夜の兎 | ナノ


▼ 3


「何してんだお前」


 相澤の視線の先、体育館の天井近くを端から端までを繋ぐゴムで出来たロープの上に名前が目を瞑って立っている。足の幅ほどしかないそれの上で微塵も揺れることなくバランスを保っているのは流石と言わざるを得ないが、一体何をしているのか。相澤はその下まで行くと名前を見上げた。


「体育館に誰かいる、と言われて来てみればお前か。ただでさえ問題児が多いんだ。大人しくしてろ」


 今日誰かがこの体育館を使用するとの予定は無い。つまり無許可である。学校の設備を使うには許可を取らなければならず、無断で鍵は借りられない筈だ。相澤は捕縛布の下に三角形の口元を隠し、床に転がる鍵を見た。


「(鍵使ったのか)」


 てっきり鍵開けでもして入ったのかと思っていた。相澤は何でも卒なくこなす彼女ならなぜか出来るような気がした。実際にどうかは分からないが。だが、鍵を使ったとなると尚更問題が生じる。何故なら職員室から勝手に持っていった事になるからだ。大したことでは無いが、敵のあれこれがあった今、あらぬ疑いをかけられる可能性もあるために相澤は確認を兼ね、「どうやって持ってった」と尋ねた。 


「普通に入って普通に持ってったよ」


 問題は教室陣の管理体制だったか…。相澤が「次からは一言でいいから言え」と言うと、名前は「はぁい」と返事をした。本当に聞いているのかも分からないほどの生返事だが、この生徒は約束を破ることはあまりしない。今後は一言、本当に一言、相手が聞いているか聞いていないかに関わらず、声をかけると判断し、もう一度「それで?何してんだ?」と尋ねた。


「練習」


「だから何の」


「文化祭」


「の何だよ」


「スラックライン」


「知らん」


 「こーやってね」と言うと名前は十数センチのゴムの上で片脚をバレエのように頭の上へと上げた。そして片足を軸に、上に上げた足と頭をぐるりと回し、宙返りのようにゴムの上で足を入れ替える。


「綱渡りか?」


「惜しいけど違う。渡り切らずにパフォーマンスするの」


 「私も聞いたことなかったけど」と言う名前はバク宙の着地と共に片手をゴムに置き、命綱もネットも無いその上でゆっくりと逆立ちへと体勢を変えた。言い方からするに彼女にもそれは馴染みのない物らしいが、その動きに恐怖は見えない。むしろ、練習などではなくただ出来ることを確認しているだけのように思えた。

 相澤は内心、「器用なヤツだ」と口には出さずとも認めている才能を誉めた。そしてふと気付く。彼女の役はダンス隊とは全く別のパフォーマンスで、芦戸のような指導者はいない。完全に独学。見たことも触れたこともなかったそれを”出来ない”と断るわけでもなく、クラスメイトにも言わずに人知れずこうして確認作業をするのはどこまでも彼女らしいが、子供らしくはない。


「……夕食までには終わらせろよ」


 放っておいても良かった。だが、彼女にももしもがない訳ではない。 「先生って甘いよね」と笑う名前にほっとけと返し、相澤は捕縛布の端を持ったままその場に腰を下ろした。


「ほら甘いじゃん」


 もしもの時にすぐに動けるように。口には出さないものの、それを意味する行動に名前は笑った。


「……ほら、とっととやれ」


  ーーーーーーーーーーーー


 名前は少しの間、細いゴム紐の上で様々なポーズを取った。それから慣れてきたのかその上で歩き始める。順応性が高い。彼女もまた爆豪とは少し違ってはいるが才能マンだった。

 何でも卒なくこなす彼とは違い、戦闘面における技術にだけ特化したタイプ。勘が良く、観察眼が良く、そしてよく吸収し、それを飲み込み、変化させる。闘争本能も立派な才能だ。自分の学生時代とは大違いだな。相澤はそう思った。自分にそれがあったなら…。もしもを考え、気付く。

 彼女にもしその才能が無かったなら、一体どうしていたのだろう。好戦的なのは後天的なものか先天的か。才能が彼女をそうたらしめているのか、彼女自身がそうなのか。考えても仕方が無いが、途端に名前が逃れられない場所にいるように感じた。もし彼女が戦闘を、才能を嫌ってたとしても、きっと周りは放っては置かないだろう。きっとヒーローかヴィランか、周りはそれを強要する。その苦悩は計り知れない。彼女が自身でこの道を選んだのはもしかするとなるべくしてなのだろうか。皮肉な事に凄まじい闘争本能が彼女を救い、強い自我が本人も気付かないうちに本人を助けている、相澤は一瞬、ほんの一瞬、そんなことを考えた。


「よっと」


 名前は上下にゴム紐を揺らし、しなる紐に合わせて、膝を伸ばしたままピョーンピョーンと跳ねるように歩き始めた。


「……」


 足をぐるりと一回転させ、ゴムに足をついたところですぐさま前宙返り。両手を使って側転し、体を捻り込む。さながら新体操だ。軽い足取りに迷いはない。

 きっと名前はヒーローでも、ヴィランでもどちらでも成果を上げるだろう。そしてどちらにも成れる人だ。誰しもがなる可能性がある、という話ではない。名前にとって立場と行動は関係のない物だから。だから、どちらにもなれる。クラスの誰よりも能力があるというのにそれは誰よりもシンプルで、そして誰よりもヒーローになりたいという熱意を感じさせず、経験豊富なヒーロー達が多くいる中でただ1人、薬の材料が1人の少女であることに驚きも、怒りもしない。人の腕を折ることにも、頭を攻撃することにも躊躇も無い。だからこそ冷静さを見込んでエリちゃんの護衛を任せたわけでもあるが。


「紐、横揺れしてるぞ」


「ん」


 きっと彼女はエリちゃんすら必要であれば手にかける。相澤には漠然とその確信があった。子供というのは鋭い。エリちゃんの様子を見る限り名前は悪人では無い。それは自身も知っていることだ。だがどこか人としての感情は薄いような気がしていた。ナイトアイの死を知った時のこともそうだ。少し驚いた様子を見せただけで、悲しそうな表情はなかった。あの爆豪ですら心に傷を負った神野の事件でもこの女子生徒は「大丈夫」と言っていた。


「よっと」


 頼ることをしないのはなぜなのか。冷たく残酷で、そして優しいあの生徒は善か、悪か。相澤は信用しているのと同時に少しの引っかかりをいつも感じていた。血だらけでクラスメイトを守る彼女は確かにヒーローなのに、背中に庇う誰かが敵だとしても違和感が無いような。しなる紐の音にはっと意識を戻す。

 名前は紐の上で器用に数度バク転し、最後に体を捻りながらバク宙すると、ゆらゆらと揺れる紐の上に着地し、顔を上げた。


「(……ゴミ同然の生き方…か)」


 相澤はエリちゃんと名前の病院での会話を聞いていた。きっと彼女も気付いていた筈だ。その上で聞かせたのは、こちらに情の薄い生き物だと知らせたかったからなのか。弁解だったのか。それは分からない。だが、アレは彼女なりのエリちゃんへの優しさだったことは確かだ。同じく辛い境遇だったからこその優しさ。慣れか、育ちか。彼女がヒーローらしく無いヒーローなのはきっと生き方のせいなのかも知れない。相澤はその時、あの広い家を思い出した。

 それでどうして他者を助けられるのか。原動力は何なのか。本人は自分のワガママだとしているが、それは無償とも同じことのように思えた。ある意味ではオールマイトにも似ているが、彼はどこまでも善の人だから少し違う。自分という軸だけで行動する名前は敵と英雄に分かれるこの社会では少し異質だ。


「せーの」


 大きくゴムを揺らし、名前の頭が天井に着きそうなほど高く上がる。上空へと投げ出された体はくるくると縦横無尽に回転し、紐を掴んだ。が、握り損ね、スカッと体が投げ出される。


「っ、」


 相澤は体の動くまま腕を伸ばし、前へ飛んだ。


「……命綱付けろ」


 ずしりと手にかかる重さ。だが、怪力の持ち主にしては軽すぎる。相澤は受け止めたと同時に地面に座り込んだ。腕の中にいる名前が顔を上げる。


「着地できたのに」


 たしかに、彼女の耐久力ならこのぐらいの高さが落ちようと平気だったろうし、着地だって出来たはずだ。だが、ほぼ無意識の行動だったのだから自分でも止めようが無い。セクハラ扱いされては敵わん、と相澤はすぐに両手を地面に着けたが、名前は腹部に乗ったまま降りようとはせず、自分を揶揄うような笑顔で「せんせ、ありがと」と言った。それがどこか嬉しそうに見えて、相澤は少し驚いた。


「(……まぁ、いいか)」


 ヒーローにもヴィランにも向いている彼女はたしかに異質だ。だが、今この場にいるコイツはヒーローの卵で、自分の生徒。相澤にとって今はそれだけでいい。


「素直に助けられとけ」


「はは、ありがとう」


 うん、とは言わない。助けを求めない、助けがいるのかすらも悟らせない彼女はその体でどんなことを経験してきたのだろうか。


「エリちゃんが…お前のを見るの楽しみにしてた」


「そうなんだ。頑張んなきゃね」


 誰よりもヒーローに向いていなくて、誰よりも向いている名前。いつかその胸の内を打ち明けられる時は来るんだろうか。その相手が自分じゃなくても良い。成長しきった大人のような彼女に相澤はそんなことを考えた。




prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -