槿花一日。






14


「ほんならよろしゅう頼んます。」

「おう、任せとけ。」


気の良さそうなおっちゃんにぺこりと頭を下げる。ここはおやじの知り合いの営んでいる造船所で、親切なことに今まで自分たちが乗ってきた船を預かっておいてくれるという。彼に船を託し、造船所を出る間際にもう一度頭を下げる。ひらひらと手を振って見送ってくれたおっちゃんに背を向けた。


「ふむ。」


町外れの造船所から町の方を眺めると、顎に手を宛てどうしたものかと考える。正直船の中に戻ってしまいたいのだが、「せっかく島に着いたんだ、羽伸ばして来い。」とお小遣いまで貰ってしまったのだ。わざわざ船をドッグに預けるために進路を変更してくれただけでも十分だというのに入ったばかりの新入りにここまで至れり尽くせり、というか孫に甘いおじいちゃんのようというか。
とはいえこのまま呆然としているのも時間が勿体ないのでとりあえず動くことにするかと、決心するとコートの中から携帯用の電電虫を取り出した。


「あ、もしもしー??自分ら今何してるー??」



Ж




「おおきにー。」


元クルーから頼んだものを受け取る、と言っても怪しいものではない。単にホテルの部屋を取っておくように頼んだだけなのだが。なんせこの風体だ。怪しまれて部屋を貸す貸さないで揉めるより人に頼んだ方が早いというものだ。
騒ぎが起きてもすぐに分かるようにモビー・ディックからも比較的近い町の中心部辺りのホテルにしてもらった。比較的高い階に取って貰った部屋へ向かうと、一度窓を開け放してみる。建物のすぐ下では市が開かれているようで多くのテントの間を縫うようにして人が溢れ賑わっていた。その賑わいを少し眺めると、窓を閉め、カーテンも閉めた。念のために机の下とベッドの下も確認する。盗聴器などの異常はなし。


「よしよし。」


異常がないことに安心して一人で頷くと、伸びをした。あそこはあそこで安全ではあるのだが心理的な問題でどうにも落ち着かないのが難点だ。ストールやらコートやらを雑に取り払うと備え付けの鏡台に放り出す。ついでにブーツも投げ捨てると裸足で備え付けのバスルームに向かう。向かう途中に全身に巻かれている包帯を若干緩める。膨大な量なのでいくら慣れたとは言っても解くのに時間がかかるのだ。首筋の包帯を片手で緩めながらバスルームのノブを捻る。と、いきなり正面に鏡が現れた。当然の如くそこに映し出される自らの姿、そして緩んだ首元の包帯の下が見えて、鏡の中の自分があからさまに顔をしかめた。


「チッ、」


思わず舌打ちをすると、鏡から目を逸らし視界から外した。なるべく見ないようにしていたが、未だに痣は消えていないらしかった。忌々しいし、汚らしいし、汚らわしいし、醜いし。憎悪とも自己嫌悪とも言えない蟠りが胃の辺りに溜まるような感じがする。目を瞑ると、一度深呼吸してそのまま服を脱いでその辺りに放り出す。見えなければどうと言うことはない。無いのだと、自らに言い聞かせ膨大な量の包帯を解き終える。体型をごまかすためとは言え、四六時中ミイラの様に包帯を巻きつけておくのは多少なりともしんどいのだ。解放されたあちこちの関節を動かしつつ、さっさとシャワーを浴びてしまうべく、安いホテルに付き物のユニットタイプの湯船に入るとシャワーの蛇口を捻った。
温かいシャワーを何をするでなくひたすら浴びる。こんなことでありとあらゆる汚れが落ちるはずもないのに。

どうして。

今更問うても仕方ない疑問は自分の耳にすら届かずに喉の奥に押し込まれた。



Ж




ああ、どうしてこうなったのだろうか。今更問うても仕方ないのだが。状況から推測するに酔っ払いに喧嘩を売られたエース隊長がそれを買ってしまったのだろうけど。いやしかし、いくら親父さんのなわばりの島だとはいえ、こんな街中で能力者が喧嘩をおっぱじめようとするのは如何なものかと思うが。いや、それよりもなんでこんなまずい状況に出くわしたんだ俺。折角キトさんにお使い頼まれたっていうのにこれじゃあ完遂する前に死にそうだ。
島の大きな市場のほぼど真ん中と言ってもいいような場所。頼まれたことがあったのでたまたまそのに立ち寄った俺が目撃する羽目になったのは今にも火拳をぶっ放しそうなエース隊長でした。


「と、とにかく誰か他の隊長を……!!」


何処に居るかわからないが彼らを呼んで来る他ないと判断して、走り出そうとしたその時だった。ふっと頭上を黒い影が通り過ぎた。


「は?!」


その影は騒ぎの方へ飛んでいく。慌てて見上げて視線で追うと何やら水が一滴落ちてきた。


「つめたっ。」


顔に落ちた滴を適当に拭って、今一度騒ぎの中心の方を見る。するとそこには、


「キトさん?!」


エース隊長と酔っ払いの間に、両方を牽制するように酔っ払いには愛剣を、隊長には爪を突き付けていた。


「自分ら何しとん。」


いつもと変わらぬ調子で、彼女は言う。しかし、眼前に突きつけられた物と言外に滲み出る殺意にも似た空気に酔っ払いは酔いが一気に醒めたようで、一瞬腰を抜かしかけた後にほぼ四つん這いになるようにして慌てて逃げて行った。それを見たエースさんが盛大に舌打ちする。


「なぁ、何しとん。こんな人がぎょうさんおるとこで、何する気ぃやったん。」


その様子に、キトさんが諫めるようにもう一度尋ね、エース隊長は罰が悪そうに口を尖らせた。キトさんが来たし、もう大丈夫だろうとその場を離れようとして一歩踏み出す。だが、何か引っかかってもう一度キトさん達の方を見た。


「あれ、」


キトさんのストールの巻き方いつもと違う。いつもは首と言うより肩に巻いてるのに今は首にしっかり巻いてる。それに、もしかしなくても髪の毛が濡れてる。風呂上がりにでもしたくする暇なく慌てて飛び出してきたのだろうか。いや、そうとしか考えられない。気付いてしまった俺は、声に出さない程度にくすりと笑う。

あぁ、それでこそ我らがキャプテン!!
何もかもを棄ててしまいたいのに何も棄てられない哀れなキャプテン!!
だからこそ俺は、俺たちはここに居るのだけれど。
全てはあの子のエゴの為!!




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