夜の兎 | ナノ


▼ 8

 
 爆豪を囲みながら歩き始めて少したった頃。森の木々が風に揺れるのがやけに目に入り、名前はその場で足を止めた。それはこの状況下では悠長とも言える行動だったが、もし人が見ていたならきっとそうすべきだったのだと思うほどには自然な挙動だった。なんせ、それは意識せずとも現れる歴戦ゆえの行動だったのだ。他の4人の足音が少しず、少しずつ離れていく。その時、遥か後方で影のように微かな人の気配が現れた。


「……?」


 森の奥に誰かがいる。その誰かは木々に隠れてこっちを見ている。機を窺っている。振り向いた名前の視界には揺れる木々しか見えない。鮮明には感じ取られないように、そんな位置から見ているのだ。きっと、障子の目も耳も気付かない位置なのだろう。ただ、感覚だけがそこに人がいる事を示し、それが紛れもなく本当にいることを自分に知らせる。


「(来ない……)」


 動きは無い。何かを待っている。機会を待っている。何が機会になるかは分からない。じっと目を凝らし、暗闇から目を逸らさない。それは牽制だった。


「なにし」


 前を歩いていた爆豪が背後の足音が止まったことに気付いたのだろう。振り向く気配を感じたその瞬間、微かにパシュッとサイレンサーのような音が聞こえ、拳大の銃弾のようなものが目前に飛んできた。機会はこれだった。


 受け止めてしまえばいい。


 掴むために咄嗟に前に手を出す。だが、銃弾は手に当たるよりも前に、中から弾けるように破裂した。そして、液体のようなものが大きく離散する。元よりかけることが目的のそれにしまったと思う間も無く、液体は顔や肌に容赦なく付着した。


 ガクンッ


 その瞬間、全身から力が抜けた。


「あ、」


 地面に膝を着くも、なんとか力を込め、耐える。だが、立ち上がれない。動けない。対人間用ではなんの支障も出ない自分をこうまで無力化するもの、人であれば死ぬ量の薬物で自分を狙ったこと。”殺すな”という敵の言葉。狙いはもしかして爆豪だけじゃ。前に知らせなければ、そう思うも言うことの聞かない体は舌すら動かせられず、あうあうと情けない声だけが漏れる。それでも痺れる指に渾身の力を込め、轟の背中に手を伸ばす。だが、前を歩く彼には気付かれない。少しずつ視界が霞み始め、緑谷や障子の背中も見えなくなる。そして一つの気配が増え、二つの気配が消えた。だが、もう開けないほどに重くなった瞼のせいで見ることはできない。

 
 くそ、痺れる舌でなんとか呟く。薄れゆく意識の中、小さく男の声が聞こえた。


「取った」

 
 気付けば、何かの中にいた。


「(ここ、は)」


周囲には薄い膜のようなものが見えるが、自分が今、目を閉じているのか、開いているのかも分からず、判断が出来ない。どのぐらい時間が経った?他の人は?思考は回るのに、体が動かない。まるで体と自分がズレているかのような、そんな感覚がした。


「うぁ……」


 それでもなんとか前に前に手を伸ばす。その瞬間、周りの膜が弾けた。投げ出された体は、真っ直ぐ下に落ち、手から力が抜ける。薄く開いた瞼の向こうで、かろうじて緑谷、轟、障子のようなものが見えた。


「名前!!!」


 轟が手を伸ばしている。辛そうな声を上げて。大丈夫、すぐに。いつしか聞き慣れたトモダチの声に向けて手を上げる。重く、動きの悪い手はブルブルと震えていて、我ながら頼りない。瞼が重い。手足が重い。そう思った時。

 
 ドサッ


 空中に投げ出されたはずの体が下から掬われるように誰かに抱き上げられた。ふわり、と焼けた肉のような匂いが鼻をかすめる。首後ろと膝下にしっかりと回された腕は逃す気は無いと言っているかのようで、否が応でも力の入らない体はその誰かに身を任せてしまう。


「問題なし」


「来んなデク」


 爆豪の声。それを最後に意識が飛んだ。
 




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「おい…起きろ」


 ペチペチと頬に感じる不快な感覚に意識の底から無理やり引き上げられる。不愉快なそれに眉が寄った。


「無理だって…象でも一瞬で落ちるヤツだぞ。普通なら1発でもアウトなシロモノを奮発して2発も使ってんだ。金欠だってのに…。そんだけ打たれりゃ普通は死んでる」


「でも寝てるだけなんだろ?」


「それがおかしいんだよ。一応2発持ってってよかった。想定外だよ想定外」


 聞いたことのない声が一つ、二つ。トカゲの声が一つ。不愉快な声がズキズキと痛む頭に響く。まるで二日酔いみたい。そんなイラつきにゆっくり瞼を上げる。起きたての視界に飛び込んだのはこちらを覗き込む悪趣味な全身タイツの男だった。名前の瞳がぎょろりと動く。男の後ろには女、さっき見たヤツ、シルクハット、そして。ああ、視線を動かすのも億劫だ。見せ物みたいで不愉快。自分が立っているのか寝ているのかも分からない中、手を動かす。だが、動かない。見れば手には大掛かりな手枷が付けてあった。あれ、これ、なんだっけ。なんでだっけ。思い出そうと首を傾げると目の前のタイツの男が驚いたように飛び退いた。


「は!!!?まじかよ!!こいつほんとに人間か!?人間だな!!」


「バケモンだな」


「……うるさい」


 頭が痛い。勝手に話すな。隣には……。見ればそこには爆豪がいた。椅子に座らされ、手枷を付けられている。なんでだっけ。ノロノロと重たい頭を上げ、ぐるりと回す。


 肩を支えに頭を乗せる名前はまるで。


「(見下ろしてるみてぇだな)」


 誰が思ったか、皆が思ったのか。身動きの取れないはずの少女を前に連合の中に少しの緊張が走る。


「ん……なんか、動きが」


 手足の感覚が薄く、頭の中はぐらぐらと揺れ、熱に浮かされたみたいに靄がかかり思考がまとまらない。動いたことで余計に回ってしまったのだろうか。でも、何が。動きにくくて、モヤが鬱陶しい。私、何してたんだっけ。なんでこうなったんだっけ。記憶があいまいでわからない。さっきまでわかっていたことも薄れていく。目の前の奴らって。


「りんかんいって、何だっけ。ばくごうが、」


 ああ、爆豪さらわれたんだっけ。多分、自分も。でも、隣の爆豪はげんきそう。でも捕まってる。なんで?売られる?この子は夜兎だっけ。いや、ニンゲンだ。弱いヨワイ人間。子供はいつかつよくなるのに、ころさせたらもったいないな。じゃあどうしよう。ああそうか、こいつら全員、殺せばいい。簡単だ。殴るだけで頭が飛ぶ。触れるだけ。蹴るだけで動かなくなる。反撃してくれるかな。殺すのはあんまり好きじゃない。汚れるから。戦うほうが好き。楽しいから。そうだ、そうしよう。足に力を込め、ゆっくりと腰を上げる。変な音がして、見ると手を覆う枷からだった。


「ッツヤバいってマジで!こいつはヤバすぎる!殺そう!」


 はは、緑だったトカゲの顔が青くなった。


「死柄木どうする!!!」


 女も、大きな男も、誰も動かない。引き攣った顔がいつくも私を見ていて体がゾクゾクしてくる。ほら、早く。向かって来い。恐怖を超えて。楽しめるかな。楽しみだな。つい、笑顔になる。だって、我慢できないから。すると、あんなにうるさかったのに今度はみんな喋らなくなってしまった。なんで?なんで?近くにいた同じ形の2人の男の頭を試しに足でぽーんと蹴ってみる。もう1人いるが、ちょっと遠い。3人も同じ人間がいるなんて不思議。まだいるかな。もっといるかな。2つの頭がパンッと消えて、人間の頭だったそれが泥のように変化して地面に落ちた。


「あれ?生き物じゃない。ふはっ、なんで?変なの。もっと出してよ」


「夜野、」


 ケラケラケラケラ。面白い面白い。手が空いてたらきっと拍手しているのに。そう思って笑っていると自分のだろう名前を呼ぶ声が聞こえた。そういえば、私は多分、今、そんな名前だった。でも、その名前で呼ばないでほしい。せっかく楽しかったのに。


「あー?」


 一拍の間が空いて、首だけがぐるりと向く。その時、名前は気付いた。


「あれ」


 爆豪が私を見ていた。瞳を揺らし、恐怖を滲ませて。なのに、それが悔しいように眉を顰めて、睨みつけるような顔で。


「(ああ…)」


 ホントに、イイ顔をする。未だに体はしっかり動いてくれないが、それを見た途端、ぼやけていた思考が少し晴れた。そして、半ば無意識に手枷を付けたままの手が上がり、自分の顔面へ拳を打ち込む。鉄の擦れる音を追うようにゴンッと音がして、ポタポタと地面に血が垂れた。痛みなどない。靄のかかる自分の視界の中で唯一、鮮やかなそれを目で追う。赤い、血。これは、私の血。頭から多少なり血が抜けて、思考が落ち着きを取り戻し始める。


「自力で冷静になりやがった。残念だなァ」


 “残念”そう言ってカウンターの椅子に座る死柄木が笑う。ここでもし殺していたら、自分はその時点でアッチ側になる。それを狙ってか、違うのか。図らずとも乗せられたことに苛立つ。


「……爆豪、怪我してない?」


「あ、ああ」


 ちらりと爆豪を見る。その言葉通り、見たところ怪我は見られない。


「君、何人殺した?」


 死柄木がそう言った。何人…?何人だろう。敵は全て、かなぁ。数えられるような程ではないし、そんなもの覚えてもいない。だが教えてやる義理はない。答えない名前に死柄木は嬉しそうに笑った。その答えだけで十分だったのだ。


「…ダンマリか。ほんとにヒーロー志望?平和なんて望んでないんだろ君は。こっちに来いよ」


「まぁね」


 死柄木の言葉は間違ってない。私は戦うのが好きで、自分がしたいことをして、自分のしたいように生きていたいだけだから。気に食わないものは潰して、進む。それが偶然ヒーローの仕事と合っていただけ。面倒ごとが少なそうだっただけ。ホークスやオールマイトみたいに決して本気で平和を望んではいない。


「じゃあ何でヒーローやってる」


「私はヒーローじゃないよ。ただ戦うのが好きなの」


 ヒーロー殺しの意思を継いだと言うあのトカゲ男が眉を顰めた。素直なその反応が面白くてつい、くくっと笑う。感化されただけのお前がそう不機嫌な顔をするんじゃない。すると、笑われたことに気付いたトカゲ男が顔を歪めた。


「それにヒーローは綺麗だから」


 他人を助けたい、守りたいなんて烏滸がましい。救いたいだなんて最大のエゴだ。自分に余裕のあるやつのする偽善行為だとすら思う。でもそれに自分の命を賭ける人がいる。美しいと、素直にそう思う。信念が、熱意が、決意が、存在が、美しい。私はそれが見たい。泥だらけ、血だらけになっても食らいつくものが見たい。私の原動力は利己的なものでしかないから。


「ここにあんた達の大ボスはいないみたいだね」


 ゆっくりと見回すが、らしき人物は見当たらない。手足の顔ばかり。


「…こいつはそのままにしてるとやばい。荼毘、足一本やっとけ」


 死柄木の指示に「ああ」と返事をした火傷男に雑に背中を押され、床に転がされる。爆豪もいる手前、抵抗せずにいると背中に乗った火傷男が足に触れた。ゴキッと鈍い音が鳴る。


「ああ、痛い。痛いなぁ」


 そんなことで安心できる彼らが滑稽でくすくすと笑う。


「…こいつ笑ってるぞ」


 だが、ムカつくものはムカつくわけで。仕返しにそいつの足の脛を蹴る。ゴキッ、同じような鈍い音が鳴った。薬が効いてるから大して動けないと思ったのかもしれないが、油断しすぎ。


「お揃いだね」


 そう言えば、火傷男はニヤァと笑い、首にゆっくりと手を伸ばした。気管を締め上げられ、息が詰まる。瞬間、ふわ、と焦げたような匂いがして、こいつが森に火をつけた犯人であり、自分をここまで運んできた人物だということがわかった。こいつが。そう思ううち少しずつ首元が熱くなる。さすがに燃やされたくはない。


 未だ動きの鈍い足で床板を踏む。作りの脆い床はシーソーのように簡単に持ち上がり、首に伸びるそいつの腕を弾いた。火傷男の手が離れ、ボロい椅子に再度腰を下ろす。


「勧誘でしょ?仲間になるかもしれない奴燃やそうとしちゃダメだよ」


「まァ、確かにな」


 そう言ってカウンターに座る死柄木がテレビを着ける。視線を向けると相澤先生が似合わないスーツを着て記者会見に応じている姿が映し出された。


『謹んでお詫び申し上げます。まことに申し訳ございませんでした』


 何の非もない先生が頭を下げている。なぜ。不思議に思っていると貴社の一人が立ち上がった。


『雄英高校は今年に入って4回生徒が敵と接触していますが今回生徒に被害が出るまでか各ご家庭にはどのような説明をされていたのか又具体的にどのような対策を行ってきたのかお聞かせください』


 記者の1人がそんな質問を投げかけた。ワザと先生の口から言わせようと。不愉快だ。心底。それを求める大衆も民衆も世論も。この時代、この世界では何故かその影響が大きく、そして簡単に染まる。放っておけばいい、そう思うが、地球ではそうはいかないのだろう。そんなものに彼らが責められる筋合いも必要もないというのに。チッと舌打ちをすると嬉しそうに死柄木が腕を広げ、話し始めた。


「何故ヒーローが責められている!?奴らは少―し対応がズレてただけだ!守るのが仕事だから?誰にだってミスの一つや二つある!「おまえらは完璧でいろ」って!?現代ヒーローってのは堅っ苦しいなァ」


「守るという行為に対価が発生した時点でヒーローはヒーローでなくなった。これがステインのご教示!!人の命を金や自己顕示に変換する異様。それをルールでギチギチと守る社会。敗北者を励ますどころか責め立てる国民。俺たちの戦いは「問い」ヒーローとは正義とは何か。この社会が本当に正しいのか、一人一人に考えてもらう!俺たちは勝つつもりだ」


「君らも勝つのは好きだろ。荼毘拘束外せ」


 死柄木は火傷の男を荼毘と呼び、爆豪を指差した。


「は?暴れるぞこいつ」


「いいんだよ。対等に扱わなきゃなスカウトだもの。それに、この状況で暴れて勝てるかどうかわからないような男じゃないだろ?雄英生」

 
 嫌がる荼毘に押し付けられ、トゥワイスと呼ばれた男が爆豪の拘束を外す。三つの顔のうちの一つだから、こいつが分身体を出せるのだろう。いやいやでも外そうとするに、気が弱いのか、優しいのか。難儀だな。素直に名前はそう思った。

 個性社会を未だに深くは理解していないが、その個性の都合上、社会からあぶれるやつらが結構いるのだろう。人間は等しく同じ人間だと言うのに、彼はそこに区別をつけたがる。だからこそ、死柄木の実際には思っていなさそうな大袈裟な演説も人によれば指標になるのだろう。悪もこざかしく、そして複雑になったものだなぁ、と思う。私はただ自由にしたいことをした結果、そうなっていた。多少、若気の至りも否めないが、欲しいものを欲しいだけ求めた先のことだっただけだになんだか興味深い。


「なぁ?」


 爆豪が何もしないと踏んで死柄木が近づく。


 Boom


 その瞬間、爆豪の爆破が死柄木の顔についていた手を払った。その反撃の合図に合わせて腕に力を込める。


 ガシャンッ


 腕全体を覆うやたらとゴツい拘束具がゴトンッと思い音を立てて床に落ちる。それと同時に身軽になる両手。


「黙って聞いてりゃダラッダラよォ…!馬鹿は要約出来ねーから話が長ぇ!要は「嫌がらせしてぇから仲間になって下さい」だろ!?無駄だよ。俺はオールマイトが勝つ姿に憧れた。誰が何言ってこようがそこァもう曲がらねぇ」


 目星をつけた相手が悪かった。爆豪の啖呵に名前は「ははっ」と笑った。


「ザンネン。アンタたちの予想よりも爆豪は頑固だったみたいだネ。私は報酬と……仕事内容次第かなァ」
 

「オマエは揺れてんじゃねぇ!」



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