夜の兎 | ナノ


▼ 1

 
 爆豪と仲直りできたのかは分からずじまいのままあれから2日が経ち、何事もなかったかのように学校生活は始まった。そんな今日の天気は雨。


「いい天気」


 太陽に気を使わなくて済むから、雨は好き。電車を待つ道すがら閉じた番傘から雨水が垂れるのが見え、軽く振ってみる。雨水の線がいくつも地面に走って落ちていった。

 ホークスはあれからすぐに博多へと帰ってしまった。最後まで何度も頭を下げて。でも、そもそも私は怒っていない。強いて言うなら少し悲しかった…というくらいで。

 でも、彼はヒーローだから。仕方がない。だって、その気持ちは考えれば簡単に理解できる。危険なやつは野放しにしておきたくはないのだ。それに言われた私よりも傷付いた顔をするホークスを思い出すと、なんだか怒る気にはならなかった。

 私も丸くなったなぁ。そんなことを考え、ホームで電車を待つ。


「あの〜」


 あと5分か。そう思っていると、誰かに声を掛けられた。振り向けば、見知らぬ男子生徒が立っている。知り合いでは無い、はず。

 他人の顔をあまり覚える気のない名前に自信はないが、着ている制服にも見覚えが無いため、そうだろうと考えた。


「何?」


「夜野さんですか?」


「うん」


 そう返事をすれば、その男子生徒はキラキラした笑顔で「握手して下さい!」と出してもいない手を掴んできた。それに驚いて少し力を入れれば、彼は「あ”あ」と痛そうに唸り声をあげる。折れたのかとすぐに手を離すと彼はまじまじと己の手を見つめていた。


「急にはダメ」


「すいません…」


 そして真っ赤に腫れた手を見て一言。


「新しいタイプの…ファンサや…」


 ニッチである。感動したように目元に手をやり、涙を流す男子生徒。すると、そんな男子学生の挙動に気付いた周囲の人々も名前に気づき始めた。そして、ワッ!と集まりだす。


「ええ!?あの雄英の!」


「夜野ちゃん!?ホントに肌白いんだ!私もー!」


「めっちゃ美人……」


「凄かった!キックとか!パンチも!!」


 通勤途中の女の人、男の人、おじさん、おばさん、子供までさまざまな人が集まり、同じように並び始める。そして一人ずつ片手を出した。


「「「「握手して下さい!!!」」」」




「…っていうのが私の遅刻理由デス」


「馬鹿か」


 スパーンッと相澤の布ではたかれる。痛くはないが、納得はいかない。むすーっという顔を隠さずに席に着いた名前を見て、相澤は一度はぁ、とため息を吐くと、中断していたホームルームの続きを話し始めた。


「で、その指名の集計結果がこうだ。例年はもっとバラけるんだが、三人に注目が偏った」


 教卓に付いた電子黒板の操作板に触れる。すると上からずらりと生徒の名前、数字の並ぶグラフが落ちるように表示された。その中でも特に目立つ横3本線。


 轟4123 夜野3563 爆豪3556


「だーーー白黒ついた!」


「見る目ないよねプロ」


「順位逆転してんじゃん」


 悔しがる切島、青山に続き、耳郎が言う。すると、瀬呂が「確かに」と頷いた。


「表彰台で拘束された奴とかビビるもんな…」


「ビビってんじゃねーよプロが!!つかああああん!!!!?何で怪力女の方が上なんだよッ!!!?」


 瀬呂の言葉に額に青筋を立てた爆豪がなんでダァ!!と後ろを振り返る。とんでもない角度で釣り上げられた目に睨みつけられ、名前は猫のように瞳を丸くした。だが、すぐにニンマリと笑顔を浮かべ、ぐっと親指を立てる。なんの意味だよそれは!と言わんばかり、「ああ!?」と凄む爆豪に名前は続けて「大丈夫だ」と言った。


「何がだよ!!!」


「あんたプライドの高さでは一番だヨ」


 本気で褒めているのか揶揄っているのか疑問なほどいい笑顔でサムズアップする名前に周囲の生徒達は「怖いもの知らずか…?」と戦慄した。だが、そんな名前はすぐに我慢ならないようにけらけら笑い出す。これ、半分以上は揶揄いだな。もちろん、爆豪もすぐにそれに気付き、椅子に足を掛けるように立ち上がり、「コロス!!!!!」と吠えた。


「抑えろ!」


 目を吊り上げ、歯を剥き出しに怒る爆豪を瀬呂がなんとか抑えるが、呑気にも名前はそれを気にも留めず、後ろを振り向いた八百万とにこやかに談笑を始めた。


「話は終わってねぇんだよ!!!こっち向けや!!」


「煽るだけ煽って放置すんな名前!」


 火を吹く勢いの爆豪とそれを抑える男子生徒達を背景にどこか落ち込んだ様子の八百万に目を向ける。


「流石ですわ夜野さん、轟さん」


「ありがとー」


「ほとんど親の話題ありきだろ…」


 轟はそう言った。正直なのか、嫌味なのか、ただ素直には喜べないのか、轟をよく知らない名前には分からないが、票という数字として直接的に現れている状況では謙遜も良くは聞こえないということは分かる。特に同じ推薦入試生ならば。八百万の暗い表情が目に入る。


「これを踏まえ……指名の有無関係なくいわゆる職業体験ってのに行ってもらう。お前らは一足先に経験してしまったがプロの活動を実際に体験して、より実りある訓練をしようってこった」


「それでヒーロー名か!」


「まぁ仮ではあるが適当なもんは…「付けたら地獄を見ちゃうよ!!」」


 相澤に被せるよう、現れたのはミッドナイト。相変わらず際どいコスチュームに身を包んでいて、途端に峰田の目が輝く。


「この時の名が!世に認知されそのままプロ名になってる人多いからね!!」


「まァそういうことだ。その辺のセンスをミッドナイトさんに査定してもらう。俺はそういうのできん。将来、自分がどうなるのか名を付けることでイメージが固まりそこに近付いていく。それが「名は体を表す」ってことだ。”オールマイト”とかな」


 とか何とか言っているが、名前は知っていた。相澤のヒーロー名はプレゼントマイクの思い付きであることを。


 ――15分後――


 各々が小さなホワイトボードにペンを走らせる。そして、ミッドナイトがピシャンと鞭を振った。


「じゃ、そろそろ。出来た人から発表してね!」


「(発表形式かよ!!?)」


「(えーーこれはなかなか度胸が…!)」


 コツコツコツコツ、ボードにペン先を当てる音がアイデアが湧き出るまでの時間を表している。目の前にある名前のボードは美しいほどに真っ白だった。どうしたもんか…。

 そんな中、一人の生徒が手を挙げる。青山だった。


「行くよ。輝きヒーロー”I can not stop twinkling “」


「短文!!!」 


「そこはIを取ってcan’tにした方が呼びやすい」


「それねマドモアゼル」


 真面目に添削され、下がった青山。そして次に芦戸が手を挙げる。


「じゃあ次アタシね!エイリアンクイーン!!」


「2!!血が強酸性のアレを目指してるの!?やめときな!!」


「ちぇー」


 何だか方向性がおかしくなってきたが、未だボケすらも出てこない。コツコツコツコツ。ペン先が少し潰れ、ボードに書かれた点も大きくなる。


「じゃあ次、私いいかしら」


「梅雨ちゃん!!」


「小学生の時から決めてたの。フロッピー」


「カワイイ!!親しみやすくて良いわ!!皆から愛されるお手本のようなネーミングね!」


 流れていた大喜利の空気が変わり、途端、フロッピーコールが起こる。ファーストペンギンならぬファーストフロッグ。すると、クラスメイト達は元々、ある程度は考えていたのか、そこからはトントン拍子に発表が進み始めた。


「ウラビティ!!」「クリエティ」「テールマン」「チャージズマ」と各々の特徴を入れたヒーロー名が次々に挙がる。だが、ヒーローにあまり馴染みのない名前は考えたことなどない上に、思い付きもしない。


「名は体を表す」自分とは何か、何者なのか。それは最も大切で、きっとそれがヒーローたらしめるのだろう。名前はある言葉をそこに書き殴った。


「ヤト」


「うんうん。良いわね!何かは分からないけど可愛いわ!」


 語感が良かったからなのか、特にミッドナイトに指摘はされず、こうしてヒーロー名は決定した。


「職場体験は一週間。肝心の職場だが指名のあった者は個別にリストを渡すからその中から自分で選択しろ。指名のなかった者は予めこちらからオファーした全国の受け入れ可の事務所40件。この中から選んでもらう。それぞれ活動地域や得意なジャンルが異なる。よく考えて選べよ。今週末までに提出しろよ」


「あと二日しかねーの!?」


 各々に渡される指名の書かれた紙の束。中にはヒーローの名と事務所の名前、そして地域が書かれてある。千を超える名の乗った名前や轟、爆豪の紙はもはや辞書のように分厚い。


「2日じゃむりネ」


 むしろ、これだけの数、考える方が選べない。それに、どこもよく分からないし。早々に真面目に考えることを諦め、紙束を持ち上げ、パラパラと落としていく。


 ピラッ


「……」


 数多くあるヒーローの名の中、見覚えのある名前が目に止まった。ヒーロー名『ホークス』。ヒーローに向いていない、なんて言って辞めさせようとしてた彼の名前だ。詫びのつもりなのか、ただ目の届く範囲にいさせたいのか。バカだなぁ、さらりと文字を指で撫でる。すると丁度、隣を歩いていた常闇が興味深そうに足を止めた。


「夜野もそこにするのか」


 呼ばれた名。聞き覚えの無いそれに一瞬、反応が遅れる。そして、すぐに自分を呼んだことに気が付いた。種族間の違いはあれど、人間とは違い、苗字を持たない種族であった自分にはいつまで経っても馴染みがないソレ。まるで全く違うヒトが呼ばれているような、そんな気がするのだ。


「あー、ごめん。名前で呼んでくれる?苗字は呼ばれ慣れてなくてさ」


「そうか。すまなかった」


「もってことは君はここにしたんだ」


「お前は行かないのか」


 驚いたような彼の顔。No.3の事務所を蹴るとは、と思っているのだろう。きっとホークスも選ばないとは思っていない筈だ。


「ふふ、行かない。私、意地悪だから」


 でも、だからこそ行かない。驚く顔が見れないのは残念だが、代わりに常闇に伝言を頼み、渡された紙に名前を書く。一枚目の紙の、なんとなく聞き覚えがある事務所。ここがいい。きっとこれは良い選択になる。漠然とだが、そんな予感がした。


 そうして訪れた職業体験、初日


「コスチューム持ったな。本来なら公共の場じゃ着用厳禁の身だ。落としたりするなよ」


「はーい」


「伸ばすな「はい」だ芦戸。くれぐれも失礼のないように!じゃあ行け」


 コスチュームの入ったアタッシュケースを手に、各々がホームへと向かう。始めは複数いた生徒達も少しずつ分かれ、ホームに着く頃には残ったのは2人だけだった。


「轟…?」


 そのまま同じホームへ向かうエスカレーターに乗り、たどり着いたホームで、同じ側に立つ。乗り場まで同じなのか。そう不思議に思いながらも、特に話すことなど無く、ただ電車を待つ。名前は無言を苦痛と思うタイプでは無かった。

 到着した電車に乗り込み、わざわざ離れるのもなんだしな、とボックス席の向かいに座る。そして端末をポケットから抜き取り、それから本日、2度目の腹拵えに買っておいたおやつを取り出す。


「なぁ」


 声の方に顔を向ける。それは今までずっと黙っていた轟の物だった。そのタイミングに名前はピンとくる。欲しいのかな。取り出したばかりのお菓子の箱をそっと差し出す。だが、轟はその善意に首を振ると、真っ直ぐに名前を見つめた。


「いや、いらねぇ。お前、どこの事務所だ」


「エンデヴァー?ってとこ」


「……一緒じゃねぇか」


 一緒ならそりゃあ同じ電車に乗るだろうな。名前はもう一度、おやつを差し出した。「いらねぇ」と再度断りを入れる轟。


「どういう人?」


 その言葉に轟が驚いた顔をする。そこでふと思い出した。名前に聞き覚えがあったのはホークスがエンデヴァーの名を出したことがあったからだ。なにやら興奮した様子だったが、話は流していたために全く覚えていない。


「俺の親父だ」
 

 ああ、と体育祭の時を思い出す。あの人か。そして、「ふーん」と返して話は終わり。

 轟はそのあっさりとした反応に少し拍子抜けした。「すごい」や「どんな人?」とエンデヴァーありきでの自分の話か、No.2のことばかり聞かれると思ったから。そんな轟の予想と反して、深掘りする気の無い名前は表情にあまり出ずとも、どこか驚いた様子の轟の顔を見て、もう一度、おやつを差し出した。轟は今度は断らずに、渋々といった様子でそれを受け取った。


「お前って意外と押しが強いんだな」


「そういうキミは意外と押しに弱いみたいだネ」


 そう言えば、轟は「弱いか?」とさも不思議そうに呟いた。そしてまた沈黙が生まれる。だが、今度のそれは極、短い時間だった。


「なぁ」


 さっきと同じ呼びかけに窓を向いて答える。


「なに?」


「俺も名前って呼んでいいか」


「いいよ」


 それから轟は目的地のホームに着くまでの間、時たま、名前の名を呼び、当たり障りの無い会話を振った。互いにそれほど饒舌でも無いために、会話の数はそう多くは無かったが、天然気質なのか、時折とんちきなことを言う轟との会話は名前にとってそれほどつまらなくも、飽きるものでも無かった。むしろ、なんだか楽しくなりそうな予感がした。


「来たか焦凍ォォォォオオ」


 炎の髭を生やし、己を燃やしながらそう叫ぶ男。彼こそがこの事務所の代表であり、No.2ヒーロー、エンデヴァーである。もちろん、2人を指名したのも彼だ。そのはずだが、その視線は息子である轟にしか向いていない。そしてその轟もエンデヴァーを睨みつけている。2人の間で視線を動かす名前のことはどちらの眼中にも入っていないらしい。


「バチバチしてる」


 完全に蚊帳の外にも関わらず呑気な名前を見かね、エンデヴァーの隣に並んでいたサイドキックは彼女に向け、「ようこそエンデヴァー事務所へ」と言った。そして、立ち話もなんだし、あの2人長そうだし、とソファに誘導され、目の前に「粗茶です」とお茶が出される。それを一口啜り、熱さにほっと息を吐けば上から大きな影が落ちた。


「君が夜野か」


 見上げれば、鋭い視線でこちらを見下ろすエンデヴァーと目が合う。


「敵はヒーローになれん。肝に銘じておけ。俺が貴様を見極めてやろう」


「オマエ、」


 体育祭のことを言ってるのだろう。その言い方からは敵と同等の認識をしていることが分かる。普通なら怒るところなのだろうが、名前は特に反論をしなかった。だが、それを見過ごせない人もいる。エンデヴァーがそう言った瞬間、隣に座ったばかりの轟が突然、勢いよく立ち上がった。
 
 そして、怒ったようにエンデヴァーを鋭く睨みつける。名前はそれに驚きながらも、彼の手にちょんと触れ、引いた。


「どーぞお好きに」


 エンデヴァーはそんな名前にそれ以上何かを言うことは無かった。息子の手前だろうか。そして何事もなかったかのようにサイドキック達へとテキパキと指示を出し始める。


「前例通りなら保須に再びヒーロー殺しが現れる。しばし保須に出張し活動する!!市に連絡しろぉ!!」


「名前」


「大丈夫。それにあの人の言葉は正論だった」


 ろくに話したこともないクラスメイトが敵と言われたことで怒るなんて。何か言いたげな轟がエンデヴァーの代わりに謝罪を言う前に言葉を挟む。


「優しいねトドロキって。ほら、私達も着替えよ。置いてかれるヨ」


 名前はそう言うと何も言わない轟の手を取って歩き出した。
  

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