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「おっつかれー!どうだった初日は!」
「別に」
「つれないねー」
体を大きく横に倒し、バーニンが歓迎する。爆豪は、すっと横にずれたが、名前は同じポーズを反対に取ると「疲れたんだって」と爆豪が言うはずのない言葉を代弁した。
「んなわけねぇだろが!!!」
と言いつつも、すぐさま「風呂どこか教えろや」と尋ねる爆豪。素直じゃない。バーニンは笑顔のまま「ああ!名前ちゃんに教えてもらって!私もう出るからさ!」と手を振り、入れ違いに事務所を後にした。だが、なんだろうが名前に教えなど乞いたくない爆豪にとってはたまったものではない。拳を握りしめ、「…っ自力で探す!!」と舌打ちをした。
「トレーニングルームの隣と上の右側にあるよ」
「言うんじゃねェェ!!」
「気付いとったわ!」と名前に吐き捨てる爆豪にサイドキックは「(みみっちぃ…)」と内心呟いた。
「あ、間違えた。部屋にあるよ」
訂正と共に悪意のない名前の笑顔が爆豪に向けられる。それがわざとか無意識か分からないが、どちらにせよ性は悪い。「気付いていた」と言った手前、何も言えなくなった爆豪が今度は「(コイツ……!!!いつかマジでコロスッ!!!)」と内心呟いた。
「4人もいるからな…相部屋か」
インターン生が1人一部屋使っていいものか、と遠慮を見せる轟。するとそれを聞いていた名前が「じゃあ」と言葉を放った。
「轟、部屋一緒に使う?」
「「「「ぶっ!!!」」」」
エンデヴァーの前での名前の大胆発言にエンデヴァー、サイドキック、そして緑谷に衝撃が走る。
「いいのか」
「いいよ」
「「「よくないよくないよくない」」」
慌てて止めに入るサイドキックに「何が問題なのか」と首を傾げる轟。ヒーロー活動中に何かが起こるとも起こすとも露ほども思っていないその純粋な目はサイドキックを貫いた。
「ぐっ、」
それならばと名前を見る。名前は「ん?」と微笑んだまま首を傾げた。
「(こっちは絶対分かって言っとるうううう)」
「やっぱりな」と吐き捨てた爆豪。先ほどのミスもわざとか。サイドキック達に戦々恐々としたものが走ったその時、持ち直したエンデヴァーが「その必要はない」と言い放った。
「1人一室使え。足りなくなることはないだろう」
「ハァイ」
気の抜けた返事が返ってくる。
「分かっとるんだろうな……」
もちろん分かっている。名前は口に出さずとも、そう返事をした。それに正直なところ、ただ反応が面白かったから乗ったのだが、自分としては本当にどちらでも良かった。雑魚寝も野宿も男女のあれこれも経験済みの自分だ。寝る場所さえあれば誰と一緒でも構いはしない。だからどちらでもいい。名前はそんなことを考えながら、言われた自室に向かう前に、エンデヴァーに一つ尋ねた。
「エンデヴァーさん。ホークスから貰った本、私にも見せてくれる?」
「?君も貰ってただろう」
本心か、単純に書かれた事が自分にバレたくなかったのか、多分前者だろうが。エンデヴァーは本を出そうとはしない。タイミングを間違えたな。そう名前が後悔する通り、エンデヴァーはその後もホークスから貰った本を貸そうとはしなかった。
─────────────
「……」
事務所には宿泊施設が装備されている。ホテルの一室のように使い勝手のいい部屋はヒーロー一人一人の自室として使われており、昼夜問わずの活動を可能にしていた。もちろん、冬休み中のインターン組も同様に、そこを自室として使うことになっている。轟が相部屋かを尋ねたのはインターン組は何かと行動を共にするから、というのも理由の一つだった。
「ま、結果的には良かったかも」
1人で。
そんなことを考えながら、夜の開ける少し前、与えられた部屋の窓枠に名前は足をかけた。
ビュウ
ビルの隙間風が髪を靡かせる。そのまま体から力を抜き、前方にゆっくりと倒れた。投げ出された体は重力に従って下に落ちていく。
「よっ」
上を向き、傘に新しく付いたボタンを押す。いつもなら銃弾の出る番傘の先が、糸を引いたまま飛び出し、窓の近くに置いていた椅子の背にくるくると巻きついた。まるで投げ縄である。途端、落ちていた体が止まり、伸びた傘を手にプラーンっと空中に浮かぶ。右に顔を向ければ、表の通りが見え、横を見れば、ガラスの窓の向こうで遅番のサイドキック達が仕事をしている。誰も名前に気づく様子はない。
「サンタ凄いなぁ」
空中で何かするという考えが生まれてこの方無かった名前。なぜなら、そんなものが無くとも戦えるからである。この機能がついたことで今更ながら盲点を突かれたような気持ちになったのは言うまでもない。移動が大幅に楽になるし、今のように潜入にも使える。一つ気になることと言えば、ボタンが見えているという美観的なものはあるが、概ね気に入っている為問題ではない。
「……」
強度のある糸、もはや細いロープのようなそれをさらに少し伸ばす。そしてエンデヴァーの自室の窓に指先をとん、と当てた。少しだけ窓が開くが、部屋に変化はない。特に侵入に対する何かはしていないと見た。もう一度、今度は先ほどよりも強く押す。そして傘から手を離し、開いた窓の隙間に体をするりと入れた。
名前の足がカーペットの上でトンッと音を立てる。
電気のついていない部屋に人の姿はない。そして、主であるエンデヴァーは仮眠中。しばらくここには誰も来ないはずだ。
「んー」
革製の椅子の横に立ち、机の引き出しを開けていく。一つ、二つ、三つ。だが、無い。
「…隠した?」
場所も確認しておくべきだった。自分が忍者や諜報員崩れならば下準備も怠っていないのだろうが、生憎、そんな経験は無い。地道に引き出しを一つ一つ開き、中を確認する。するとその時、名前の肘が椅子を押した。
キィ…
咄嗟に動きを止めるが、誰の気配も近くには無い。それにホッとしながら椅子が隠していた引き出しを開けた。
「あった」
“異能解放戦線“。”個性”を異能と呼び、それを抑圧では無く、解放させるという思想。持つ者だけの世界。その本を手に取った瞬間、話し声と共に幾つかの気配が部屋へと近付いてくるのに気付いた。
ガチャッ
扉が開き、辺りを見渡すサイドキック。だが、そこには一つの影もない。
「資料ここに置いておけばいいよな?」
「いいと思うぞ。後で俺言っとくし、早く上がれよ」
「じゃあ頼むわ。俺、この後朝からデートなんだよ。お疲れー」
「羨ましーなぁ。あの事務の子だろ?」
サイドキックは資料を机に置くと、長居すること無く、雑談したまますぐに部屋を後にした。
ガチャン
扉が閉まり、名前が空中からトンっと地面に着地する。
「侵入者には気をつけてね」
ヒーロー事務所に侵入する敵はあまりいないとは思うが、少し不用心すぎやしないか。名前はそんなことを考えながら、どかっとエンデヴァーの椅子に腰を下ろした。そして、紙とペンを取り出し、靴の中に入れていた小さなライトを口に咥え、本を開いた。
いくつもの単語にマーカーが引かれ、一見すると規則性はない。ホークスがエンデヴァーに伝えた暗号は何か。あの時の会話を思い出す。エンデヴァーは天然轟の父親だ。不器用、言葉足らず、鈍感。そんな人物に向けた暗号が遠回しな訳がない。
『2番目にオススメ』
「んー、」
マーカーの2番目の言葉。分かりやす過ぎる気もするが、試しに単語を取り出す。それを紙に書き出した。
『“敵は解放軍、連合が乗っ取り、数、十万以上、4ヶ月後、決起、それまでに、合図、送る、失敗した時、備えて、数を”』
コト
ライトを机に置いた名前が両肘を机に着き、俯く。そして、小さく肩を震わせた。それが少しずつ大きくなり、水中から抜け出したように顔を上げる。その顔は笑顔だった。
「くっくっ、ふふ、あはは。敵連合、大きく、大きくなった」
「ヒーロー飽和社会で救済処置のある仮免試験、このタイミングでのインターン再開は戦力確保、学生は予備!!ヒーロー志望なんだから死ぬのも怖くないだろうってぇ?」
「ほんっと人間って弱っちいのにムゴい手はどんどん思いつく。宇宙もない、こんな小っさい島国の中だけで悪と正義、背負って喧嘩して、混沌作って、くくっ、思った以上に退屈しないなァ、この世界」
そういえば昔、天人と侍の戦争があったと聞いたことがある。人間とはどこの世も同じであるらしい。排除の戦いも解放の戦いも戦争で食っていた身としては同じようなものだ。戦争とは戦いで何かを得るという行為であり、何を理由にしようとその形態が変わることはない。理由なんてのは正直、どうでもいいことなのだ。だが、自分にはどちらに付くかを決める自由がある。そして、ヒーローを選んだ。金や戦闘本能に任せるだけのものとは違う。
それでも自分のすることは大して変わらない。本を元の場所に戻す。ニッと笑った名前はまた窓枠に足をかけた。ポケットから自前のライターを取り出し、紙に火を付ける。紙は端から少しずつ燃え、消えてなくなった。
「ホークス、私は貴方を死なせない」
「4ヶ月後をせいぜい楽しみに待っててね」
そして名前はまた窓枠から体を倒した。
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