夜の兎 | ナノ


▼ 5

 文化祭当日AM8:45


 練習に練習を重ね、迎えた当日。忙しない毎日は「やっとか」では無く「もう本番か」であり、当日の朝だというのにも関わらずA組は未だに準備に奔走していた。


「こういう服って初めて」


 裾の広がった短めなスカートにドロワーズ、ショート丈のジャケットにタイツ、そしてそれと同じような素材の肌着というこの衣装は普段チャイナドレスで過ごしている名前にとっては真新しい。だが、可愛いとは思うものの、手鏡に写る自身の姿はどこか子供っぽく、物足りない。


「―――、―――」


 何度も聴いて、何度も練習した今日の曲を口ずさみながら、名前はネクタイに指をかけ、緩めた。ほんの少し胸元が開く。これならいい。そうして、うんうん、と満足気に頷く彼女を「ちょっと来てくれ」と轟が呼んだ。


「演出の確認しとくぞ」


 他のダンス隊が練習する中、次は演出の最終確認を。そしてそれが終われば次は体育館へ。前半に演出隊、後半にパフォーマンス隊として出る予定の名前はダンス隊とは違うことをする予定のため、練習に参加しなくとも問題はない。むしろ準備のためにパワーを頼りに機材の移動要員としての仕事を頼まれていた。


「ほいっと」


 軽い調子の声と共にダンボールの箱が空中に上がる。それは丁度、片手に既に持っていたダンボール上に着地した。そして、ふふん、と得意気に鼻を鳴らすと、次に床に置いてある別のダンボールの下に足を差し込み、蹴り上げ、その上へと重ねた。見ていた轟が「すげェな」と感心したような声を出す。そんな彼の手にもダンボールが二つ重なっていた。とはいえ、まだ運ぶものは沢山ある。

 もう1人ぐらい力自慢が欲しいところだが。障子か、緑谷か、そう思った轟は辺りをキョロキョロと見回した。


「緑谷いねェな。どこ行ったか知ってるか?」


「さぁ、私もずっと見てない」


 首を傾げる名前。するとすぐそこで準備をしていた青山が行き先を知っていたらしく、顔を上げ、「ロープを買いに行ったさ☆」と言った。


「この時間まで何してんだあいつ」


「轟―――!演出も最終確認させてー」


 間に合うのか…?と少し心配する轟を芦戸が呼び止める。


「分かった。悪りぃ名前。先行っててくれるか」


「それも持っていくよ」

 
 一つ二つ増えようと名前にとっては大した重さじゃない。両手に持つ荷物を片側に寄せ、それから轟の持つ荷物を二ついっぺんに下から上へと押し上げた。空中に浮かんだ荷物がトトッとリズミカルに積まれた段ボールの塔へと加わる。轟はまた感心したように「サーカスみたいだな」と言った。

 とはいえ1人に、ましてや女性に任せる量ではないな、と思う気持ちもある。だが、名前は任せてもいいと思えるほどのパワーの持ち主だ。轟は悩みに悩んだ末、再度申し訳なさそうに「悪りぃ…」と謝罪を述べた。豊かではないが、表情に出がちな轟の考えなど筒抜けな名前は気にするな、とそれに一度肩を上げた。


「へーき」


 時刻は9:00。本番はもうすぐだった。


 AM10:00


 2階、キャットウォークと呼ばれる部分には演出隊が待機している。


「始まるぞ」


 会場はほぼ満員。見渡す限りの人に切島はワクワク半分、緊張半分といった顔で笑った。下からは「楽しみ」と言う声や「どんなもんか見てやろうじゃん」と挑発的な声も聞こえる。興味本位、品定め。そんなものだろう。出し物なんて。そんな観客の視線を集めるようにブーーーーと開幕の音が鳴る。でも舐めてもらっちゃ困る。名前はにっと笑った。


「殺っちゃえ。爆豪」


「いくぞコラァアア!!!雄英全員…音でやるぞォォォ!!!」


 幕が開いたのと同時に大爆発が起こる。観客達の目が開き、意識が掴まれたのが分かった。


「開幕爆発!!ツカミはド派手に!」


「いいね。上手くいってるんじゃない?」


 「あったりまえよォ!!」とガッツポーズし、切島がその拳を向ける。何?と首を傾げた名前だったがすぐにその意図に気付いた。


「まだまだ」


 握った拳をトンと軽く彼の拳に撃ち込む。切島は「こっからだ!」と音楽に負けない程の声で言うとニカっと笑った。


「よろしくおねがいしまアアス!!!」

 
 耳郎の挨拶から始まる歌とダンス。次に青山と緑谷の出番が来る。裏に下がった緑谷がロープを括り付けた青山を操作し、レーザーが会場の壁をなぞった。途端、観客の瞳が期待に輝く。そしてショーはクライマックスへと向かい始める。ここで自分の出番。名前は軽く手すりに飛び乗るとあらかじめ麗日の個性で浮かせ、八百万特製のゴムベルトを巻き付けておいた氷の塊を手に取った。


「名前!!」


「はいよ」


 緑谷が青山を上げきってしまうよりも少し早く、名前は手摺を蹴り、体育館を壊さないよう、ある程度の力で空中へと飛び出した。


「よっと!」

 
 数メートルほど進み、自然と下へと落ちていく体に今度は白いテープが巻きつく。そしてぐんっと引かれ、反対側にいる瀬呂の方へと引き寄せられた。そして会場の真ん中、観客の真上で手にしていた氷を砕く。カケラは離散し、反対側のキャットウォークの手すりにしゃがむように着地すると同時に舞台の真ん中、上空で回り始めた青山のレーザーが氷の粒に反射して、会場中を照らした。まさに人間ミラーボールである。


「……!」


「ありがと」


 鳩を操作していた口田が慌てたように氷と名前を巻き付けていたベルトを解く。そして、それを受け取り、自分の足元にある手すりへと結んだ。そうすることで、あらかじめ結んでいた反対側との間に体育館を横断する一本のゴムの橋が出来た。一度、そのベルトを引き、解けないことを確認してから口田に渡された氷を肩に担ぐ。ここからサビまで自分は切島と同じく氷を削る要員だ。だだし、彼のように腕で細かく削ることはできないため、削り機を使って。


「サビだ!!ここで全員ぶっ殺せ!!!」


 ぐっ、といってらっしゃいとばかりに親指を立てた口田に背中を押されるように再度、空中へと飛び出す。着地場所は先程結んだベルト、つまりロープの上。着地と同時に大きく縦に揺らし、端から端まで大きく使ってダンスにバク転や捻りを織り込んでいく。

 スラックラインというものだが、今回は見栄えを重視してるために本来よりも伸縮性のあるゴムを使っていて、動きとしてはトランポリンに近い。これはパフォーマンスすると同時に後から空中に浮かんでくる客に疎外感を感じさせないためと、彼らの安全のためにだ。そんな中、予定通り、麗日が客を浮かせ、そして轟の作り出した氷の足場の上にクラスメイト達が並んだ。


「名前!」


「ははっ」


 手の平を差し出した芦戸に自身のを当てる。歓声にも音楽にも負けるような音の筈なのに、名前の耳にはしっかりと音が聞こえた。


「わぁ!!凄い!!」


 聞き覚えのある、でも聞いたことのないような声色が耳に入る。ジャンプと同時に後ろへと姿勢を倒し、逆さに下を見るとミリオに肩車されているエリちゃんが見えた。明るい声色とそれに似合う大きな笑顔を浮かべて、キラキラとした瞳で前を見ている。病室でだって一度も見たことがなかった。初めての笑顔。名前はあえて体勢を戻さず、真っ逆さまに落ちるように体から力を抜き、反動で下がったロープが更に下がるよう、ギリギリまで待ってからそこに足を引っ掛けた。必然的に2人の距離が縮まり、手の届く範囲に見える。


「お姉さん…!」


「おいで」

 
 笑顔で手を伸ばすエリちゃんの手を、名前は力を込めずに取った。同時にゴムは上へと上がり、その反動に合わせて逆さから戻れば、エリちゃんが名前の首にしがみ付いてきゃあと驚いたような嬉しそうな声を出した。


「最後だよ。両手あげて」


「うん!」


 紙吹雪が舞い、鳥が飛ぶ。瀬呂のテープが空中に伸びて、氷のカケラがキラキラと光っている。こんなのは見たことが無い。名前もエリちゃんと同じだった。耳郎のベースの音を合図に最後の仕上げとばかりに上へと飛ぶ。片手をあげると、エリちゃんも同じように両手を上げた。



緑谷said


 無事にライブが終わって、僕はしっかりと先生達にお叱りを受けた。エリちゃんには笑顔が戻っていて、見定めるつもりだった人達からは謝罪されて、それから僕らの思いが次へと繋って。色々なことがあったけど、結果として僕達の文化祭は大成功だったはずだ。


「ふぅ」


 一仕事終えたからなのか、つい気が緩んでしまう。いけないいけない。まだ片付けが残ってるのに。でも今日がお祭りであることには変わらなくて、つい、この後は…エリちゃんとどこを見て回ろう、なんてことを考えてしまう。すると抱えていた氷がずるりと腕から滑り落ちた。地面に着く前に、それを慌てて持ち直す。すると血気迫る様子の峰田くんが「終わった気になってんじゃねェ!!」と僕らを叱責した。


「早くしねぇとミスコン良い席取られるぞ!!」


 そんな、峰田君の熱意に急かされる形で、急いで片付けを終えた僕達はそれからすぐにミスコンの会場に向かった。


「あれ…」


 違和感を感じて、辺りを見回す。そして気付いた。そういえば名前さんの姿がない。


「(それにしても、凄かったな…)」


 演出隊兼パフォーマーとして活躍した彼女の姿を思い出す。命綱も無しに細い足場の上でアクロバットなパフォーマンスを見せ、会場を盛り上げてくれた。僕達は彼女がいつ練習していたのかも知らなかったし、今まで一度も見たことがなかったから、それを見てすごく驚いたけど、彼女は才能マンだからと僕達には何の心配もなかった。最後に見た時にはエリちゃんを抱えて、ポーズを取っていたから、きっと今も彼女といると思っていたのに。エリちゃんの姿は通形先輩とあった。


「あれ?名前さんは?」


「お姉さん、みすこんに出るんだよ」


 僕の疑問に隣にいたエリちゃんがそう言った。エリちゃん、ミスコンって何か知ってたんだと思うのと同時に名前さんがみすこんにでる、というワードが頭の中で反芻する。


「ええ!!?名前さんミスコン出るの!!?」


 知らなかった…。でも、彼女はき、綺麗な人だから驚きはしない。八百万さんは出ないのかな、そう思っていると峰田君が「なんで1人しか推薦できないんだよ!!」と地面に向かって叫び出した。


「(ああ、彼が推薦したんだ…)」


 早く行きたいのかソワソワとし始めるエリちゃん。多分、彼女が教えたんだろう。それにしても、あの時はすごく驚いた。ふと、文化祭の一カ月前を思い出す。てっきり初対面だと思っていたエリちゃんが名前さんの所に一目散に駆け寄っていった時のことだ。その時の様子から、僕はエリちゃんが彼女のことを凄く信頼しているように見えた。

 彼女はきっと、エリちゃんの境遇を悲しんだりしないし、特別扱いもしない。そんな、厳しい所もある人だけど、何があっても守ってくれるような安心感と優しさも持っているんだ。強さから生まれる自信がきっとその源なんだろう。僕と同じぐらいの背格好なのに、いつも彼女は大きく感じる。だからエリちゃんの気持ちがよく分かる気がした。


「緑谷も観に行くのか。俺もだ」


 轟くんの声がして、後ろを振り向く。そこに立っていた彼の服装を見てぎょっとした。


「ど、どうしたの轟くん!その格好!」


 名前と書かれた団扇を手に、額にハチマキ、そして羽織を着て轟くんが立っている。今時見ないザな姿は普段、クールな彼からは想像できない。驚く僕を他所に、彼は「女子にやられた」と特に驚いた様子もなく言った。


「仲良いもんね…」


 面白がった女性陣にやられたんだろうな。落ち着き払った様子はさすがと言う他ないけど、そう冷静だとむしろこっちが…。隣にいる常闇くんも同情するような目で彼を見ていた。って、あれ。常闇くん…?彼はあまりこういうのには興味が無いと思っていたから、少し驚く。


「常闇君も?」


「ああ。名前が出ると聞いて撮影に」


 常闇くんはそう言って、首にかけた大きなカメラを持ち上げた。


「後で俺にもくれねぇか。記念に残しときたい」


「良かろう。後で本人に聞いてみる」

 
 轟くんは分かるけど常闇くんもそんなに仲が良かったんだ。でも確かに、よく一緒にゲームしているような…。彼女の一歩引いたような態度がそう見せるのか、誰とでも仲が良いのに、誰とも必要以上には付き合わないような、そんな印象のある彼女の意外な友達関係に驚きながら、僕達は早足に会場へ向かった。


  
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「ハッ!!」


『華麗なドレスを裂いての演武!!強さと美しさの共存素晴らしいパフォーマンスです!!』


 B組の掌藤さん、3年の絢爛崎先輩、そして波動ねじれ先輩のパフォーマンスが終わって最後、名前さんの出番が来た。


「波動先輩綺麗だったね」


「うん」


 ほんとうに妖精のようだった。エリちゃんの目もキラキラと輝いている。


『さァお次が最後の出場者です!!1年ヒーロー科!!夜野名前!!』


 カツ、カツ、カツ


 一定の間隔でヒールの鳴る音が聞こえて、ざわついていた会場が静かになる。じっと視線を暗い舞台裏に続く入り口に向けると、出てきた名前さんを足元から順に光が照らした。


『情熱的なドレスで登場しました!』


 前は短く、後ろの裾が長い裏地の真っ赤な黒いドレスで登場した彼女に拍手が起こる。真っ白な肌がどちらの色とも合っていて、眩しいくらいだった。アクティブでいて、大人っぽい彼女らしいドレスだ。そんな彼女の手には先の尖った大きな鉄の棒が握られていて、ステージの中心まで歩いたところで名前さんが大きく上に跳んだ。


『力強くも優雅な跳躍!!』

 
 空中で体を捻り、回転する彼女の手から投げられた鉄の棒が地面に刺さる。ドスンっと音がして、深く刺さったそれの周りにはひびが入っていた。


「パ、パワー」


  重力に従って落ちてきた名前さんは手で掴める程の細さしかないその上にトンっと軽い音を立てて片足で着地した。それからゆっくりと片方の足をお腹につけるように上げて、手を前に出した。拳法のような構え。まるで演舞を見ているような緊迫感があって、ミスコン…?と誰かが呟いた。

 それが聞こえていたのか、考えていることなんて筒抜けなのか、にっと悪戯な笑みを浮かべた彼女がバク転をして、地面に足がつくよりも前に棒を片手で掴みんでピタリと全身を止めた。それからふわりと浮かび上がっていたドレスの後ろの裾が地面に落ち切ってしまうよりも前にぐわんと足を前に出して、棒を太ももで挟んだままポーズを取った。緩急のある演技に皆が視線を外さない。
 
 それから名前さんは膝を曲げるともう片方の手でゆっくり靴のストラップを外した。靴がコロンと落ちる。


「(ゴクリ)」


 誰かが息を呑んだ。挑発的な目でこっちを見て、鉄の棒を掴んだまま、音楽に合わせてくるくると回り始める名前さん。そこからピタリと止まって両手で棒を持ってそれと同じ向きで180度の開脚。震えたりはしない。バレエのジャンプの部分だけを切り取ったような姿だった。いつもそうだけど、彼女を見るたびにあの細い体のどこにあのパワーが隠れてるのかと不思議になる。

 動くたびに見える赤い生地が、動きが、雰囲気がこの場を制している。誰も目を離すな、と言われているような、波動さんとはまた全く違った演技だ。技を決められるしなやかな筋肉や、パワー、無駄な肉の一切ないプロポーションが目を惹く。それから何分ぐらい経ったんだろう。あっという間だった気がする。最後の仕上げに棒を引き抜いた名前さんは、その槍先を地面につけてからくるりと一周した。地面が削れて、彼女を中心に小さく砂煙の円ができる。と、同時にワァアアと拍手が上がった。


「すごい…」


『素晴らしい!!筋肉!!肉体の美!!チラリズムとエレガントの融合!!まさに蝶のように舞い、蜂のように刺したァァ!!!最後に相応しい演技!』


 棒を引き抜き、舞台裏へと戻ろうとした名前さんの視線が僕らに向いた。エリちゃんに向ってなのか、僕達に向ってなのかひらひらといつものように手が振られる。彼女がよくやるあれはきっとクセなんだろう。向こうへ行けだったり、単純な挨拶代わりだったり。彼女のあれには沢山の意味があって、ぶっきらぼうなのに優しい彼女に合っている、なんてことを思った。


『さて、これで全出場者の出番は終了いたしました。投票結果はこちらへ!!結果発表は夕方5時!!シメのイベントです!』


「うう、美しい…」


 どこからか苦しそうな声が聞こえて、顔を向けるとB組の物間くんがカメラ片手に地面に四つん這いになってた。彼女のパフォーマンス中、一切瞬きをしなかったらしく、その目は血走っている。分かるよ、と憧れの人へと態度は自分にも身に覚えがあるから、うんうん、と頷く。だけど、彼はすぐさまその場で立ち上がり、「…っB組拳藤!拳藤B組に清き複数票を!!」と広報活動を始めた。


「ブレねぇなアイツ」


 手に持つ紙がちらりて捲れて、記入欄が見える。名前さんの名前が途中まで書かれていて、その横から拳藤さんの名前が続いていた。


「(ちょっとブレてる…)」

 

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