09:44 赤葦くん
▼赤葦君、木兎がへこんじゃったから、手伝ってくれない?
一年の冬ともなると、彼女がそうやって赤葦を呼びにくることが増えた。
すっかり木兎係となった体である。
「私はマネージャーだから、できるだけのことはするけど、でもコートには入れないから。赤葦君、木兎のことをよろしくね」
そう言って笑った彼女の顔が、赤葦は忘れられない。
▼久しぶりの雨だった。台風も近づいているらしい。
駅まで歩くわけにもいかず、赤葦はバスに乗ることにした。
「おつかれさま」
水溜りを避けながらバス停へ行くと、そこには先客がいた。
部活で見かけなかったので、きっと夏期講習の帰りなのだろう。
おつかれさまです、と赤葦も会釈を返した.
独特のクラクションを鳴らして、バスはすぐに来た。
雨の日は車の走る音も少し大きく聞こえる。
二人がけの座席に彼女と並んで座る。汗くさくはないだろうか、と赤葦は急に心配になった。
「もっとそっちに顔を出せればいいんだけど」
「無理しなくていいですよ。木兎さんの面倒はちゃんと見ておくので」
彼女が、難関校コースにいるのはうっすらと知っている。
「頼もしいなぁ」
彼女はよく木兎のことを気にかけている。
一番手がかかるから、と言っているのを以前聞いたことがある。
末っ子みたいだよね、と形容し始めたのも赤葦の記憶では彼女が発祥だ。
彼女は曇った窓ガラスに落書きをし始めた。
「なんですかそれ」
「びっくりして細くなったフクロウ」
曇ったガラス越しの景色は色彩が溶けたように曖昧だ。
「夏合宿ってもうすぐなんだっけ?」
「来週の頭からです」
いいなぁ、と彼女は言った。
(やはり来られないのか)
木兎が他校の人に迷惑かけないようにね、と彼女は笑った。
もちろんです、と赤葦は答えて、そしてつるりと言葉を続けてしまった。
「先輩は、木兎さんのことが好きなんですか」
次の停留所を告げるアナウンスが響く。彼女の体が大きく傾いだ。
肩を震わせて笑っている。
「まさか!木兎は、だって、うちの部活のエースじゃないか。それにあんな性格だし、ほうっておいたらこじれていくで、しょう……」
彼女はやっと赤葦の顔が赤いことに気がつく。
(あの赤葦君も照れることがあるのか)
「あ、赤葦君?」
けれど彼女は自分の耳が熱いことに気がついていない。
雨の音はさらに強くなる。しばらくの沈黙の後、赤葦は口を開く。
「……仕切りなおしをさせてください。安牌きってから言ったみたいになるの、いやなんで」
彼女は窓の外に視線をやる。落書きからは雫が垂れていく。
「別に、今すぐ仕切りなおしても、いいんだけど」