早々に教えてくれていたのである。

 エリちゃんを小脇に抱え、ジャンプする。3人の間を抜け、ソファの背を超え、彼女が元いた場所に腰を下ろすと同時に彼女から手を離した。足を組みながらポカンと口を開けるエリちゃんの顎下に手を添え、閉じさせる。


「おおー、身のこなしが軽いねぇ」


「教育に悪りぃからやめろ」


 遅れて歩いてきた相澤先生が布の端を頭に落とす。ぽすん、と音がして、背後のビッグ3の微かな笑い声が聞こえた。


「口うるさいおじさんだねー。お姉さんがいっぱい悪いこと教えてあげるよ」


「やめろ」

 
 ギンっと相澤先生の鋭い目が背中に刺さる。すると、エリちゃんの眉が困ったように8の字に曲がり、先生を見た。


「へーきへーき」


 しーっと内緒話でもするように口元に一本の指を立て、エリちゃんの視線を指先に集中させる。そして、エリちゃんの目がそこを見ていることを確認すると、もう片方の手でポケットから小さな包みに入れられたチョコレートを取り出した。


「まずはこれ、夕食前のオヤツ。これで君もワルの一歩手前だ」


 さも相澤を気にしているかのように名前がちらりと一度後ろを見る。そして、悪戯っ子のような顔で笑うと、エリちゃんの手のひらにそれをコロンと置いた。


「ええ…、良いの?」

 
 遠慮することはないとでも言うように、名前はもう一つポケットから取り出すと、包み紙を雑に歯で剥ぎ取り、自分の口に放り込んだ。


「怖い?じゃあ共犯を作ろう。大体のものは分ける方が軽くなるからネ」


 3人もドーゾ。ワザとこそこそしながらポケットからチョコレートを取り出し、3人の手のひらに。波動ねじれは膨らんでもいないポケットを不思議そうに眺め、「いくつ入ってるんだろう?」と首を傾げた。


「先生は見てないヨ」


 空気を読み、相澤もそっぽを向く。ビッグ3は互いの顔を見合うとエリちゃんが食べやすいよう、小さくお礼を言って、チョコレートを受け取った。


「ありがとう!」


「…あ、ありがとう」


「わぁ、ありがとう!」


「味方ができたネ」


「ありがとう…」


 その様子を見ていたエリちゃんも小さくお礼を言う。そして、おずおずと小さな手で包みを開けると、えいっと自分の口に放り込んだ。甘くて食べやすいチョコレートはコロコロと口の中で転がすと同時に溶けていく。


「美味しい…!」


 エリちゃんの頬がぽっと赤くなり、チョコレートのようにとろけた笑顔が現れた。


「そうでしょー。それが罪の味だよ」


 名前が瞳を細め、にやりと笑う。まるで荒野の誘惑のような悪魔な微笑みだ。エリちゃんはごくりと唾を飲むと、チョコレートの包みを見つめた。


「罪の…味」

 
「何教えてんだお前は」


 こつん、と相澤がノックするように後頭部を小突く。名前は誘うような顔を止め、柔らかく笑った。


「ふふ、まぁそれは冗談だけど。真面目だけじゃつまんないからね」


「君、意外と茶目っ気があるんだね!」

 
「ね、ね、意外だよね」


 ミリオの言葉に波動が同意し、天喰も頷く。人見知り知らずであり、人懐っこい性格であるミリオ、波動はすぐさま元々持っていた名前への印象を取り払い、わくわくとした顔で距離を詰めた。


「そうかな?」


 「そうだよそうだよ。もっとね、クール?な感じの人なのかなって」波動はそのまま「びっくり」と続けると、エリちゃんを間に挟む形で同じソファに腰を下ろした。



     ─────────


「ツインテール?ポニーテール?サイドテール?ルーズテール?シュリンプテール?玉ねぎ?」


「種類があるんだねェ、尻尾って」


 髪は長いが、戦闘で邪魔にならないような結び方を知っていればそれでOKな名前は髪のアレンジに疎く、波動の提案する数々の髪型がピンとこない。玉ねぎとは一体なんだ。俗世に疎いエリちゃんの代わりにと選択権を得た名前だが、それに関しての知識はエリちゃんに多少勝る程度のものであった。


「じゃあ……ツインテール?」


「なに?それ?」


「ウサギの耳みたいなやつだよ!」


 限られた選択肢の中から一つを選べば、波動は手慣れた仕草でエリちゃんの髪に手櫛を差し込み、その星のような髪を整え始めた。残る自分の仕事は鏡を見やすい高さで持っているぐらいなもので、「このへん?」「もうちょっと上!」なんて問答を数度繰り返し、定まった位置に手を固定しながら、もう片方の手で頬杖を着き、2人を眺める。


「出来たよ!」


 ものの数分もしないうちにエリちゃんの髪がウサギの耳のように同じ高さで結い上げられた。


「似合ってる!」


「うん…。可愛いよ」


 ミリオや天喰がそう言ってエリちゃんを褒める。名前もそれに続いて「かわいい」とエリちゃんに言葉をかけた。その時である。


 ガチャ


 ドアが空き、緑谷、切島、麗日、蛙吹が現れた。ぽかんとした顔が四つ並び、エリちゃんと名前が顔を見合わせる。そして、背後で空気を察したミリオが大きく手を広げた。


「雄英で預かることになった」


「近いうちにまた会えるどころか!!」


 「驚き!!!」と顔で表す緑谷が「どういった経緯で…!?」と続ける。女性陣は早足でエリちゃんのところに駆け寄ると、喜びを表した。


「わーエリちゃんやったー」


 麗日に挨拶を返すエリちゃん。


「よろしくおねがいします」


「私、妹を思い出しちゃうわ。よろしくね」


「いつまでも病院ってわけにはいかないからな」


 ソファの背から出て、教員寮の扉の前までいったミリオと相澤がチョイチョイっと4人を呼ぶ。そして、そのまま外へと出ていってしまった。


「4人で何して遊ぼうね」


「……ごめん。2人とも。俺も行ってくるよ」


 眉を寄せた天喰が複雑そうな顔で遅れてその後を追う。気付けば、そこにはエリちゃん、波動、名前の3人だけが残されていた。配色なのか、髪質なのか、ある意味では各々、浮世離れしているからなのかどこか似た3人。だが、内2人は自分から率先して話すタイプでは無く、会話は疑問がぽこぽこと頭に湧き出て止まらない波動が主体となった。


「ねぇねぇどうして名前さんお肌が真っ白なの?いつも傘さしてるよね?どうして?」


「太陽に弱いの」


「太陽に弱いの?アレルギーとか?個性はなぁに?怪力とかかな?」


 「不思議、不思議」と質問を続ける波動。きっと、彼女はただ、今不思議に思っているだけで、それをどうしようという訳でも、知識として知りたい訳でも無いのだろう。その場限りの知識欲。だが、名前はそれに嫌な気持ちは持たなかった。波動に他意が無かったからだ。


「んーそういう体質なの。個性も力とは関係ないよ。私、持ってないの」


「ええ!!?でも力持ちだよね。ミスコン見たよ!凄かった!」


 驚いたように口元を抑える波動の隣でエリちゃんも口をぽかんと開ける。これはあまり言うべきでは無かったかもしれない。名前はこそこそと2人に頭を寄せると、小声で呟いた。


「実はね、私宇宙人なの」


「うっそだー!」


 波動がわーーっと楽しそうに笑う。エリちゃんは不思議そうに首を傾げた。


「ウチュウジン?」

 
 「これだよ!」波動が携帯に文字を打ち込む。一瞬の間を置き、幾つも並んだ画像はタコのような可愛いらしい天人のイラストだった。


「これ?」


 名前とおちょぼ口の銀色のタコを見比べてエリちゃんが笑う。この世界における天人とはこんなものらしい。どこの惑星の者か以前にきっとこの世界ではそれですらない。説明したところで分かってはもらえないだろうし、と名前は冗談という形で話を進めることにした。


「実は背中にファスナーがあってね……」


 ええ…!と驚きの声を上げるエリちゃんが名前の背中を見ようとソファの背の隙間を覗き込む。だが、それは戻ってきた相澤によって止められてしまった。


「夜野、お前も寮に帰れ。来賓がある」


「ザンネン。また遊びに来るよ」


 すっと立ち上がった名前がそれと同時に小さく手を振る。


「またね!」


 波動、ミリオ、天喰、エリちゃんはそれに大きく手を振りかえした。


――――寮にてーーーー


 並々お湯の注がれたカップ。それをそろりそろりと持ち上げる。


「フゥーーフゥーーフゥーー、熱っ」


「猫舌か?気をつけろよ」


 課題を広げ、時間を有効活用する轟はココアの予想外の熱さに傷を受けた舌を出し、目をぎゅっと瞑る名前に声をかけた。


「誰が来んだろうなぁ」


 それを横目で見て、一度心配の目を送る瀬呂。相澤の指示で寮へと戻った名前は未だ来ていない来客を待つ為、共有スペースの机に座り、談笑にて時間を潰していた。


「冷めるの待と」


 ココアを作るために消していた小型ゲーム機のスリープモードを解除し、カチャカチャとスティックを操作する。その時、チャイナなトレーナーの袖に着いた埃が目に入った。よく見ればいくつかあるそれ。先ほどココアを取り出した時に着いたものだろう。


「……」


 気になる。こういうのは一度気になると、脳にこびりついて離れなくなるものだ。名前は隣に座る瀬呂の肘からちょろっと伸びているテープを指先で摘むと、それをびーっと無遠慮に引いた。


「うおっ」


 ある程度の長さで切り取り、ペタペタと自身の服に当てる。瀬呂はジトっとした目で名前を見た。


「別に良いけどよォ。お前勝手に…」


「借りるね」


「どうやって返すつもりだよ」


 返せないだろ?ん?とでも言いたげな瀬呂。


「……」


 それに対し、言い負かされるとお思いか?とでも言うように名前は埃のついたテープを無言でぴらぴら振った。


「まさかお前使い終わったやつを…!!ヒデェ!!」


「なんも言ってないけど、瀬呂にはその気があるんだね。はい。じゃあこれ返すヨ」


 ただ振っただけなのに。お望み通り、使用済みのテープを瀬呂の服に付けてやる。


「貸してくれてありがとう」


「笑ってんなよなァ!」


 その時、机の隣を歩いていた常闇の鼻腔を十中八九名前から飛んだであろう埃が直撃した。


「へっちょい」

 
 常闇のくしゃみにビクッと体を揺らした瀬呂。


「あら」


 その視界にによによと笑う名前が入った。


「何だよ…」


「んー?くしゃみで驚いてて戦闘とか大丈夫かなぁって」


「うっ」


「あんまり揶揄ってやるな」

  
 話を聞いていた常闇がやられっぱなしの瀬呂を気遣うように言葉をかける。名前は何も言わないでコップを傾けた。


「目が笑ってんだよ!」


 斜めになったココアが唇に当たる。


「アツッ」


「気を付けろよ」


 轟はちらりと顔を上げるともう一度、先ほどと同じ言葉をかけた。


「風邪?大丈夫?」


 くしゃみを聞いていた麗日が常闇に声をかける。常闇が風邪を否定するよりも前に背後の黒影が顔を振った。


「いや…!息災!我が粘膜が仕事をしたまで」


「何それ」


 常闇がソファへと向かう。机側ではようやっと名前のココアが飲める温度になってきていた。


「ん、美味しい」


 ガチャッ


 扉の開く音にいち早く気付いた飯田が駆け出す。わらわらと入口側にいた生徒たちもそれに付いて歩き出した。


「あ!!来たぞ皆!お出迎えだ!!」


「煌めくまなこでロックオン!」「猫の手、手助けやって来る!」「どこからともなくやってくる」「キュートにキャットにスティンガー!」


「「「「ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ(オフver)!!」」」」


 私服姿でポーズを決めるプッシーキャッツ。林間以来の顔に互いの顔に笑顔が浮かぶ。


「プッシーキャッツ!お久しぶりです!」


「元気そうねキティたち!」


 自分もと席を立ち、出迎えのために入り口へと歩く。のろのろと前を歩く爆豪に名前が追いついたところで、ぬっと虎が顔を出した。


「あん時ゃ守りきってやれず、すまなんだ」


「大丈夫―」


「ほじくり返すんじゃねェ」


 すぐさま背中を向け、やる事は終わったとばかりに奥の方へと戻っていく爆豪。その性格から考えられる言葉は守られる気なんて無かった、とも取れるが、きっとそれだけではないだろう。名前はにっこり虎に笑顔を向けると、爆豪の肩を片手で掴み、去ろうとする爆豪を力技でそこに引き留めた。


「気にすんなってさ」


「かってに翻訳してんじゃねェ雪女!!!」


「それ私のこと?」


 新たに増えたあだ名にん?と首を傾げていると、緑谷の声が聞こえてきた。


「洸汰くん!!久しぶり!!」


 洸汰の手を取り、ブンブンと縦に振る緑谷。洸汰は少し照れたようにそれに応えていた。よく見れば、靴が緑谷と同じものになっている。初対面で見た緑谷への感情はすっかり消えているようだった。それを眺めていれば、緑谷との会話が終わった洸汰の目が名前を捉える。洸汰はハッとしたように足をずんずんと名前のもとに進めた。


「宇宙人の姉ちゃん」


「久しぶりー。今日は…」

 
 時間はあるのか、とマンダレイと虎に目をやる。B組にも行くからと、お茶を断る会話が聞こえた。


「ゲームは出来ないみたいだね」


「うん」

 
「ごめんね、この子も楽しみにしてたみたいなんだけど」


 マンダレイが洸汰の背中に手を置く。洸汰は慌てて「ちがう!」とそれを否定した。


「持ってきてたじゃない」


「持ってきてねーって!」


 マンダレイに暴露され、さらに否定する洸汰。素直じゃないなぁ。名前は両手で洸汰の両手を掴むと、ぐるぐると片足を軸に回転した。


「わーーー!やめろーー!」


「っと」


 数度回れば、フラついた洸汰がロビーでゲームした時と同じようにお腹に倒れ込む。だが、今回は前とは違い、すぐには離れていかなかった。スカした態度は回転と共にどこかへと行ってしまったらしい。名前はポン、と片手を洸汰の角の生えた帽子の間に置いた。


「ツルむ気になったんだ?」


「まぁな!」

 
 テレビゲームをする時間は無いが、プッシーキャッツと緑谷達が話してる間に簡単なものなら出来るだろう。幸いにもここには手持ちのものがある。名前と洸汰はソファに座ると、交代しながら簡単なゲームで遊び始めた。


「その……」


 「ここは?」「こうかな」操作しながら洸汰と話す名前。だが、その耳はしっかりとプッシーキャッツの会話も聞いていた。

 ラグドールは未だに個性が戻っておらず、事務として3人のサポートをする形にはなるが、ファンの期待にも応えるため、復帰する。名前はそれを聞き、なるほど、ヒーローがヒーローをする理由にはそんなのもあるのか、と「ほー」と声を漏らした。


「カッコいいねぇ。プッシーキャッツ」


「当たり前だろ」


 どこか誇らしげな洸汰がそう返事をする。


「ふふ、そうだった」



 
 

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