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その日のうちに完成した仮免のカードに貼られた自分の顔写真。その下にはヒーロー名ヤトと記入されていた。こんな紙切れがヒーローの証か。なんとも軽い。それと同時に感じる不思議な現実味につい笑ってしまう。
ヒーローに免許なんて。前世ではヒーローといえばフィクションのもので、現実にはない。普段は普通に生活しているが、助けを求める声を聞いて不思議な力でヒーロースーツに着替えてスーパーパワーで悪を倒す。そんな想像の中の物。だからこそ免許職という現実がまるで大掛かりな冗談のように思える。
「おーい!!」
無表情で中から見つめてくる自分の目にはヒーローの雛という自覚はまるでない。元々無いが、流れ作業よろしく座った瞬間には撮られていたのだからなおさらのことだ。でも、この仰々しい板の中にあると不思議とそう”見えて”しまう。中身が伴わなくとも関係ない。
そんなどこか滑稽なそれを眺めているとドタドタ騒がしい足音と共にイナサが駆け寄ってきた。
「轟!!また講習で会うな!!けどな!!正直まだ好かん!!先に謝っとく!!ごめん!!名前さん仮免おめでとうっス!!!」
言うだけ言ってイナサは手を振りながらまた元来た道を走り去っていく。なんとも潔い。その後ろ姿に一瞬、あるはずのない尻尾が見えた気がした。「こっちも善処する」と轟が既に去った背中に返す。
「やっぱ大型犬って感じするあの人」
「そうか?」
「うん」
頭の中で大型犬のイナサが浮かんだ。大きな体で放り投げられた枝を「取ってきたっス」と持って戻ってくるのだろう。なんだかすごくしっくり来た。轟は猫だろうか。いや、意外とコアラ?
「帰るぞ」
相澤に呼びかけに集まる生徒たち。試験が終わればもうここに用はない。仮免を取れて嬉しいのかいつも以上に張り切ってガシャコンしている飯田の指示の元バスに乗り込み、帰路につく。始めはぽろぽろと会話が聞こえていたが、1日かけた試験に疲れ切っているのかしばらくもすれば車内は静かになった。
窓枠に手を置きながら窓の外を眺める。ふと静か過ぎる隣に一度視線をやれば、珍しく八百万もうつらうつらと頭を揺らしていた。
「肩、いいよ」
「いえ…平気ですわ」
強情だなぁ。それにふっと笑えば、ゆっくりと傾いた八百万の頭が肩に乗った。そしてすーすーと声が聞こえ始める。既に限界だったらしい。少し肩を斜めにし、再度、窓を見る。ガラスにうっすらと緑谷が映っていた。そこでふと、彼がさっきオールマイトと家族に嬉しそうに写真を送っていたことを思い出す。思い返せば合格したクラスメイトは皆家族に報告していた。だが、私には送りたい家族もいなければ知りたがる知人も思いつかない。
「いや…1人いたっけ」
メッセージは添えずに、仮免許の写真だけを赤い羽のアイコンに送りつけた。
―――寮にてーーーー
寮に戻ってすぐにお風呂を浴びた私は、現在、未だ喜び冷めやらぬクラスメイト達と一緒に共有スペースにいた。喜びを分け合おうだとかそう言うわけじゃない。佐糖特性チョコムースを風呂上がりの楽しみにしているためだ。
「ちょっと待っててくれ」との指示通りソファに座って待つ。きっと今頃最後の仕上げであるホイップクリームに取り掛かっているのだろう。そわそわした気持ちで待つ。
「お隣いいですか」
見ればそこには同じく風呂上がりの八百万とまだの芦戸、上鳴がいた。
「なんだか疲れましたわね」
髪に櫛を通す八百万の顔は少し疲労が見えた。
「ジョークさんが相澤先生に結婚しようって言ったのびっくりしたねー」
「なー!緑谷も士傑女子とイイ感じだったしよーー」
「君たち恋愛話好きだネー」
寮生活という閉鎖空間にいると、それぐらいしか新鮮なことが無いから当然かも知れないが。そういえば宇宙船にいた時も航海が長いと話題はやれ「あの男がいい」「あの人と寝た」だのそんな事ばかりだった。会話の内容はまだまだ可愛らしいものだが、似たようなものだなぁ。
そう思っていれば、机に置いてあった携帯が突然、ぶぶぶと揺れた。自然と3人の視線がスマホに向かう。画面に表示された名前は鳥だった。
「とりィーーー???どんな奴だよそれ」
「上鳴はウェイにしてるよ」
「やめろよっ!!!!」
「彼氏?」
「違う」
食いつかれる前に若干食い気味に返し、さっと携帯を取って外に向かう。自室は遠いが、会話を聞かれるのは好きじゃないから仕方ない。
扉を開け、街灯と寮の光だけしかない外に出る。視線を感じて後ろを見ると、窓の向こうで上鳴、芦戸が興味津々な面持ちでこちらを見ていた。それにふっと笑って向こうへ行けと手を払う。それから少し先まで歩いて、周りに誰もいない事を確認してから電話に出た。
『もしもし名前ちゃん?』
「なに?」
聞こえた声はいつもと同じ。だが一瞬、ほんの一瞬、何か違和感を感じた。マイクの向こう側から外の音が微かに聞こえる。それが珍しいからか。何が違うかはっきりとは分からないが。なんとなくそう思った。
『ちょっと声聞きたくなって』
「久しぶりだっけ?」
文字を打つのが面倒であまり返さない私に電話なら、とホークスはこんな風に用事もないのに時折、電話をかけてくる。だから大して久しぶりでもない。頻度も通話時間もバラバラで予想はつかないが、月に数回はある程度には珍しくなかった。
多分、急遽空いた時間や休憩時間にかけてきてるんだろう。一度、普通に休んだ方が良いと助言をしたことがあるが、彼は「今休んでるんです」とヘラヘラ笑うだけで止めようとしなかったから、言うのはやめた。
話の内容はあって無いようなもので、大抵、彼があったことや見たことをペラペラ話しては、私が相槌を打つのを律儀に待っている。無視をするとねーねー、ちゃんと聞いてます?と催促がうるさいのである。だからいつも「ふーん」と返す。端的な返事だというのは自分も自覚があるし、話し甲斐も無いだろうということは分かっている。
時には「名前ちゃんの話が聞きたい」と振ってくることもあるが、私には学校か寮生活ぐらいしか話すことはない。面白くもなんとも無いはずなのに、彼はいつも『うんうん』とどこか満足そうに相槌を打った。
『あー、今の傷ついた。本当は毎日でも聞きたいぐらいなの俺は』
全く傷ついてなさそうな返事と重たさを含んだ言葉。なのに軽さを感じる。芯はあるのに軽くて、集まれば重い、彼の羽とよく似ている。怒ったり不信感を持つことはないが、世間に軽薄そうだと思われているのはこういうところなんだろうなと何となく思った。毎日はやだよ。そう返せば『そうそう』とホークスは話題を変えた。
『さっきの写真見ましたよ。仮免受かったんだね、おめでとうございます。まぁ名前ちゃんなら楽勝だと思ってましたけど』
「ふふ、まぁね」
イナサを思い出し、小さく笑えば声から機嫌を察したらしいホークスが質問を重ねる。
『面白そうな人いたー?』
「大型犬みたいなのとシャチのプロヒーローがいたよ」
『ギャングオルカさんかな?』
「かわいかった」
私がそう言うとホークスはけらけら笑って『かわいいかなぁ?俺の方が可愛くない?』と言った。
『ギャングオルカさんって敵っぽい見た目ランキング3位なんだって』
「へー、なんでだろ。目?」
野生のシャチは分からないが、水族館にいるようなシャチは愛嬌があってかわいいし、海のギャングだなんてあだ名が付く生き物としての強さも気に入っている。ツルツル、ぷにぷにな肌も気になるところだ。次に会う機会があったら触らせて欲しい。私がそう言うとホークスは笑って『ショーでも観に行きましょうか。あの人水族館の館長ですし』といつかの予定を立てた。
『大型犬みたいな人ってのは?』
「シケツの人」
イナサについて話すと『多分懐かれたねぇー』と言ってホークスが笑った。やっぱり何かが違う。さっき感じた違和感が少しずつ形になり始める。
「ホークス」
『なぁに?』
「なんかあった?」
『……どうして?』
「なんとなく」
薄い板の向こうから音が消える。しばらく待っていると、耳を澄ませないと聞こえないほどに小さく押し殺した溜息が一度、聞こえた。
『……しばらく…その、連絡とか出来んようになる。何でかもいつまでかも言えないけど』
何故か、急に錆びついてしまったみたいに心がギシりと軋んだ。体も連動しているみたいに歩いていた足が止まる。彼が私にそんなことを言うのは初めてだった。言葉を詰まらせて、そんな静かな声で。まるで何かあるような。試験の時に考えていた公安のことや死柄木のことが頭をよぎる。そして、彼はヒーローだった。渦中にいるヒーロー。嫌な予感がした。言葉を発しなかったことを不思議に思ったホークスが私の名前を呼ぶ。
『名前ちゃん?』
「…ん?わかった」
止める気は無い。心はまだ軋んでいるし、嫌な予感も無くならないが、詳細なんて聞かない。言いたくないなら言わなくていい。私は自分勝手だから、人の決意を変えようとは思わない。好きに生きた私にその権利はない。ただ、少し、私は学生の身分が憎らしかった。
ホークスは近くにいない。手の届く距離にいれば。相澤の時のように手を貸すことだって出来るのに。彼はどこに行って何をするかも分からない。
『…ごめんね』
「…何が?」
『……』
ホークスは何も言わない。自分がなぜ謝ったのか分からないのかもしれない。それとも、自分が死ぬかもしれないから、とでも思ってるのか。私はヒーローのホークスが、ヒーローとして生きようとしている事が好きだ。矛盾も全部飲み込んで、自分を捨てて、何でもないような顔をして本気で平和を願ってる。平和だなんて無い幻を信じて。
そのために自分が汚れることも受け入れる。弱いのに最高に人間臭くて、無様で、滑稽で、夢見がちで、そして強くて、美しい。
死なせたくないとも思う。誑かして、優しさで溺れさせて、何も分からない内に重荷を全部捨てさせれば彼を止められるかもしれない。でも、それはもうホークスじゃない。ただの人間でしかない。それに、彼自身がその重荷を手放したく無いと思ってるんだから、私は私の自分勝手の中で、彼を手助けするしか無いのだ。
「大丈夫、大丈夫だよ。何かあったら私が行ってあげる」
『……場所も知らないのに?』
「見つけるよ」
『名前ちゃんは強かね。…確かに君はヒーローに向いてる』
「ヒーローはキミでしょ。あと連絡先消しちゃダメだよ」
彼のことだ。きっと連絡先も消して、私との繋がりを無かったことにするはずだ。
『バレてたか…。相変わらず察しがいいね。俺もうすぐ仕事だからそろそろ切るよ』
「うん」
『”じゃあね”』
「”またね”」
あとがき
他人の意見聞かずに自分の意思で好きなことして好き勝手生きてるから、他人の決定を変えさすっていうのはしない主人公。簡単に言うとめちゃめちゃ寛大。
ある意味エゴの塊の人。人の意見変えられないけど、綺麗で強いものは生かしておきたいよね!綺麗なもの大好きだし手伝っちゃろ!私がそうしたいだけって気持ちで動いてる。
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