雨傘のなかの秘め事

昼から雨が降る、という予報だったので、俺は持ってきたいつも使っている黒い蝙蝠傘を玄関の傘立てから引き抜いた。

外は大分明るいけれど、今どしゃぶりなのに変わりはない。ばさ、と傘を開く。

そういえば、と周りを見回す。彼女がいないか、と一縷の望みをかけてみたのだ。

彼女、とはつまり俗語で女性の恋人をあらわすけれど、つまり自分とその人はそういう関係性なのだ。にやり、と頬が緩む、けれどすぐに口角は下がる。

今まで自分と彼女はいわゆる恋人らしいことをしただろうか。

(いや別にそんな、らしいことをしたいとがつがつするつもりもないんだけど)

女々しいじゃあないか。それにがつがつするなんて。そう考えたあたりで俺は彼女を発見した。まさかいるとは思わなかったので(探してたけど)俺は一歩ずざ、と引いてしまう。
その靴と砂だらけのコンクリートがすれる音で彼女は俺に気がつく。東峰くん、と彼女は俺に近づいてくる。あずまねくん、と彼女はもう一度俺の名前を呼んで空の右手を差し出した。傘を忘れちゃった、と彼女は無表情で言う。俺はちょっとだけ言葉をなくして、そして、ぎゅ、と傘の柄を握って言った。

「じゃ、一緒に帰ろう」

彼女はありがとう、と笑った。あぁ、かわいい。顔が赤くなっていないだろうか、と月並みな心配をする。

俺のほうがもちろんながら背は高いので、俺が傘を持つ。大きい傘とはいえさすがに相合傘用の傘はないからぴったりと彼女は俺にくっついて歩く。

(あれ?これってすごく恋人っぽい?)

彼女と俺の家はそれなりに近い。その手前にある大きな坂を上り、もう彼女の家まで数メートルといったところで彼女はちょっと、ごめん、と足を止めた。俺は彼女がこんなに近くにいる、っていうことに舞い上がって一拍反応が遅れる。

「あずまねくん、こっち向いて」

彼女の顔がいつもより近いところにあった。と思うとどんどん接近してきて、唇に、柔らかな、感触が、

しばらく何が起こったかわからなかった。彼女は俺が正気に戻るのを見届けてから、

「また明日ね、旭くん!」

ばしゃ、と思い切り水溜りにローファーの片足をつっこみながら走りさって行った。

(え、えぇ、と)

俺は無意識に自分の口に手を伸ばす、

(あれ、そういえばさっき、旭くん、と、彼女は俺のことを、)

雨傘のなかの秘め事



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