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[第一種目:50m走]
『7:02』
「ハァ、ハァ…」
中高生にしては速い方だが、すごく速いというわけでもない。なんとも言えないタイム。どうしよう。どうすればいい。緑谷は焦っていた。きっとクラスメイト達は個性を活かして普通では出ないような記録を打ち立てるだろう。自分も一つは出さなければいけない。でなければ除籍処分だ。だが、自分は個性の調整が出来ない。一度でも使えば体が壊れ、動けなくなってしまう。調整しなければ、出来なければ、せっかく雄英に入れたんだから。
「凄い顔、緊張してる?」
「えっ、」
なんとかするしかない…!そんな決意と焦りの中、誰かが声をかけてきた。大きな影が自分にかかる。顔を上げると、番傘を背にしたあの女子生徒がそこにいた。目を細めながら自分を見下ろしている。赤い目だった。色が濃いのか影の中にいると少し黒っぽくも見える。きっと日の下だともっと赤く、綺麗なんだろう。緑谷はそれを見て、そんなことを考えた。
「どうしたの?」
呆けている緑谷にぐっと顔を近づける女子生徒。近くなった距離に緑谷は慌てて一歩下がった。すぐに気を悪くさせたかもと思ったが、相手は少しも気にした素振りを見せずに開いた距離の分、一歩前に出た。ぐいぐい来る…!と無意識のうちに壁を作る両手。
「ん!?う、ううん、なんでもないんだけど、その、」
「その?」
「目が、綺麗だなって」
「ありがとう」
女子生徒は過剰に喜ぶわけでも謙遜するわけでも無く、少しだけ笑ってさらりとお礼を言った。まるで落とし物でも拾ってもらった程度のお礼だ。言われて驚きはないのだろう。その様子と、さっきの「楽しそう」発言に先生の言うとおり、自信家なのだろうかと思った。だが驕っているようにも、自信過剰というようにも見えない。ただただ、普通だ。それが燦然たる事実のような。目の前の人にとっては、どれも気にするほどの話じゃないのだろうか。除籍処分も、と考えると自信家というよりはやはり肝が座っているように思う。なんにせよ大物になりそうな気がする!と緑谷は思った。
「ど、どうして僕に?」
「大丈夫ばない君、変な顔してたから」
「大丈夫ばない君!?」
朝の事だろう。少し恥ずかしいが、あだ名って友達っぽい!と少し感動する。幼馴染にもあだ名、というか蔑称で呼ばれているが、それとはまた違った感じだ。
「へ、変な顔…かぁ、それってどんな…」
「どうしようって顔」
それなら身に覚えがある。思い返した途端、また次の種目への焦りがでてきた。
「あ、ああ…そうだ。次の種目は握力。なんとかしなきゃ、でもどうやって。マラソンとかじゃ使えないし…次でやらなきゃ」
急に饒舌になった緑谷を見て、女子生徒は笑った。
「なんでそんなに焦ってるの?」
「そ、その、僕の個性は0か100なんだ。だから、」
「調整できないんだ」
「うん…。最下位は除籍だし…」
「なると思ってるの?」
「えっ、いや、なりたくはないよ…、でも、今のままじゃ…」
「なんかこれから大変そうだね」
興味なさそうに返事をする女子生徒。話を切り上げたくて言ったようにも感じる言葉だったが、緑谷はなんとなくそうは思わなかった。残った種目に対して言っているように聞こえなかったからか、目の前の最下位候補に嬉しそうにしたり、心配そうにしなかったからかは分からないが。緑谷にとってはその”これから”が今日の、その先を感じさせる言葉に聞こえた。
「そういえば、自己紹介してなかった。私、名前」
「苗字は…?」
初対面で下の名前を呼べるほどコミュニケーション能力は高くないし、勇気もない。恐る恐る苗字を聞くと、名前は「苗字は夜野だけど、呼ばれ慣れてないから名前でいいよ」と答えた。これで完全に名前で呼ぶしかなくなってしまった。
「ぐ、夜野さっ、名前さん。僕は緑谷。緑谷出久」
呼び慣れていないのが現れている。女の子の名前を呼ぶ機会なんて今まで無かったものだから恥ずかしい。顔に熱がたまる。名前は不思議そうに自分を見つめていた。
「よろしく」
「う、うん。よろしくね」
『位置について。よーい』
計測マシンが次のスタートを告げる。名前の視線が走る峰田と八百万へと移った。
「50m走ってただ走るだけなんだね」
「そう、だね?」
あまり知らないようなその言い方に引っかかる。50m走なんて小学校からある筈だけど。周囲もそう感じたのか近くにいた何人かの生徒が「どしたーどしたー」と集まってきた。
「もしかして、やったことない?」
「うん」
「ウッソォ!?50m走したことない人とかいるんだ!」
「中学のとき体力測定とか無かったん?」
「あったと思うけどやったことない」
「「「ええええええ!!」」」
「なんでなんで!?」
「させてくれなかったの。体が弱いらしいから」
言い方が気になるが、お医者さんか先生にそう言われたのかもしれない。細い手足に白い肌からは儚さそうな印象を感じるため、体が弱いというのにも納得だが、それならどうやってあの入試を超えてきたんだろうか。パワー系では無さそうだし、体が弱いということなら近接系でもなさそうだ。強力な個性なのかな。事情によっては激しい運動がダメな人もいるだろうが、ヒーローをやっていくならそれでは厳しい。大丈夫なんだろうか、と緑谷は心配そうに名前を見つめた。
「そんなんでヒーローやれんのかよ」
幼馴染がそう言う。言葉は違えど、同じようなことを思っていたためドキッとした。
「多分?マシーンでならしたことあるし」
ヒーローと比べる運動量ではない気がするが、名前は大丈夫大丈夫と軽く手を振りながらスタート位置へと歩きだした。
「次、夜野。ハァ…21人か、合理的じゃねぇな」
最後の1人だ。2ずつ走っていたため、必然的に彼女は1人で走ることになる。そんな彼女が片足を軽く後ろに下げ、ふぅと息を吐いたのを見て、緑谷はさらに不安になった。体が弱いって…、本当に大丈夫かな…。
「オイ、それ持ったまますんのか」
差されたままの傘を指さす相澤。
「え?だめ?それは困る」
「タメ口!!!」
肝っ玉の大きいやつだ!とクラスの誰かが言う。
「舐めてんのか」
片手を使わずに走ろうとする名前に相澤は眉を寄せた。本気でやるつもりがないのか、と鋭く細められた目が問うている。
「舐めてはない」
「ならいい」
「(いいんだ!!?)」
相澤としては問答がめんどくさくなっただけなのだが、周囲は「じょ、除籍…」「大丈夫か…?」と心配そうな言葉を溢す。名前はそんな視線を一身に受けながら真っ直ぐ前を見つめていた。未だ個性を発動させる気配はない。
『位置について。よーい」
容赦無くスタートの合図が鳴る。瞬間、発砲音と共にダンッと力強い蹴り出し音が聞こえ、風が起こった。
「うおっ」
地面から少し浮いた名前の体が数m先まで飛ぶ。文字通りの一っ飛び。
「バネみたいな個性か?」
皆がそう思った時、名前は着地点で軽い音を立てて地面に足を着け、前傾姿勢になると、もう片方の足を前に出した。足を上げ、地面を蹴り、また足を上げて地面を蹴る。どう見ても普通の走りである。だが、速い。後ろに風を巻き上げ、走る姿から生徒たちは名前の個性がバネじゃない事を理解した。
「違うっぽいな」
緑谷はそれを見ながらあんぐりと口を開けていた。脚が変形しているようにも見えないし、異形系でもない。それに手から何かを出しているようにも見えない。多分だが、見た目から無いだろうと思っていた系統の個性だろう。
「パワー系か?」
「意外だな」
『3秒44』
ゴールラインを超え、緑谷に近づいてくる名前は少しも息が乱れていない。未だ全力では無いのだろう。全然、虚弱じゃない…!緑谷は自分と同じく見た目に騙されただろう人に同意しながら、あの自信はやっぱり実力ありきだったんだと目の前のエリートを見て思った。
「次は握力だって」
さっさと50メートル走を終わらせた名前が戻ってくる。そんなパワーがあるんじゃ除籍の心配なんてない筈だ。緑谷は自分が最下位候補から一切脱していない事を感じ、肩を落とした。
「体育館い」
こ、と続くだろうまさかの提案に勢いよく顔を上げる。だが、緑谷はそこで名前が最後まで言っていないことに気づいた。
「い、い、い、一緒に?!…あれ」
「速かったな!なーにが体弱いだよ!」
「あんたパワー系なんだ。楽勝じゃん」
「もう見えない!!!」
一瞬、目を離しただけだというのに彼女は既にクラスメイト達に囲まれていた。きっともう自分の声なんて聞こえないだろう。初めから目立っていた彼女だ。さっきの走りを見て皆さらに興味が湧いたに違いない。自分だってその立場なら話してみたくなる。
「さすが、雄英だ…」
入学したてなのに既にヒーローっぽい。緑谷は一緒に行くことを諦め、1人で体育館へと向かった。
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