夜の兎 | ナノ


▼ 3

「?」


 地面が近付き、飛び降りようと体を前に倒す。だが、それは腰に回されていた手に力が込められたことで止められてしまった。不思議に思い、ホークスの顔を見るが、彼は正面を向いたままこちらを見ようともしない。まるで初対面のように、最低限の接触。それは彼に何か事情があることを表していた。するとホークスの目線が一瞬、ちらりと自分に向いた。

 翼が少しずらされる。よく見ると羽根と羽根との間に小さな黒い機械がついていた。発信機?それとも盗聴器か。何にせよこれが敵に付けられたものか、味方のものかは分からない以上、余計なことは言わない方が得策だろう。何も言ってないことから察するに多分、敵のものだとは思うが。その上、名前には一つ心当たりがあった。


『……しばらく…その、連絡とか出来んようになる。何でかもいつまでかも言えないけど』 


 仮免試験の後、言われた言葉を思い出す。彼と出会って以降、連絡を絶つほどの任務は初めてのこと。きっと、彼と知り合いだということは言わないほうがいい。ホークスの足がゆっくりと地面に着いて、「失礼しました」とにこやかに手が離される。


「エンデヴァーさんがピンチかと思って」


 いけしゃあしゃあとそう述べたホークスがすすすと轟に近寄る。


「この俺がピンチに見えたか」


「見えたよねぇ、焦凍くん」


「え…あ…はぁ…」


 轟はどう返事をしていいのか分からなかったのか、曖昧に返した。


「来るときは連絡を寄越せ」


「いや、マジフラッと寄っただけなんで」



  ───────────────


 到着した警官に老人を引き渡し、エンデヴァーが顔見知りの警官と会話をする。その裏ではホークス、爆豪、緑谷、轟の4人が会話していた。


「其奴こそが元凶じゃ!!奴の放つ光が!!闇を!!終焉を招くのじゃーーーーー!!」

 
「また被害者ゼロで済んだ。君が目を光らせてる内はこの街も安泰だよ」


 暴れる老人が警官に背中を押され、パトカーへと連れられていく。其奴とは誰のことだろう?ただの狂った老人の戯言とは思いつつも、名前はただの興味本位で、どの会話にも混ざることなく、首を傾げながら老人を眺めていた。


「緑谷と言います!」


「指破壊する子、常闇くんから聞いてる。いやー、俺も一緒に仕事したかったんだけどねーー」


「常闇くんは…?ホークス事務所続行では…?」


「地元でサイドキックと仕事して貰ってる。俺が立て込んじゃってて……悪いなァって…思ってるよ」


「さっきのぁ、俺の方が速かった」


 ホークスに対し、持ち前の自尊心を発揮する爆豪。だが、ホークスはそれを気にした様子もなく、むしろ面白がるように笑顔を浮かべたまま「それはどーかな!」と言いのけた。


「そういえば名前さんはどこから…」


 自身の名前が聞こえ、名前が「んー?」と間延びした声で返事をしながら振り返る。すると、ホークスと名前の目が合った。


「お」


 いいものを見た、とでもいうようにわざとらしくホークスが声を漏らす。


「ガン見してたじゃねーか」


 もちろん偶然などでは無い。視線を合わせるためにじ、と猛禽のような目で名前を見つめていたことに気付いていた爆豪は不快そうにそう言った。そんな言葉も振り払い、シュバッと距離を詰めたホークス。そしてすぐさま名前の片手を下から掬うように取った。


「君は…体育祭3位だった子だよね。いやー、テレビでも美人やったけど、実物見るともっと綺麗!アナタにならヒーローも捕まりたくなっちゃいそうです!それに実力もジューブン。俺んとこにも欲しくなっちゃいますね。あっ、いいですねそれ!男ん子ばっかりですし、ま、それは俺んとこも同じですけど。エンデヴァーさんは女性への細やかな気遣いなんて苦手でしょ?もし、いやんなったら俺んとこ来ます?でも、知り合ったばかりでそんなこと言われても困っちゃいますよね。どうです?今度まずは一緒に食事でも」


 ペラペラと回って止まらない口。緑谷と轟がそれにぽかんとした時、名前がしぃ、と自身の口元に手をやった。


「速すぎる男は手も早いん“ですか“?」


 誰であろうと敬語は使わず、そもそも知っているのかも怪しい名前の初めて聞く言葉に同級生3人は驚いた顔をした。


「はは、手厳しいなぁ。ま、それだけあなたが魅力的ってことで」


「未成年だぞ」


 轟が一歩進む。


「冗談でーす」


 それでも一向に離れない手。何か言いたいのか。名前は口では雑談に付き合いながらも、小さく指でその掌に「翼、敵か」と書いた。見られているのか、聞かれているのかは分からないが、これならそうそうバレることはない。


「でも君、凄いね。さっき先回りしてたでしょ」


「ホークスさんには負けますヨ」


「“まぁね“。俺は速さが取り柄だからさ」


 肯定。続けて「助けがいるか」と指を動かす。


「“いや“―、でもこのままだと、君に負けちゃいそうだ」


 否定。脅されている訳では無い、と。


「で!?何用だホークス!」


 ホークスの鋭い瞳が何かを伝える。何か言いたいような、何かあるような。名前はそんな気がした。


「用ってほどでもないんですけど…エンデヴァーさんこの本読みました?」


 ホークスが懐から取り出した一冊の本には“異能解放戦線“との文字があった。


「いやね!知ってます?最近エライ勢いで伸びてるんスよ。泥花市の市民抗戦で更に注目されてて!昔の手記ですが今を予見してるんです。「限られた者にのみ自由を与えればその皺寄せは与えられなかった者に行く」とかね。時間なければ俺マーカー引いといたんでそれだけでも!」


「デストロが目指したのは究極あれですよ、自己責任で完結する社会!時代に合ってる!」

 
 ホークスにそんな思想があるとは到底思えない。彼らどれだけ自己責任でも、ヒーローとして助けようとする人間であるからだ。そのデストロという人物のことは知らないが、関連しているのならばきっと敵だろう。


「何を言ってる…」


「そうなればエンデヴァーさん。俺たちも暇になるでしょ!」


 ホークスが笑う。彼の表情を見て嫌な予感が脳を掠めた。


「読んどいてくださいね」


「No.2が推す本…!僕も読んでみよう。あの速さの秘訣が隠されているかも…」


 緑谷も興味を持つ。


「そんな君の為に持ってきてました」


「用意が凄い!」


 どこに入れていたのか、さらに取り出した数冊の本をホークスが投げ渡した。


「そうそう時代はNo.2ですよ!速さっつーなら時代の先を読む力がつくと思うぜ!」


「この本が大好きなんですね…こんなに持ってるなんて「布教用だと思うよ」」


 どこか斜め上の発言をする轟を緑谷が食い気味に訂正する。身に覚えがあるのだろう。


「そゆこと緑谷くん」


「全国の知り合いやヒーロー達に勧めてんスよ。これからは少なくとも解放思想が下地になってくると思うんで。マーカー部分だけでも目通した方がいいですよ。“二番目“のオススメなんですから」


 最後の一冊を手に持ったホークスが足を進める。そして、投げ渡すこともなく、名前の手の上にぽん、と乗せた。


「あなたにも」


 見上げると、眉を下げて微笑む彼の顔があった。


「……」


 悲しみと、使命感、そんなものがごちゃ混ぜになったような。そんな顔だった。


「(なに、)」


 柄にもなく、心臓が忙しなく動く。どうして、そんな顔するの。もう会えなくなることを覚悟したような、諦めたような。そんな顔。今まで、何度も見たことがある。だから、嫌いだ。その顔をした人間は、よく死ぬ。慣れているはずなのに、柄にもなく、泣き出しそうなぐらい心臓が痛くなった。

 こういう時は心が久しく流していない涙を出そうとする。風邪をひけば咳をするように、きっとそうすれば楽になるという体の機能なのだろう。涙は痛みを中和する鎮痛剤で、傷を癒すための物だから。でも、絶対にそんなことはしない。私は泣くようなことは絶対にしない。私が自分の傷を癒せば、彼は多分、本当に戻って来なくなってしまう。そんな予感がした。


「いいよ。貰ってあげる」


 彼は戦場でしか生きられない生き物じゃない。死ぬのが仕事でも、義務でもない。死だろうが死神だろうが、私の手の内にあるものを勝手に連れて行くことは許してないし、諦めることも許した覚えはない。私は私の為に。


「食事、行ってもいいですよ。“今度“会うとき、美味しいところ連れてってください。約束ね」


 ホークスは少し目を見開くと、驚いたような、それでいて泣きそうな顔をした。


「…いいですよ。美味しい店、知ってるんで」
 

 軽薄そうな笑顔を浮かべ、ホークスがゆっくりと腰をかがめる。そして絵本に出てくる王子のような大袈裟な動きで、片手を自身の腹部の前に置き、もう一方の手で引き寄せた名前の指先にキスをした。


「あわわわわわわ」


「キザ野郎だなァ」


「じゃ、5人ともインターン頑張って下さいね」


 颯爽と飛び去ったホークスの姿はすぐに空に消え、視線を本に落とす。ホークスの言ったようなマーカーは無かった。彼の言葉は暗号だ。きっとこの本にヒントを残したはずだ。私を巻き込みたくなかったのかどうなのかは知らないが、自分の物に書いていない以上、インターン組の誰のにもそれは残っていない。つまり、エンデヴァーのものを見る必要がある。学生の不便さに嫌気がさすが、とはいえ、出来ないことがない訳じゃ無い。


「若いのに見えてるものが全然違うんだなぁ…まだ22だよ」


 緑谷の呟きに轟が同意する。


「6歳しか変わんねぇのか」


「ムカつくな…」


「ああ…そうだな」


 するも緑谷が「あ」と声を上げた。


「僕、名前さんが敬語使ってるの初めて見たよ!」


「一生で一度ヨ。いいものが見れたね」


「どうして突然?」


「んー、気分と嫌がらせ?」


「き、気分屋だ」


 普通に話して欲しいのなら生きて返ってくるしかない。勝手に死に逃げることなんて許さない。私の敵を横取りした貸しも残っている。名前はホークスの飛んでいった空を見て目を細めた。

 

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