夜の兎 | ナノ


▼ 11

―――ARUHI―――――

 
 白く、清潔な廊下を進む。ローファーは歩くたびにカツカツと音を鳴らして、やけに大きく聞こえるそれに気付いたもはや顔馴染みの白衣を着た看護師さんがすれ違いざまに「こんにちは」と頭を下げた。私はここ最近、病院に通っている。


「あったあった」


 もちろん怪我しているとか、病気だとか、自分の体に悪いところがある訳じゃない。私自身はピンピンしている。ここに来ているのはある頼まれごとをしているからだ。


 ガコンッ


 光るボタンを2度押して、出て来た2本のリンゴジュースを手に取る。近頃は私が頻繁に買うばかりにそろそろ補充されるよりも先に無くなってしまいそうだと感じているが、なかなかしぶとく、ここが赤になったところは今のところまだ見たことがない。そんなことを考えながら目的の部屋へと向かう。


「私がきたー」


 病院の奥。一般病棟とは隔離された場所にある特別室の扉がスライドに合わせて音を立てる。するとベットの上で小さく座っていた部屋の主がビクッと体を揺らした。それを気にすることなく中に入り、ポイッとベットに持っていたリンゴジュースのパックを放る。


「はい、これ」


「…ありがとう」


 ベッド脇の椅子に座り、もう一本のそれを飲む。目の前にいる銀髪の少女、ことエリちゃんは肩を縮こめたままジュースの側面に付いたストローに手を伸ばした。だが、少し固かったのか、うまく剥ぎ取れない。「貸して」と言えば、彼女は恐る恐る私の手にそれを置いた。


「はい」


「ありがとう…」


 相澤先生が”見た”少女。精神が不安定で個性の暴走の危険性のある彼女は、面会禁止、特に事件に関係するものは見せない方が良いとの事でこの部屋に隔離されていた。では、なぜ、そんな彼女の病室に入れて、しかも通い詰めているか。

 それは私がまだイレイザーさんのインターン生であること、事件当日一度も彼女と顔を合わせていないこと、個性の暴走も、それが消える心配もないこと、同性だということ、そして危険があれば躊躇なく彼女を気絶させられるという諸々の理由と彼女も話し相手が欲しかろう、という相澤先生の配慮からであった。そんな訳で、遊び相手兼敵連合または残党対策としての護衛役を任されたのである。

 まぁそんな理由を長々述べたが、護衛役とは名ばかりで、特に何かをするということもない。警戒心の強い彼女は話し相手を必要としていないし、私も子供の相手が得意というわけでもない。だから、看護師さんのいる間やお医者さんの治療中は窓枠に座ってただ様子見し、2人っきりになれば自分の好きなことをしてる。エリちゃんは遠慮してるのか怖いのかベッドの上から動かない。私たちの唯一の交流は持ってきたお菓子を分ける、その時だけだった。そうして、いつしか食べきれないお菓子達がベッド脇の机に積み上げられていた。


「さて、」


 今日も今日とて何かすることがある訳でもなく、カバンから持参したゲーム機を取り出す。電源を入れ、手持ち無沙汰にスティックを動かせば、特徴的な起動音が鳴った。何しよう、とスティックを動かし、すでにデータ化してあるカセットのいくつかの上を辿る。すると、エリちゃんからおずおずとしつつも、気になっているような、そんな慎ましい視線を感じた。


「…気になる?」


 顔を上げて目を合わせるが、エリちゃんは「え、と」と言ったっきり、何も言わなかった。ベットと私の間を視線が何度か移動して、シーツを掴む手に力が入る。きっと、言いたくても言えないのだろう。


「いいよ」


「え?」


 椅子から立ち上がり、ベットの傍に立つ。そうだった。エリちゃんは地球人だからきっと嫌がる。靴と靴下を脱いでからベッドの足元に乗った。


「見してあげる」


 そこに腰を下ろし、胡座をかく。そして軽く腕を広げた。エリちゃんは何度か手と私の間に視線を動かしたが、少しもすれば覚悟を決めたように恐る恐る近寄ってきた。だが、これは多分、警戒を解いたわけじゃない。ただ、反抗する意思が無いだけなのだろう。だからこそ急かさず、自分でくるのを待つ。彼女はゆっくりと時間をかけて足の間に収まった。


「はい」


「これ…なに?」 


 「ゲーム機だヨ」と彼女の小さな手の中にそれを乗せる。


「そうそう。そこを持って、ボタンを押す」


「こ、こう?」


「お、上手いね。こっちの手で動かせるよ」

 
 エリちゃんは恐る恐るボタンを操作して中のキャラクターを動かした。後は好きにさせよう。そう思い、かちゃかちゃと不慣れに手を動かす彼女を見下ろす。だが、上からでは俯いている顔の奥は見えず、そればかりか長い髪の毛が外界と彼女を隔てるように間に垂れていた。これは彼女の持つ彼女を守る唯一の壁なのかもしれないが、危害を加える気がこれっぽっちもない自分にとっては。


 邪魔、だなぁ。


「ねぇ髪の毛結んでいい?」


「…うん」


 手首つけていたゴムを取り、力加減を注意しながら彼女の髪を結い上げる。


「痛くなかった?」


「うん」


 髪をのけたことでエリちゃんの自分と少し似た薄紅色の瞳と顔がよく見えるようになった。それにうんうん、と頷けばエリちゃんは不思議そうに顔を上げる。初めて会った日よりも額のツノは縮んでいた。それに興味が湧き、指でツンっと触れてみる。途端、エリちゃんの体がビクッと跳ね、その拍子にゲームオーバーと画面に浮かぶ。それについ笑ってしまった。


「ふふ、ごめんごめん。触り心地が気になってさ」


 それに合わせて膝の上でふるふると揺れるエリちゃんの頭に一度軽く手を置く。それから後ろに体を倒し、ベットに手を着くと、バランスを崩したエリちゃんが私の服の裾をぎゅっと握った。

 
「…お姉さんはどうして優しくしてくれるの?」

  
「私は優しくないよ。皆と違って君に同情したりもしないしネ」


「どーじょう」


 聞いたことがないのか、エリちゃんは言葉を繰り返した。


「かわいそうって思ったりしてないってこと。君がもし暴走すれば私は殴ってでも気絶させるよ」


 エリちゃんは「え?」と驚いたような顔をした。素直なその反応にふっ、と笑って彼女の両手を軽く自分の両手で包む。小さな手が私の手のひらの中でぎゅううと握り込まれていた。それをにぎにぎ握って、緩んだ指の間に指を通す。彼女の手足には私の戦闘時と同じように包帯が巻かれてあって、私とは違い、治崎達によって付けられただろう傷の存在を主張していた。


「………」

 
「でも君の事をいじめたりは絶対にしない」


 俯いたままのエリちゃん。もしかしたら私の言葉が信じられないのかもしれない。それは仕方がないことだった。私は緑谷じゃないし、彼女を直接助けたわけじゃない。だから少しだけ、ほんの少しだけ、その理由をエリちゃんに教えることにした。

 
「んー、お姉さんはネ。君ぐらいかァ…もう少し下の頃、ゴミ同然の生き方してたの。親は死んじゃって食べ物も家も無くて。仕方ないから他人から盗んで、奪って、捕まって、殴られて、蹴られて、やり返して。這いつくばってごみ漁りながら歯食いしばって生きてたの」


 エリちゃんが顔を上げた。


「可哀想だって言われたこともある。でもね、そう言う奴は誰も助けてくれなかった。その時、思ったの。同情されたってお腹は一杯にならないし、痛みもなくならない。だから、私は誰にも同情しない。君は私を優しいっていうけど、私は君に自分がして欲しかった事をしてるだけなの。きっと本当に優しい人は、君のために同情して、怒ってくれて、そして助けてくれる人だと思うよ」


 繋いだ小さな手に力が篭った。


「…お姉さんは優しい、よ」


 私は何も言わずに、絡めていた手を外して頭を一度撫でてから、ゲームを再スタートさせた。









あとがき
 主人公に可哀想な子に優しくしようとかいう気持ちはない。危害は絶対に加えないし、子供は庇護するべきであるとは考えてるから甘めではある。ゲーム機見せたのも気になってそうだったからってだけで、髪の毛も力加減が難しいから聞いただけ。特別扱いをしてるわけではない。仲良くなれば情も湧く。


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