夜の兎 | ナノ


▼ 1

―――大晦日―――
 

 クリスマスが終わればすぐに年末がやってくる。師が走るなんて書く季節なだけあって、人間の社会は忙しない。


『お前何言うとんねん!』


 流しているだけのテレビの中では若手のお笑い芸人達が思い残すことなんてないように必死な形相でスベリ倒し、紅白色の服を着たMCがそれをケアして笑いに変えている。普段なら多少の笑いが起こるところだが、今日の教員寮は場が悪く、一つも笑い声が上がることはない。ただし、その芸人の名誉のために言っておくと、それは別に笑えないほどのネタだったからではない。


「先生、年末まで仕事なんて大変だね」


 教員寮に教員の姿が無い理由。そして名前がA組の寮ではなく、ここにいる理由。それはどちらも同じだった。ここ雄英では寮生活の経緯もあり、年末年始といえど、帰宅は難しいとされていた。だが、プロヒーローの護衛の元なら、と生徒達は帰宅を許され、いつもは賑やかな敷地内からとんと人の姿が消えたのであった。とはいえ、それは人間の話。


「ふぁ」


 炬燵の暖かさとはなぜこうも眠気を誘うのか。名前は勝手に発注し、教員寮の共有スペースに設置したそれの中でカチャカチャと手元ゲーム機を操作した。


『お前は帰らなくていいのか?』


 数日前のこと。1人、迎えの時間を報告していなかった名前を不思議に思ったらしい相澤が『何時に帰るんだ』と尋ねた。元より帰る気の無かった名前はそれに「帰る気はないよ」と伝えたところ、相澤は再度、最終の確認のために先ほどの言葉で帰省しないか、と尋ねたのだ。


『帰るとこないしね』


 家に帰ったところで家族の居ない名前にとって学校も実家も同じこと。それに、年末年始を祝うのは地球の文化である。昔は異文化体験的に周囲としていたが、誰もいないのならわざわざ家に帰ってするまでもない。やり方も知らないし。掻い摘んでそれを言えば、相澤はまるで自分のことのように少し悲しげな表情を見せた。

 だが、本当に名前は孤独を感じることも、疎外感を感じてもいなかった。そもそも今まで家族というものの温かさを身近に感じなくても楽しくやれていたし、それを必要とすることもなかった。それに、ここには自分以外の人物もいる。


「エリちゃんみかんとって」


「どうぞ」


 プロヒーロー達は護衛役に出払っているからと名前にはエリちゃんの護衛役、そして世話役という任務が課されていた。とは言え、学校には誰もいないし、せっかくの休みだ。任務なんて名ばかりで、実際はこのように互いの話し相手とむしろ世話を焼かれる方であった。警戒なんて一切していない。ただ2人、こたつの辺の間に座り、分離できるタイプのゲーム機の前で、ファミリーゲームに勤しむのみ。考えることは今日の夜ご飯の献立くらいなものである。


「カニ鍋、カニ鍋、かっになべー」


 のんびりとした時間が過ぎる。すると、何かを思い出したかのように、意を決したエリちゃんが突然コントローラーを置き、その場で立ち上がった。どうしたんだろか、とそれを見ていればエリちゃんは駆け足にどこかへと向かう。トイレかな?みかんの食べ過ぎ?そんなデリカシーのない事を考えていれば、しばらくしてキッチンの方からおずおずとエリちゃんが顔を出した。


「お、お姉さん、あの、これ」


「んー?何―?」


 両手を背中に隠し、戻ってきたエリちゃんが目の前で立ち止まる。何か言いたそうな顔に「ん?」と顔を覗き込めば、エリちゃんは不安そうな顔でゆっくりと両手を前に出した。そこには1枚のノートの切れ端があって、力一杯握られた両手の間で皺を作っている。


「私にくれるの?」


 名前がそう尋ねれば、エリちゃんはうん、と深く頷いた。


「お姉さんにお手紙書いたの」


「お手紙?読んでいい?」


 いつの間に文字が書けるようになったのか。きっとミリオや相澤に教えてもらったのだろう。子供の成長とはなんと早いものか。小さな子供の成長なぞ近くで見たことのない名前はなおさらそう感じる。


「うん…!」


 了承を得て、感心したように二つ折りにされた紙を開く。そこには拙い文字でいくつかの文章が書いてあった。


『おねーさん、いつもまもるてくれてありがとう。げーむ、おしえてくれてありがとう。やさしいをありがとう。いつもだっこしてくれてありがとう。きれいがんばるね』


「文字、たくさん書けるようになったんだね」


 ミミズみたいな文字だし、文法も完璧じゃない。きっと何度も何度も書き直し、頭を悩まし、精一杯書いたのだろう。紙いっぱいに書かれたありがとうに、なんだか私の、感度の低い心がくすぐられた気がした。


「大事にする」


 自然と、そんな言葉が出る。多分、考えてたって同じ言葉が出た。私が言える言葉はそれくらいのものだから。きっと大事なものは少ない方がいいのだろうけど。だけど、強欲な私はそれを忘れて、いくつもそんなものを作ってしまう。失くしたって構わないと言いながら。そんな自分に少し呆れつつも、嬉しそうに笑うエリちゃんを膝に招き入れる。最近、彼女はよく笑うようになった。


「お姉さんはお家に帰らなくて良かったの…?」


 「私のせい、かな」そんな心の声が聞こえてくるほど下がったエリちゃんの眉。名前は小さく皺のよった眉間をつん、と指で突いた。そして、え?と空いた口にみかんを一房放り込む。


「帰ったところで私だけだしネ。寒いし、めんどくさい」


「そうなの?」


「そーだよ。さ、次は何しようか?」

 
 そろそろ違う遊びがしたいところだ。と考えはエリちゃんに任せ、テレビのチャンネルを変える。すると何かの再放送か、『怪人だ!!』と声が流れた。チャンネルを止めてみれば、戦隊モノらしく、数人の男女が街を壊す怪人の前に並び、ポーズを決めた。一体、いつの物だろうか。画質は荒く、最近のものではないようだった。

 ヒーロー社会では、特撮物はあまり人気がない。それは単純にヒーローというものが画面の中の存在でないからだ。外に出れば実物が見られるこの社会では架空のヒーローよりも身近で、憧れられるのは当然であり、特撮物は子供からの人気を得ずらいものとなっていた。
だからこんなどこの局がやっているも分からないチャンネルの微妙な時間に放送しているのだろう。名前はただの興味本位でリモコンをその場に置いた。


『――の戦士!――レッド!!』


 口上が始まる。視聴者にも優しい彼らは1人ずつ自分達が何をモチーフとして、どう変身するのかを見せた。実際に自身の名前を述べ、周囲の民衆にアピールしているヒーローの様子を見ることがあるが、あれは何の意味があるのだろうか。名乗るなんて戦場においてはただの時間の無駄でしかない。名乗られれば返すことぐらいはあっても、殺す相手にいちいち自分がどこの誰で何なのかを述べることはしなかった。ヒーローでは無い名前には理解しにくい感覚である。


「今攻撃するのはダメなの?怪人?は優しいんだネ」


「うーん、待っててくれてるのかな?」


 エリちゃんが首を傾げた。


「どうして名乗るの?」


「わかんない」


 名前に分からないことがエリちゃんに分かるわけもなかったが、エリちゃんは名前よりも早く、あることに気付いた。


『ヒーローだ!ヒーローが来てくれた!!』


 逃げ回ってた人達が笑顔を浮かべる。


「あんしん、するからかなぁ」


 エリちゃんがそう言った。名前にはその感覚が分からなかったが、なるほど確かに。自分の存在を示すことで周囲の信頼を得、冷静になった民衆は自力で避難、その上、敵を焦らせることも出来る、と考えればそれは理にかなっているような気もする。いや、やはり無駄だろう。そんな事を考えながらテレビはCMを経て、次のパートへ。


「負けちゃいそうだねぇ」

 
 今回の話は少し特殊らしく、2度目の対戦を経てもヒーローが勝つ気配は無い。1人、また1人と怪人に敗れ、最後に主力メンバーである赤を背負ったヒーローだけが傷だらけの中、立っていた。


「エリちゃんだったら何色かなぁ」


「私は…うーん、むずかしい」


 殺伐とした画面内とは違い、のんびりとした画面前では誰が何色を担当するか、という話で盛り上がる。


「緑谷は緑で、轟は青じゃない?オールマイトは黄色?相澤先生は…なんだろうね。ここにはいないけど、黒かな?」


「お姉さんは?」


「私?うーん…私は後から加入するタイプのやつヨ」


 エリちゃんが笑う。すると負けかけているヒーロー達の前に、1人の人物が立った。倒れたヒーロー達が驚いた声を上げる。それは元は敵、怪人側にいた人物であるらしかった。ポーズを決め、先ほどとは違う変身方法で姿が変わる。黒と紺の線の入ったヒーロースーツに身を包んだその人物はあっという間に劣勢を塗り替えた。後の展開はもう分かりきっている。名前はあと5分で始まる歌番組にチャンネルを変えた。


「蕎麦でも食べようか」


「おそば…!」


「その後は…そうだなぁ。映画見て、ゴロゴロして、テレビ見て、甘酒飲んで、色んなことして、夜更かししよう。コタツで寝るのもいいね」


 普段では褒められないその行動の数々にエリちゃんが不安そうにする。


「いいの、かなぁ」


「いいんだよ。誰もいないし、私達も楽しくやんなきゃ。年末くらい、いいじゃない」


 きっと相澤がいたなら「年中だろ」と小言が飛んできたところだろうが、あいにく、その人物はここにはいない。名前はにっこりと笑った。


「帰ってきたら相澤先生に自慢してやろうね」


「…うん!りんごもいっぱい食べよう」


 フンフンと意気込むエリちゃん。家族のいない2人の大晦日は存外、楽しいものになりそうだった。





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