夜の兎 | ナノ


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 共有スペースのソファの背もたれに足をかけ、だらしなくも地面と反対の姿勢でつまらなさそうにポチポチとテレビのチャンネルを変えるのは暇を持て余している名前である。


「んー?これ脳無じゃない?」


 一瞬ニュース番組にちらりと映った燃えるエンデヴァーが気になり、チャンネルを戻す。すると確かに脳無と対峙するエンデヴァーの姿が画面に映っていた。よっこいしょ、と座り直せば、「脳無」という言葉に反応したクラスメイト達が何事か、とテレビの前に集まる。


「何…これ」


 誰かが呟いた。エンデヴァーそしてホークスの背後では刀で斬られたような巨大なビルが見えている。そして、周囲のビルには沢山の脳無達が張り付いている。まるで保須を思い出させるその映像はA組にとっては他人事ではない。ましてや映っているのはクラスメイトの父親だ。


『ああ今!!見えますでしょうか!?エンデヴァーが!!この距離でも眩しい程に!!激しく発火しております!!』


 画面から見ているにも関わらず分かるほどの高火力。それがエンデヴァーの体を包み、燃え盛る一つの火となる。息子の轟とは違い、体の熱を冷めることのできないエンデヴァーにとっては最後の一撃であることは安易に想像がついた。


『プロミネンスバーン』


 エンデヴァーから放たれた高火力の火柱が脳無に向かって伸びる。それは脳無の体を焼き尽くし、瞬間、クラスメイトの誰かからほ、とまるで終わったかのような息が漏れた。だがその安堵も一瞬のことに終わる。脳無は自身の頭だけを千切り、全身が灰になるのを回避したのだ。まるでトカゲの自切。そして、それは何を示しているのか。命令を聞くだけの初めの脳無とは違い、この脳無は自分の個性を理解し、そして考えることが出来るということだ。


 脳無は瞬時に体を再生させるとその四肢をエンデヴァーに向けて伸ばした。ゴムのように伸びたそれはエンデヴァーの顔面を抉り、横腹を突き抜ける。


「轟……!」


「轟くん…!」


 切島と緑谷が立ち上がった。画面の中のエンデヴァーからは全ての炎が消え、血を流したまま四肢を地面に投げ出している。名前は一切、後ろを振り返ることなく、唇を軽く食んだまま、ギリッと噛み締める音を聞いた。


『突如として現れた1人の敵が!!街を蹂躙しております!ハッキリと確認できませんが”改人脳無”も多数出現しているのと情報がーーーー』


『現在、ヒーロー達が交戦・避難誘導中!しかしいち早く応戦したエンデヴァー氏はーーーー…』


『この光景、嫌でも思い出される3ヶ月前の悪夢―――…』


 その声が聞こえてか、それとも聞こえずともなのか、炎の勢いと共に起き上がったエンデヴァーが拳を振り、炎を飛ばす。だが、脳無はそれをあっさりと避けると抉れた脇腹を掴み、鞭のようにしなる腕でビルに向けて放った。性能が格段に上がっている。だが、エンデヴァーはNo.1だ。つまり現存のヒーローで一番強い人となる。ならばきっと負けるわけにはいかない。名前の中に、ふつふつと期待が湧き起こる。立て、立て。
 
 先程までなんの変哲も無かった街はものの数分で平常を失い、人々は逃げることだけを考えてどこかへ向かって走り出す。


『これが象徴の不在…!!』


「パニックだ……!マズイぞ」


 背後で開いた扉の音も、相澤の声もクラスメイトの声も今は些事でしかない。


「轟…、―――…もう見てたか…!」


「ふざけんな…」


『てきとうな事言うなや!!どこ見て喋りよっとやテレビ!』


『やめとけやこんな時に』


『あれ見ろやまだ炎が上がっとるやろうが、見えとるやろが!!エンデヴァー生きて戦っとるやろうが!!おらんモンの尾っぽ引いて勝手に絶望すんなや!今俺らの為に体張っとる男は誰や!!見ろや!!』


 ファンの声がテレビを通してこちらに向けられる。


『再び空からの映像です。あっ!!黒の敵が………あっ!!避難先へ!!ああ!!追っています!しかし追っています、エンデヴァーーーーー!!!』


 動かない体を自分の火で押して、脳無を追うエンデヴァー。それを動かすのは期待と責任、そして。ああ、良い、美しい。名前の背中にゾクゾクとしたものが走る。両の腕で自分を抱き、高揚感を抑えるようぐっと力を込める。すると、脳無の背後に姿を見せたホークスが脳無の挙動を羽で止めた。そしていくつもの羽がエンデヴァーの背中に現れる。羽は燃えながらもエンデヴァーの背中を押し、スピードと火力の乗った拳が脳無の頭に撃ち込まれた。だが、火力が足りない。


『戦っています』


「―――親父……っ」


『身をよじり……足掻きながら!!』


「見てるぞ!!!」


 轟が叫んだ。再生を続ける脳無と満身創痍なエンデヴァーを燃えカス同然な羽が上空に運ぶ。そして、エンデヴァーは大きな雄叫びと共に最後の一撃を放った。燃え盛る脳無と共に落ちていくエンデヴァー。カメラはすぐに彼らを追った。


『立っています!!スタンディング!!エンデヴァーーーーーーー!!勝利の!!いえ!!始まりのスタンディングですっ!!!』


 ふらりと倒れ込むエンデヴァーとは反対に、轟がしゃがみ込む。安堵と心配のままに駆け寄ったクラスメイトたちを置いて、名前はまだ画面の前で座ったままだった。


「青い…炎?」


 画面を覆った青い炎。そして、その中心にはエンデヴァー、ホークス、そして荼毘の姿があった。


『敵連合!!荼毘です!!連合メンバーが!!炎の壁を展開しエンデヴァーらを囲い込んでおります!!』


「あいつか…!!堂々と…どういうつもりだ」


 脳無の回収、それとパフォーマンスの一環…だろうか。相澤の言葉を耳に名前は自身の足に肘を付いた。敵対するのは満身創痍のエンデヴァーと雑魚羽のホークスのみ。荼毘にとっては有利な状況に他ならないが、ヒーローが集結していることを考えれば、今を狙う理由にはなりえない。エンデヴァーを殺したいなら、今が絶好の時ではあるが。


「(ホントに?)」


 ここはエンデヴァーのホームグラウンドじゃないのに。


 その時、炎を弾き飛ばすような衝撃と共に、白と褐色が画面に映り込んだ。No.5ヒーロー、ミルコである。だが、荼毘はミルコの姿を見た途端、攻撃をやめ、体から溢れ出した泥と共にその姿を消してしまった。


『危機は…荼毘は退き…敵は…消えました……!!――っ私の声は彼らに届いておりません…しかし言わせて下さい!!エンデヴァー!!そしてホークス!!守ってくれました!!命を賭して!勝ってくれました!!新たなる頂点がそこに!私は伝えたい!!伝えたいよあそこにいるヒーローに!!ありがとうと!!』


「ハァ…」


 本当の安堵の空気が部屋を包む。その中でどこか熱っぽい溜息が聞こえ、常闇は隣を見た。爛々と輝きつつも、惚けたような目で画面を見る名前が己の唇を喰んだまま口角をあげている。常闇はギョッとした。


「エンデヴァーさん、好きになっちゃいそう…」


 言葉だけなら同級生の既婚者の父親への向ける感情ではないとか、そういう意味でのギョッとになるだろうが常闇のそれは全く違うものからだった。


「エサを前にした猛獣…」


 敵にヒーローが打ち勝ったことを喜んでいるようには到底思えない。むしろ、その姿からはそんなエンデヴァーを狩ってしまいたいようにすら思えているように見える。


「修羅っ」


 そんな常闇の隣で、名前はごくっと唾を飲んだ。


 諦めの悪さが彼を強者にし、覚悟が彼を強くした。頭がクラクラしてしまう。だが、彼とは戦いたいとは思わない。いや嘘だ。少し、大分?思ったりしなくも無いが、私にだって分別はある。味方に手を出すことはしない。それに自分が”脅威”になっては、きっと美しいものを見逃してしまうだろうから。


 名前は自分を見て冷や汗をかいている常闇に一度だけ視線をやると、ぴょんっと背もたれの上に飛び乗った。そして、ソファの背の上を歩き、端まで来ると、そこから飛び降り、俯いたままの紅白の頭をわしゃっと撫で付けた。


「さすがNo.1だね。コーヒー淹れたげる。トドロキ、一緒に飲も」


「…ああ」



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