缶入りドロップと彼



まぁ私も数年前には健全な学生だったわけで、健全な学生らしく進路に迷ったりなどしていたのだ。

それで人並みに傷ついて、ホームで一人ひっそり泣いていたときの事だった。

「どうか、なされたのですか?」

ためらいがちにそう声をかけてきたのは、いつも朝のホームに居る鉄道員の方だった。

「あ、え、と、その、」

私は他人にこんな情けないところを見られたという混乱からしどろもどろになり、結局何もしゃべれない。

そうして固まった私を彼は数秒じっと見つめて、私の座っていたベンチの隣に座った。

怪訝そうな顔をしたはずの私に向かい彼は無表情で(きっとこれが彼の素なのだろう)お客様が落ち着くまで隣に座っていてもよろしいでしょうかと訊いた。

なんとか私がこくこくとうなずくと、彼はありがとうございますと言って、特に話しかけるでもなく、なだめるでもなくただ隣に座っていてくれた。

そうしてしばらくして、私が少しだけ落ち着くと、彼は唐突ですが、と口を開いた。

「ドロップは、何味がお好きでしょうか」

「え、っと、強いていうなら、薄荷でしょうか」

変わってるねとよく言われるんですけど、と私が照れ笑いすると彼はいえ私の弟も薄荷味が一番好きだと言っています。と柔らかな口調で言った。

そしてどこからかドロップの缶を取り出して、からからと振った。

「それでは、貴女様のお好きな薄荷が出ることを願って。」

彼が私の手に一粒ころんと出したのは、白い、

「おめでとうございまし」

「ありがとうございます」

私が薄荷をほおばると彼は少しだけ頬を緩めて(そんな風に見えた)

「貴女様が今どんなことで悩んでいても、私が助けられることではないのでしょうけれど、応援は影ながらさせていただきます。」


己の人生の中で一番幸せな日はいつかと聞かれれば私はこの日であると答える自信があるのだ。

そうして私は大人になって、またこのサブウェイを通勤に使うことになった。

さすがにあの鉄道員さんはもうこのホームではないのか。一抹の寂しさを感じつつも私はホームに降り立った。

「あ、」

前方に黒いコートを着た――なるほどこれが噂のサブウェイマスターか――背の高い人がいた。

こちらを振り向いたその顔は、あの冷たいわけではない無表情は、あのときの、

「お久しぶりでございます。私の事を覚えてらっしゃいますか?」

「もちろんです」

彼も私のことを覚えていてくれたのだ。少しいやとても嬉しい。

相変わらず彼はドロップの缶を持っているのだろうか。

「また、ドロップは持っているんですか?」

えぇ、と肯定した彼からからからから、と軽い音をたてて沢山のドロップ缶がこぼれ落ちた。

「あっ」

彼があせあせと缶を拾い上げ体中にしまい直す。

私も拾い集めるのを手伝う。

「あ、ありがとうございます」

ばれてしまいましたね、と彼は苦笑した風に言う。

「またお一ついかがでしょう」

彼がコートの内ポケット一つの缶を渡してきた。

私がふたを開けて中を覗き込むと、

「薄荷だけ……?」

「その通りでございます」

彼が説明したところによると、彼は迷子の子供だとか用に一つの味ごとに分けたドロップ缶を常備しているらしい

「あぁ別にあのときの貴女様を子ども扱いしてるわけではなくてですね!」

彼が焦ってそう手を振るのがなんとなくおかしくて、つい笑ってしまったら彼がちょっと怪訝な顔をして、それがさらにおかしくて、

「なんでもありません」

そう薄荷をなめ終わった口で答えると、すぅ、と風が通って行った。


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主催企画「白線」提出物
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皆様の話とかぶらないように、というかこういう使い方もあるんだな!
と目からうろこの思いで書いて読んでやってました。
この話は小/川洋子先生の某短編から着想を得ております。
というかドロップとノボリさん書きたかっただけです。
企画にお付き合いいただいたすべての方々に感謝をこめて!



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