夜の兎 | ナノ


▼ 5

 
 コスチュームに着替え、会場の一室へと入る。狭いフロアの中は身動きが取れないほど人で溢れていて、彼らの緊張感か高揚感か、部屋はむわっとするほど暑かった。日の光が苦手で、必然的に暑さもあまり得意では無い名前は窮屈かつ多過ぎる人の気配に眉をぐっと寄せた。


「私、人多いの好きじゃない。早く始まんないかな」


「名前ちゃん緊張とかせんの?」


 麗日は「しないかなァ」と答えた名前に驚いた。何処までも通常と変わらない彼女にはその言葉通り少しも緊張した様子が見えないからだだ。自分はあまりの緊張感に手のひらに3度書いた人を飲み込んだ程だったというのに。揺るがない自信に「マイペース…」そう呟いた時、壇上にスーツ姿の男が上がった。


「えー……ではアレ、仮免のヤツをやります。あー…僕ヒーロー公安委員会の目良です。好きな睡眠はノンレム睡眠よろしく。仕事が忙しくてろくに寝れない…!人手が足りてない…!眠たい!そんな信条の下、ご説明させていただきます」


 クマが酷い。どうして地球人はそれほどになるまで仕事が好きなのだろうか。せこせこと動き回るエドの人を見ていて長年、疑問に思っていたのだが、こちらの世界でも地球人の仕事好きは相変わらずらしい。好きなノンレム睡眠を犠牲にしてまで仕事に勤しむ彼を見て、名前は大変そうだな、と他人事のように思った。


「ずばりこの場にいる受験者1540人一斉に勝ち抜けの演習を行ってもらいます。現代はヒーロー飽和社会と言われステイン逮捕以降ヒーローの在り方に疑問を呈する向きも少なくありません。まァ…一個人としては動機がどうあれ命懸けで人助けしている人間に”何も求めるな”は現代社会において無慈悲な話だと思うワケですが…とにかく…対価にしろ義勇にしろ多くのヒーローが救助・敵対時に切磋琢磨してきた結果、事件発生から解決に至るまでの時間は今ヒクくらい迅速になってます。君たちは仮免許を取得しいよいよその激流の中に身を投じる。そのスピードについて行けない者はハッキリ言って厳しい」


「よって試されるはスピード!条件達成者先着100名を通過とします」


「待て待て1540にんだぞ!?5割どころじゃねぇぞ!!?」


 1540人中、100名。例年、5割弱だと言われている合格率を大きく下回る数字に動揺と驚きの声が上がった。それはもちろん、A組も同じである。


「まァ社会で色々あったんで…運がアレだったと思ってアレして下さい」


「マジかよ…!」


「で、その条件というのがコレです」


 目良が取り出したのはバッジのような的とボール。


「受験者はこのターゲットを3つ体の好きな場所。ただし常に晒されている場所に取り付けて下さい。足裏や脇などはダメです。そしてこのボールを6つ携帯します。ターゲットはこのボールが当たった場所のみ発光する仕組みで、3つ発光した時点で脱落とします。3つ目のターゲットを当てた人が倒したこととします。そして2人倒したものから勝ち抜きです。ルールは以上」


 的を各自好きなところに付け、三つ当てられれば脱落。相手の的の三つ目にボールを当て、2人倒せば通過。簡単に言えばボールを当てて、自分のは当てられないようにするだけという単純明快なボール遊びだ。だが意図するところは多分、スピードだけではない。

 チームを組もうがヒーローは基本的には1人。三つ目を当てないといけないという点から考えるに、チームを作った方が成功率は上がるが、通過するには他人のを掠め取ってでも成果を上げる必要があるというのがこの試験の本質なのだろう。よく出来ている、名前がそう思った時、ゴゴゴと轟音がし、会場の天井がゆっくりと開いた。そして街や森、ビル街とさまざまな地形が盛り込まれた試験場が現れる。


「先着で合格なら同校で潰し合いは無い…むしろ手の内を知った仲でチームアップが勝ち筋…!皆!あんまり離れず一塊りで動こう!」


 同校同士でチームを組む人が主なのか、辺りでは複数人が固まり、作戦会議をしているようだった。もちろん、A組も例に漏れず。協調性の高い緑谷が主体となり、クラスメイト達が集まる。だが、名前はスタスタと歩き出すと、当然のようにクラスメイト達の側を通り過ぎた。


「名前さん!?一体どこへ…」


「あーごめん、緑谷。私一人がいいから。周りいると動きにくいし」


 自分へ驚いた顔で手を伸ばす緑谷。誘う気だったのか…。それには悪いが、私は気楽にやらせてもらいたい。自分は足場を崩してしまうし、なにより夜兎はチームプレイが苦手だ。周りを気遣う協調性は元より持ち合わせていないのである。ここにいたら全員に引き留められるだろうな。

 そこからの判断は早かった。名前はシュビッと笑顔で片手を立てると思ってもいなさそうに「悪いね」と言い、背中に投げられる「あ”―ー!!」という名残惜し気な声を振り切ってタッタカターと一団から離れて行った。


「フザけろ。遠足じゃねぇんだよ」


「バッカ待て待て!!」


 同じくタッタカターと走り出す爆豪を追う切島、上鳴。


「俺も大所帯じゃ却って力が発揮できねぇ」


 続いてタッタカターと別方向に走り出す轟。


「じ、自由だ…」


「トップ3が揃って離脱…」


 とはいえ、協力してくれるかと言えば微妙な3人。残ったA組の面々は半ば予想がついていたかのようにぐっと拳を丸め、再度気合を入れた。




 A組から離れ、名前が向かった先は工場地帯と森との間だった。

 理由は辺りに遮蔽物が多く、建物が高過ぎないためにボールから身を守ることもできるし、たとえ遠距離の敵が狙ってきたとしても、この程度の高さなら即応戦できるからである。多対1に利のある地形だ。周りにはすでに大勢の人が集団を成していて、緑谷の言った通り、学校ごとに集まっているようだった。その大半がそっぽを向いて隠しているみたいだが、関心が自分に向いているのが分かる。

 一人を狙っても一人しか受からないんだから、大所帯に大所帯でぶつかって混戦にでも持ち込めば良いのに。その方が格段に勝率は高い。その上でもというのが体育祭で名前や個性が割れているからなのか慣例か。実力試し的な意味合いは確かで、朝に出会ったサワヤカ少年の「胸を借りて」という言葉が名前の頭に思い出される。


『4』


 カウントダウンが始まり、次第に空気がピリつく。


『3』


 そして視線は名前へと集まった。


「まぁなんでもいいけど」


『2』


『1』


「”私が”先に行かせてもらうね」


『START!!!』


 スタートの合図と共に跳躍で空へと飛び上がる。その瞬間、先程まで名前のいた場所に向かって一斉にボールが飛んだ。

 だが、何人かの勘のいいやつと、感知系個性がすぐに標準を変え、上空にいる自分に向けて投げてくる。本来ならば様子見の段階なんだろうが、混戦のこの場で大して必要のないことに時間をかける必要もない。様子見したところで敵はわんさかいるのだから、単騎の私が攻略を考えても仕方がない。私のすることはただ相手の個性が関係なくなるほどの圧倒的な力で勝てばいいだけ。


「上にいるぞ!」


 足に力を入れ、空中を蹴る。押し出された空気は壁となり、ボールに当たって返っていく。玉の速度は早いが、個性によれば受け止められないこともない。ヒーロー志望ならこのくらいきっと造作もないはずだ。だから、ある程度に当たればそれで良い。本命はまた別にある。


 タンッ


「…ッ!?」


 名前は着地と同時にボールの向かった方へと駆けると体格の良い近接系だろう異形型の参加者の背後に回り、顔面の前に手を伸ばした。そして、驚く参加者を差し置いて飛んできたボールを代わりに受け止める。


「ボールもーらい」


「やれ!!」


「あら」


 ヒーローも優しさだけじゃなれないらしい。同校だろう人達は彼を見捨てたのか、その背後にいる私に向かってボールを投げた。参加者の手足を拘束し、バンザイの姿勢に固定したまま盾にする。ボールは彼の全身に降り注ぎ、そして二つの的に光が灯った。救助だとかの対応力は確かにセンパイ達に劣る。1.2年の戦闘経験の差も戦闘経験ゼロのクラスメイト達からは大きい。でも、私は違う。戦闘経験の差も修羅場の数も。こちとら生まれたその時から闘争本能と共にしてるのだ。


「こっちはタマァ取るか取られるかの戦場で、乱戦も混戦も経験してんのよ」


 たかだかボール遊びに躊躇も焦りもしない。


「残念だったね」


 名前は最後の一つに軽くボールを当てるとバク転で後ろへと下がった。そして着地と同時に力を込める。そして地面が割れ、付近にいた近接系だろう参加者が体制を崩した瞬間、傘を振った。その軌道上に風が生まれ、向かってきたボールと共にさらに複数の参加者が吹き飛ぶ。


「か、風切ー」


 消え入るような小声で呟かれたそれ。


「ぎゃぁぁあ」


 羞恥の中、何とか絞り出した技名はそれどころでは無い参加者の耳には聞こえていない。名前は心底、ほっとした。なんせ技名を考えるという行為から恥ずかしく、早く決めてしまいたいという焦りから切島に言われた「風も切れそうだな」という言葉とその日の午後、街で風切りを見たというだけの理由で決めた技名だ。
叫ぶほどの自信などあるわけもない。

 だが、技自体の使い勝手は良く、風圧での攻撃であるため、少数にも乱戦にも使え、その上、近接にも遠距離にも距離問わず対応可能、さらにいえば加減次第で”切る”にも”割る”にもなる。辺りを更地にすることはないし、手加減も自由、勿論手首やら足首やらの角度の変化をつければ大きさを変えることだって出来る。いつもの攻撃に少し工夫を加えただけではあるが、存外、上手くいったなと名前は技の出来にうんうんと頷いた。


「もしかして毎回言うのこれ?」


「よそ見してんじゃねぇよ!!」


 背後から真っ直ぐに突き出された拳の手首を右手で払い、振り返ると同時に左手で相手の胸を叩く。


「ッハ、」


 肺を攻撃されれば誰しも息が詰まる。その辛さを軽減するよう腰を引き、前傾姿勢になったところでさらに相手の首後ろを掴み、気絶程度に地面に押し付けた。すると今度は頭の上を肥大した腕が通り抜ける。名前は地面にめり込む頭に手を置いたまま後ろから真上に上げた踵で腕の主の顎下を蹴った。その勢いを止めずに一回転し、元の体勢へと戻る。そして、すぐさま顔面の高さに投げつけられたボールを大きく開脚して体を地面につけて避け、さらに地面につけた手を軸に脚を回転させながら距離を詰めてきた複数の相手の腹を蹴り上げ、立ち上がった。肩、腰、そして露出した太ももにつけたターゲットに未だ光はない。

 すると、どこからかはは、と乾いた声が聞こえた。


「なんっつー、柔軟性だよ。雄英3位は伊達じゃねぇってか」


『脱落者120名!!一人で120人脱落させて通過した!!』


 そして、流れたアナウンスが1人目の合格者を告げる。


「すご」


「近接は諦めろ!!遠くから狙え!」


 1番に興味はないが、わざわざ時間をかけて個性の海の中で多対1を続けるのも得策ではない。それに大抵、1人でも合格者が出れば後はそう長い時間をかけずに続くものだ。ここらで自分も仕掛けるか。それにしても120人、凄いなぁ。名前は感心しつつも飛び交うボールの嵐の中で、次の手を思案した。


「おっと」


 顔のスレスレを飛ぶボール。この精度はきっと中・遠距離系だろう。だが、誰もかれもがスナイプのように避けた先を予測できる訳ではないらしい。ゆらゆらと体を動かし、攻撃とボールを避けていく。

 目で見えてるものを避けるのは名前にとってさほど難しいことではない。援護を受け、残った近接隊が連携を狙って攻撃するが、不意を突いてくるほどの攻撃はなく、逆に一人、また一人と彼女の手で沈められていく。むしろそれよりも矢継ぎ早に投げ込まれるボールの方が面倒だった。なんせ、近接を倒しても的に当てる暇がない。

 もしかしたらそれも含めての時間稼ぎのつもりだろうか。個人的に恨みを買った覚えはないが…。ボールを受け止め、適当に投げ返す。するとそれは誰かに当たり、その倒れた誰かにまた別の誰かがボールを当てた。


「あらら、見境ないネ。死体撃ちなんて」


 好機を逃さず奪い取る覚悟も必要なのだろうが、ヒーローの高潔さはどこえやら。通過者が出たことによる焦りだろうか。焦りと共にフィールドが過激化する前にとっとと当ててしまおう。そのためにはまず、絶え間なく投げつけられるボールをどうにかしなければ。名前の頭にある考えが浮かぶ。

 ボールが邪魔なら、投げられなくしてしまえばいいのではないか。

 「ふむ」そんな軽い声と共にコンクリート地面に深く腕が刺さる。そして数人の足元が小刻みに揺れ始めた。


「なんだ!?」


 細い腕がぐぐぐと少しずつ引き上げられるの合わせ、ついに地面が浮き上がる。そして、参加者達を乗せたままポーンとちゃぶ台返しのように地面がひっくり返った。


「ギャーーーー!!」


「馬鹿力がッ!!!!」


 慌てて逃げ出す参加者達の隙にそこらに気絶している人の中から既に二つ点灯している人を探す。


「ラッキー、取られてなかった」


 運も実力の内、だよね。と軽くボールを放り投げる。すると三つ目のターゲットがピピっと音を立て、光った。


『…人目が通過しました』


 放送が流れ、そして自分の的も三つ全てが光り始める。だが、未だボール飛び交う会場のからどこへ向かえばいいのか。そう思っていると、的がピピッと音を立てた。


『控室へ』


 便利なものだ。名前は120人落としたという一人目の参加者が気になって、早足にANTEROOMと書かれた標識に従って進んだ。

 
 ウィーーンー…


 自動ドアが開き、中にいた1人と目が合った。それは朝の熱血くんだった。彼の他には誰もおらず、一位通過は疑いようもない。


「お?士傑高の…イナサだっけ」


「そうっす!!!そういうアンタは雄英の人っスね!!!!名前聞いてもイイっスか!!!?」


「名前だよ。キミ、120人脱落させたんだってね。凄いじゃん」


「個性に合った試験だったス!!!!」


「んんん、勢い…」


 何をしたのかが気になって側に近寄れば、彼は椅子を一つ、ガシャンッと勢いよく自分の横に置いて、サササッと丁寧かつ素早い動きで飲み物をくれた。謙虚で、意外と繊細。そして紳士的。思っていたのとは違う挙動に名前は「お?」と感心しながらお礼を言うと、イナサは「お礼なんていいっス!!!」と数メートル離れた人に聞かせるつもりかと思うほどの声量で返した。その勢いに風が立ち、髪が勝手に背中側へと飛ばされる。


「名前さん誰か好きなヒーローとかいるんスか!!?」


「うーん、あんまりヒーロー知らないの。強いて言うならイレイザーヘッドかな」


「アングラの!!!渋いっス!!!」


「いやまぁ担任だし」

 
 「なんか食べるっすか!?」と言われ、首を傾げていると、それを了承の合図と取ったのか、彼はまた風のようにサササッと動いて、机に用意されていた軽食をいくつか皿に取り分け、前へと置いた。欲しいわけではなかったが、選べるようにとの配慮を無碍にするつもりは私には無く、再度ありがとうとお礼を言って一枚のクッキーを取る。彼は「美味いっすか!」と言うと、私が食べているものと同じものを手に取り、一口に食べ切った。いい食べっぷり。

 なんというかこの子…。その時、ふと名前の頭に大型犬が思い浮かんだ。


「なんか甲斐甲斐しいね」


「アンタ、俺にタオルくれたんで!!!!恩は返さないと!」

 
 ああ、と朝のことを思い出す。大雑把に見えて、彼は律儀な性格らしい。


「別にいいのに」


 することもないし、辺りには自分達しかいない。しばらくの間、雑談で時間で潰す。するとちらほらと合格者が現れ始めた。


「俺はうどんが好きッス!!」


「私はパスタ」


 半数を超えたあたりだろうか、見知った顔がチラホラと現れ始める。クラスメイト達は私とイナサが談笑しているのが不思議なのか入室一言目には「なんで!!?」と言っては驚いたような表情を見せた。その度に返事の代わりに軽く手を振り、イナサと会話を続ける。彼が行きつけのうどん屋の話を終え、続いてヒーローについて語り始めた辺りで、私は聞こうと思っていた事を尋ねた。


「なにして120人も?」


「ああ!!個性の旋風っス!!!名前さんの個性は?」


「うーん、無いかなァ」


「凄いっスね!!!!使ってねぇんすか!根性っスか!!!?」


「そんな感じ」


 疑うこともなくそれを信じる素直な彼になんとなく誰かと似たような雰囲気を感じるが、誰だったか。そんなことを考えているとまたウィーン…と扉が開き、またもや見知った顔。紅白の髪、轟が入ってくる。やっときた。落ちる心配はしていなかったが、通過する姿を見ると嬉しくもなる。

 イナサの不思議そうな視線を感じながら軽く手を振ると轟も同じことを考えていたのか、ほっとした顔で少し笑った。


「あれは……」


 イナサの視線が轟に向く。すると突然、彼は表情を変えて、轟をキッと睨みつけた。心当たりがないのか睨まれている側の轟は疑問を浮かべている。見たまま分かる訳アリなその態度。


「轟となんかあった?」


「あったっス!!!正確には親子っス!!」


 少し腰を曲げ、口元を隠すように手を立てた彼は勢いはそのままに、だけど今までとは違い、小さめの声で教えてくれた。その正直な返答につい笑ってしまう。「いいね、正直で」そう言うとイナサは目を丸くして、私と轟を見比べた。


「あんた轟と仲良いんスか…」


「まぁ。トモダチだから」

 

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